第6話

 すぐさま船中の船員達が集まり、負傷者達を運んで行き始めた。長い行列を作り、船員は乗客を誘導する。負傷者と肩を貸す人達が前、無事な乗客が真ん中、残った船員達が後ろだ。セシリーも真ん中に並ぶ。


 床の軋む音が人の数だけ鳴り響きながら、廊下を進むと先頭に立つ船員が扉を開け、外から日が差し込む、それと同時に大きな音も鳴り響いた。


 魔物の暴れる音だ、船員と乗客達は見つからない様に、小舟が複数用意された場所へと急ぐ、だがその時再び大きな揺れが起こり、人々が体勢を崩す、皆近くの物に捕まるなどしていたが、一人の子供だけが揺れに耐えられず、斜めに傾いた床を滑り落ちる。


 「わーーん!」


 何を掴もうとしても掴みきれず、子供は恐怖で泣き叫ぶ、母親は子供の名前を叫び手を伸ばす。大人達は何もできず見ているしかなかった。


 するとセシリーが突然手を離し勢いをつけ、獲物を追いかける動物の様な速さで、一気に子供の元へ近づいて行く、手を伸ばし子供の体を何とか捕まえ、手すりにはギリギリ手が届いた、まさに間一髪、船員や乗客達からは称賛の声が響く、誰もがこの一瞬で諦めかけていた命が助かったのだ。


 だが安心したのも束の間だった。海の魔物と目があったしまったのだ、見た目はまるでイカ、それだけではなくとにかく大きい、船よりもはるかに、十本のゲソをくねらせこちらを捕食者の眼差しで見つめる。

 ”クラーケン”、海に生息する巨大な魔物。


 左手には子供、右手も塞がった状態、そうでなかったとしてもとても適いそうな相手ではない、蛇に睨まれた蛙、クラーケンのゲソが二人の元に叩きつけられようとしたその時、その巨体の背後から斬撃の様な風が飛び出し、ゲソを切り落とす。

 誰が何をしたのか、その答えは目の前にすぐ現れた。


 銀色に見間違えるほど綺麗な白髪をなびかせ、体を覆うほど大きなマントから出た右手には、等身より大きな両刃の鎌を持つ、セシリーはさっきの少年である事を知った。

 揺れが収まり、二人は船の上に足場を確認し、隅へ非難する。


 今なら船長の言っていたことに納得できるかもしれない、セシリーはそう思った、彼の背中はとても小さいが、なぜか頼もしく感じる、まるで幾多の戦場を潜り抜けた戦士のような、そんな頼もしさを感じたのだ。


 クラーケンのゲソが再生した、少年が手間取っていた理由だ。少年は痺れを切らしたかのようにマントを脱ぎ捨て、叫ぶ。


 「”ウィーズ”!力貸せ」


 体からオーラが溢れ、そこにイタチの様な巨大な獣が姿を現す。よく見ると少年の首には紋章があり、その正体はホリビスであった。


 獣に捕まり相手の攻撃を避けながら、風の斬撃を浴びせ続ける。ゲソでさらに反撃されそうになるが、獣がそれを瞬時に切る。


 攻撃を続けいていくうちに、クラーケンの胸部の大きな傷が治っていない事に気付いた少年は、中心部へ近付いていく、邪魔するゲソは獣が対処し、コンビネーションは完璧だった。少年は中心部の近くまで到着し、風魔法、”サイクロン”を放った。


 クラーケンの頭がみるみる破壊されぐちゃぐちゃになる、どうやら再生するのはゲソだけで、それ以外は対象外だったようだ。


 小舟に乗り静かに少年を見つめる船員と乗客達、一瞬安心しかけたが、横から一本のゲソが少年に向かってぶつかって来た、なんとゲソが一人でに動き出したのだ。


 複数のゲソが一斉に襲いかかる、それに応戦していく少年だったが、後ろから来るもう一本には気付かなかった。


 「危ない!」


 セシリーが少年に向かって叫んだ、だがその時には遅く、ゲソは足に固く巻きつき始めた、ずるずると引きずられながら、床や壁に叩きつけられ、少年の鼻から血が吹き出す。


 そこに獣が颯爽と駆けつけ、風の斬撃を放ちゲソをぶつ切りにしていく。そのアシストにより少年は助かり、残りのゲソをバラバラに切った。今度こそトドメが刺されたのだった。


