第2話 断罪の聖女エデ
オルファのことを知るために、かつて彼女が剣奴になった当時の確実な情報があるはずの図書館を真っ先に訪れたのだが──しっかりと考えれば予想できたはずだった。
「申し訳ありません。戦前の新聞は、戦争のせいで残っていなくて」
「……そうですか。ありがとうございます」
そう、残っていなかったのだ。
オルファがどうして剣奴になったのか。剣奴になった後、どんな経緯があって英雄と呼ばれるまでに至ったのか。国立図書館にすら、情報はまったくなかった。
戦争のせいで、と司書は告げたが、間違いなく嘘だ。
この国がザザとの戦争に突入したのは侵略戦争の終盤だ。すべての記録がなくなるなどあり得ない。オルファにつながる記録は、間違いなく国民の手で消されている。
「つまり、オルファが剣奴に堕ちたとき、国民は面白がった」
そういうことなら納得できる。オルファはいまや誰もが名前を知る英雄なのだ。英雄を見せ物にして楽しんでいたなんて、この国からすれば消すべき汚点──いや、待て。
「ならどうして、剣奴令嬢なんて呼び名が広まった?」
公園の中央、噴水のそばでコロシアムを見ながら考える。
この国の人間が、昔のことを隠したがっているのは明らかだ。それなのに、私たちはオルファが令嬢であり、剣奴だったことを知っている。
だから、いる。誰かがいる。誰も知らないオルファの英雄譚には、異名を広めたもう一人が深く関わっているはずだ。
「剣奴令嬢のことは誰でも知っていた。国境も関係なかった。噂程度なら、あの戦時下で正確に名前が伝わるはずがない」
もちろんオルファ自身が名乗っていた可能性もあるが、先ほど対面した感覚を頼りにするなら極めて低いと考えていいだろう。
オルファと同時期に、国から国にかけて活動していた誰か。この二ヶ月で読み漁った戦時記録を思い出して、頭をひねり、太陽が茜色になった頃、一つの名前に思い至った。
「──断罪の聖女エデ」
オルファに並ぶもう一人の偉人。戦争が終わった後は一般人として僻地で暮らしているオルファとは反対に、いまやリタニアという国の宗主になった人物。
「……聖女に会わないと、か」
確証なんてどこにもない。繋がりはただ、同時期に国境を問わずに活動していたという偶然だけ。一国のトップにただの新聞記者が面会を申し出たところで切り捨てられるのはわかっている。
けれどオルファを知る手がかりはこの思いつきだけ。とにかく行動しないと始まらない。期限だってあるのだから。
戸締り間際の郵便局に飛び込んで、手紙を書いた。
面会を願う文面に、かつてあなたと剣奴令嬢は共に行動していたのではないか、少なくとも深い関係にあったのではないのか、と添えて。
私が泊まっている宿に客がやってきたのは二日後のことだった。
「悪いわね、突然に」
「いえ、無礼を働いたのは私です。このようなところまでご足労いただき感謝します、エデさま」
エデが被っていたローブが払われて、藍色の髪が広がる。
断罪の聖女。その求心力から、凋落してもなお数多の信者を抱えるリタニア聖教の立て直しを各国元首に託された傑物。まさか手紙一通で会えるとは思ってもいなかった。
エデ自ら、たった一人でやってくるのはまったく想定していなかったが──つまり、私の推測は当たっていたということだろう。
「人前でしたい話じゃないもの。で、あなたはどこであたしとオルファのことを知ったわけ?」
「私の頭の中で」
「は?」
「この国に来て、オルファさんに会って理解しました。剣奴令嬢の呼び名は誰かが意図的に広めたものなのだと。そんなことができるのは誰かと考えて、最も可能性が高いのはあなたではないかと思いつきました」
「……そう。ま、あいつの性格を知れば予想できなくもないか」
エデの瞳が私を見据えた。
髪色よりもさらに深い、海のような藍の瞳。そのとき、私は首筋に冷たいものと、本能が訴える恐怖を感じていた。
「っ……!?」
「で、あなたは何がしたいの? あたしとオルファの関係を知って、何をするつもり?」
何も、されていない。エデは私を見ているだけ。指先すら動かしていない。
けれど、私の身体が「エデに殺される」と恐怖して騒いでいた。心臓がドクドクと暴れ狂う。脳みそがふわりと浮き上がる。
本能が察した。オルファを調べようとした記者が失踪したという噂はおそらく事実。きっと、手を下したのは目の前の断罪の聖女だ。
身体が理解した。一国の長がどこの誰かも知れない人間の前に一人で現れたのはただ単に、護衛など必要としていないから。
「……知りたいのです」
「知りたい?」
「どうしてオルファさんは戦ったのか。どうして剣奴に堕とされながら、国のために戦ったのか。どうしてあれほどの偉業を成しておきながら、歴史から消えることを良しとしているのか」
失踪した記者たちは私と同じようにオルファとエデの繋がりを探り当てたのだろう。ならば当然、私の命ももうすぐ終わる。
けれど、私の命なんかどうでもいい。死んでも構わない。殺されても構わない。この問いかけをせずに生き延びて、私の英雄が消えてしまうことに比べれば、ここで死ぬ方がよっぽど価値がある。
「私たちを救ってくれた彼女の名前を、私は未来に残したい」
そう口にして、ストンと腑に落ちた。
これが私の望み。私を突き動かしたのはいつもの好奇心だけれど、今回はただ知りたいだけではなかったらしい。
私が自分の願望を知ったのと同時に、感じていた寒気と重圧が消えた。
エデはため息をついて、行儀悪く頬杖をつく。過去に立ち入ろうとする無遠慮を許してくれたのは、言われなくても理解できていた。
「オルファ・テレジア。それがあいつの本名だけど、この意味わかる?」
「テレジア……。まさか、テレジア公爵家?」
「博識ね。あいつはそこの娘よ」
エデは頷く。
公爵家ということは、かつてこの国を治めていた王族と婚族関係だったのは間違いない。暇に任せて読み漁っていた資料には、ザザとの戦争で後継者を失ったと書かれていたが、エデの調子からすると事実はまったく違うようだ。
「私を殺さないのですか?」
「あなたが自分の名声みたいなもののためにオルファを使うなら。でも、そうじゃないんでしょ? あなたは心の底からあいつを慕っているみたいだから、人生で一回くらいはね」
そう言って、エデは手ずからお茶を注ぐ。
剣奴を言い換えるなら、死罪人。仮にも殺し合いが興行として成り立つのは、勝ち続けた先の恩赦という「慈悲」があるからだ。
オルファに、テレジア公爵家に、一体どんな事情が降りかかったのだ。今は穏やかに見えるこの国には、どんな感情が渦巻いていたのだろう。
「オルファに国を救うつもりなんかなかった。もちろん、英雄になるつもりもなかった。あいつが戦う羽目になったのは、何もかも、あたしのせいよ」
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