第4話 断罪の聖女は英雄のもの

「……エデさまはその、オルファさんの所有物だったんですか?」

「いえ。ここが共和制に移行した時、コロシアム周りの法律はそのまま放置されてたはずだから、あたしは今もあいつの物よ」

 

 エデはそう言いながら、お茶で喉を潤している。

 ……二人の関係を聞いて、思わず絶句した。リタニア信者が耳にすれば気を失っても不思議はない。

 所有者と所有物。この関係を悟られたと考えたのなら、エデ自ら、たった一通の手紙でやってきたのも頷けた。こんなもの、下手をすれば暴動の種だ。

 

「あ、言っとくけどすぐ負けたわけじゃないわよ。二撃は耐えてるんだから」

「問題はそこではない気がしますが……オルファさんはなぜ、エデさまを欲しがったのですか?」

 

 と、尋ねた途端、エデの頬が少しだけ緩んだ。

 嬉しそうな、幸福の表情。殺し屋だったと話している時とはまったく違う顔だった。

 

 エデは表情とは裏腹に、今まで通りの声で私の問いに答えていく。

 

「覚えててくれたのよ。あいつも、あたしのことを」

「お互いにとは。そんなにも劇的な出会いだったのですね」

「いえ、まったく。あいつが父親に連れられて、あたしがいた孤児院の慰問に来たってだけ。すれ違ったのとほとんど変わらないわ」

 

 話の切れ目に、私も水分を口に含む。

 すれ違った、と本人が表現するほどのわずかな接点。それだけでお互いが記憶に留めていて、さらにはコロシアムで再会を果たしている。

 

 数奇、あるいは奇跡。

 陳腐な言葉になるが、オルファとエデの出会いはまさしく運命だったのだろう。

 

「まあ、それはともかく。あたしは負けて、あいつの物になって、その日の夜に二人でコロシアムから脱走したの。オルファが英雄って呼ばれ始めたのは、それからしばらく後のことね」

「……当日に?」

「ええ、そうよ。信じられる? あいつ、いつでも脱走できたくせに、食事と寝床があるからって理由で三年間も見せ物になってたの」


 エデのため息には深々とした呆れが強く込められている。私にはオルファ・テレジアがどんな人物なのか未だに掴めていないが、これまでの話だけでも、令嬢というイメージからかけ離れた気質なのはわかってきた。


 エデの呆れは何年経っても消えていないらしい。まったく、と呟きながらお茶のお代わりを注いでいる。


「ええ、あいつはいっつもそうよ。常識はずれで、自分のことに無頓着で、そのくせ優しくて。……もっと自分勝手になってくれれば、剣奴にも英雄にもならずに済んだのに」

「剣奴にも、となると、オルファさんは最初からあの強さだったのですか?」

「ええ、そう聞いたわ。しかも、剣奴が受ける訓練なんか一切なしに、いきなり闘技場に放り込まれて、ね」


 エデの口元が吊り上がる。

 話を聞いているうちに、なんとなくわかってきた。不敵に見える笑顔は、エデにとって不快な過去のサインなのだ。自分が殺し屋をしていた経緯だったり、オルファが剣奴にされた過程だったり。

 案の定、エデが口にしたのは、陰惨という言葉でも生ぬるいほどの悪意だった。


「テレジア公爵はザザとの開戦派だったから、一家全員が叛逆の濡れ衣を着せられて処刑されたの。でも、まだ幼い娘まで問答無用で殺すのはあまりにも哀れだから、せめてもの慈悲を与えよう、ってね」

「それで、剣奴に」

「そういうこと。はじめは悪趣味な余興だったのよ。そのまま民衆の前で殺されてもよし。剣奴たちの慰めものになってもよし。とはいえ知っての通り、王侯貴族の目論見は大外れ。残された末娘は、武器も防具も与えられずに闘技場に放り出された状態で大の男に勝っちゃって、そのまま三年無敗を誇りましたとさ」


 くすりと、エデはまた笑う。

 ザザが侵略を繰り返していた当時は、上流階級の人間が国を売ることも珍しくなかった。密かに国を明け渡して、自分たちは帝国の市民権を得ていたという。目の前の聖女と、この場にはいない英雄が明らかにした事実の一つだ。


 この国も終戦間際に王制から共和制に移行しているところから察していたが、やはりザザに売られた国の一つだったようだ。国を守ろうとした人物が売国奴に汚名を着せられて処刑されるとは、なんとも奇妙にねじれていて、納得したくない。

 私の祖国は早期に侵略されているから、侵略以前のことはザザに消されて辿れないらしい。それでも国民や歴史を売り渡した誰かがいるかもしれないと考えるだけで虫酸が走る。


「オルファさんはもしかして、貴族だった頃から訓練を施されていたのでしょうか」

「正解。テレジア公も、いつか自分が政争に負けるってわかっていたんでしょうね。まあ、だからって娘がコロシアムに君臨するとは思ってなかったはずだけど」


 エデの表情は苦笑。ちょっとだけ楽しそうだった。


「あれだけ強いんだから、さっさと逃げちゃえばよかったのにね」

「……お聞きしたいのですが、オルファさんはどうしてエデさまを手に入れた日に脱走を? あなたを待っていた、なんてことはあり得ませんよね」

「ええ、ただのタイミングよ。そろそろ逃げようと思っていたときに、たまたまあたしがやってきたからってだけ」


 はぁ、とエデが落としたのは呆れのため息。オルファがコロシアムに留まっていた理由と同じく、逃げ出した理由も食事と寝床にあるのがなんとなくわかる仕草だった。

 オルファに会ったときは、いかにも令嬢然とした美しい印象だったのだが、実際のところはかなり野生的な感覚で生きているのだろうか……?

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