 見事海の魔物、クラーケンを退治した少年だが、周りの目は救世主を称える眼差しとは程遠いものだった。セシリーと、その隣にいた子供を除いて。


 船は半壊し、乗れる状態ではなかったので、皆で小舟に乗って助けを待つ。


 長い時間が経った後、偶然近くを通りかかった船に助けを求め、救助してもらい不安定な足場からようやく解放された。


 港に着き、怪我をした者はすぐさま医者の元へ連れて行かれ、幸い死者は出なかった。


 船長は少年を見て少し怖そうにしていた。船長だけではない、船員、その他の乗客皆から嫌悪か恐怖の眼差しを向けられる。セシリーは落ち着きがない様に、何か言いたげで、結局何も言葉を発することはできなかった。


 だが少年はその状況に決して動じない、なぜならずっと彼が経験して来たことだからである、この世界ではこれが常識、当たり前、誰もがそう疑わない、少年は誰とも目を合わせることなく、その場を離れた。


 港町の広場、真ん中にある噴水を眺め、首の紋章をマントのフードで隠して隅に座る少年。


 「綺麗だね、噴水」


 気が付くと隣にセシリーが座っていた、噴水を見ながら話を続ける。


 「綺麗なものって、それだけで愛されるから得だよね、逆に言えば、どんなに害が無いと言っても、一度決まった偏見は中々消えない、綺麗な花にだって毒が有る事も有るのに、大体はそれを気にせずレッテルだけを見て判断する、何か影響力のあるものがそうだと言えば大衆の意見もそうなる、私だって変わらない…ごめん」

 「…?、なんで?」


 少年は身に覚えのないセシリーの謝罪に疑問を持った。


 「私は皆に意見できなかった、助けてくれた人にする態度じゃないって、私が言えば良かったって、だからごめんなさい」


 セシリーは、頭を深々と下げながら涙交じりの声でもう一度謝罪した。


 「いや気にしなくて良い、いつもこんな感じだから」


 しばらく沈黙が続いた、セシリーは言葉が出てこないのだ、自分がこれ以上何を言っても、同情や自己満足にしかならない事を知っているから、そんな考えが延々と、何を言えば良いのか分からない。

 そんな中少年は口を開いた。


 「そう言えば、俺はとある考古学者の護衛のために来たんだ、色々あって忘れかけていたけど、その考古学者ってあんたじゃないのか?」


 セシリーは驚いた、それは目の前の彼が自分の待ち合わせ相手だったことに対してでもあるが、そんなことすっかり忘れてしまって、少年の事ばかり心配していた自分に対しての驚きでもあった。


 「正直ホリビスと一緒に旅するのも大変だと思うから、断るなら今の内だぞ」

 「ううん、守ってくれた人を拒むなんて、そんな事しないよ」

 「そっか、それなら別に良いんだけど、詳しい話は明日聞くよ、今日は隣町の宿にでも泊まろう」


 少年は立ち上がり、歩いてその場を歩き始める。


 「あのさ!」


 セシリーの呼びかけに少年は振り向く。

 何か言わないといけない、セシリーはそう感じた。そうでないとこれからの旅が、きっと気まずいものになってしまう、さっきまでは言葉に詰まっていたが、立ち上がり徐おもむろに出て来たのはこの言葉だった。


 「今日は、助けてくれてありがとう、これからも頼りにしてるね?」


 満面の優しい笑みで、セシリーは言った。

 振り向いた少年は、しっかり見ないと分からないくらい、少しだけ口角が上がっていた、しかし頭を下げ謝罪した時よりも、その顔は確かに嬉しそうだった。そして顔を赤くし、後頭部をさすり照れ隠しの様に言う。


 「いや、どういたし…まして?」


 少し雰囲気が柔らかくなった、さっきまでの緊張感が嘘の様に、そしてセシリーは次に再度名乗った。


 「私はセシリー、”セシリー・フェイルス”」


 少年はそれに応え、少し口角を上げた表情で名乗った。


 「俺はネオ、姓は無い」

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