民草の罪暴く聖女
卯月スズカ
第1話 剣奴令嬢オルファ
今、この時代の英雄は誰か。そう尋ねられれば、誰もが断罪の聖女エデと、剣奴令嬢オルファの二人だと答えるだろう。
数年前までは侵略帝国ザザによって大陸中が戦火と無縁でいられなかった。私の祖国も侵略を受けてザザの属国になり、かつてはあったはずの歴史を含めた何もかもが消された。
エデとオルファはそんな戦乱の時代に現れて、侵略を止めた偉人だ。
エデは大陸の最大宗教にして宗教国家であるリタニア聖教の信仰者として、戦地で危険を顧みない救命活動を敵味方も問わずに行なったという。
さらにエデは、リタニアの上層部が犯していた罪を暴いた。孤児院の子供を売買していたことや、ザザの侵略を支援していたこと──隠されていた事実を暴き、当時のリタニアを機能停止に追い込んだ。最大の支援者だったリタニアを失ったことで、ザザも侵攻を続けられなくなったのだ。
いつしかエデは断罪の聖女と呼ばれるようになり、戦後はリタニアの宗主となって、権威が失墜してもなお数多の信者を抱えるリタニアの立て直しに奔走している。誰もが認める偉人だ。
侵攻を止めたもう一人の立役者、剣奴令嬢オルファといえば、英雄の呼び声高い。
かつては令嬢でありながら剣奴に堕とされて、けれど侵攻を受ける祖国のために立ち上がった憂国の士。
ただでさえ有名になる要素だらけなのに、そのうえ戦場では常勝無敗。ザザはオルファ一人に相当してやられたらしい。属国からの徴用兵たちが、オルファが戦場に現れたという情報一つで将校へ反旗を翻した逸話はどこでも聞く話の一つだ。
けれどある日、当たり前のことにふと気がついた。
剣奴令嬢。剣奴に堕ちた貴族令嬢でありながら、侵略を受けた祖国を救うために立ち上がったという女性。
レジスタンスたちの戦意に火をつけたオルファだが、彼女がどうして、自分をコロシアムの見世物にした祖国のために戦ったのか、その理由を誰も知らないのだ。
「オルファの居所を知りたいだぁ?」
「ええ。オルファへの取材を担当していたのは先輩でしたよね」
「そりゃそうだが……お前の入社前だってのによく知ってたな」
「調べました」
帝国の支配から抜け出してはや五年。情勢が落ち着いた頃から、私は新聞社で働いている。
テキストで生きていくことは、空想遊びを始めた幼い頃からの夢だった。新聞社での毎日は、私にとって無上の幸せで、なおかつ脳みそを騒がせる好奇心を満たす手段になってくれていた。
先輩は「まったく」とため息を吐きながら、使い込まれた手帳をデスクの奥から取り出した。
手帳がパラパラとめくられる。数回の繰り返しで先輩の手が止まって、私にも見えるように広げられた。
「今もここにいるかは保証できないぞ。それに、オルファのところに行っても記事なんざ書けない。オルファは何もしゃべらないからな。そのへんわかってるか?」
「はい、編集長にも言われました。紙面にはしないと。なので取材は休暇中に行おうかと」
「はあ……相変わらず酔狂な女だなぁ」
よく言われる。とりわけ親からはしょっちゅう言われた。そんな頑固じゃ上官に嫌われるわよ、とも従軍していた母が口を酸っぱくしていたのだ。オルファとエデへの感謝はいくら捧げても足りない。
先輩からオルファの住所を受け取る。
居所を知っていれば、オルファへの接触が難しくないことは業界の間では有名だ。簡単なのはあくまでも接触だけで、取材を受けることはないから、誰一人としてまともに記事を書けなかったという逸話もあるけれど。
住所を手帳に写して、先輩がくれたメモは財布にしまう。立ち去ろうとした間際、先輩は躊躇いがちに言った。
「それ、渡しといてなんだが、オルファのところに行きたいなら一つ覚えとけ。あの英雄は俺たち記者にとってはとんでもない厄ネタだ」
「厄ネタ、ですか」
「オルファの素性に突っ込もうとした記者が何人か行方不明になったって噂が一時期あったんだよ。まあ戦後すぐのことだし、実際のところはわからないが……」
「ああ、その話なら編集長にも教えてもらいました。でも、知りたいから行ってきます」
長期休暇をもぎ取れたのは二月後だった。
国から国への移動なので、移動時間を考えると、取材に費やせるのは六日が限界。
戦乱が落ち着くと、オルファが戦った動機を誰もが知りたがった。けれど結局、オルファは取材を歓迎しつつも、誰にも自分の心を告げなかった、らしい。
無駄足を踏んでいる自覚はある。それでも私はオルファという女性に会いたかったのだ。
多くの人を絶望から解放した英雄に。戦った動機すら口にしない剣奴令嬢に。
「初めまして。遠路はるばる、よくいらっしゃってくださいました。お疲れではありませんか?」
森にほど近い僻地の小さな家。にこやかに私を出迎えるのは、赤髪を腰まで伸ばした美しい女性だった。
「いいえ、お気遣いありがとうございます。私のような者も受け入れていただき、感謝しております、オルファさま」
「ふふ、敬称などいりませんよ。私はただのオルファですから。さ、こちらへ」
オルファの所作は一つ一つ、歩き方や姿勢、扉を閉める仕草すら丁寧で、思わず私も背筋を正してしまう。
目の前のオルファは令嬢というイメージを体現しているような女性だった。すれ違っただけでは間違いなく、彼女があのオルファだと気付くことはできないだろう。ましてや、剣奴という過去を察することなど不可能だ。
オルファの住まいは実に質素だった。生活に必要なものの他には何もない。生活感はあるのに、オルファという女性の気配を感じないのだ。
促されて椅子に座る。テーブルを挟んで対面に座るオルファは、変わらず微笑んでいる。
「さてと、私の昔話のことでしたね」
「ええ」
「ふふ、こうやって聞かれるのも久々です。──いいですよ、お好きに書いてください」
オルファが告げたのは、この上ない拒絶だった。
「……根も葉もないことを書かれようが、構わないのですか?」
「ええ。それがあなた方から見た真実ですから」
場をつなぐ誤魔化しに、オルファが出してくれた茶を口に含む。
そう、知っていた。先輩から聞いていた。
オルファは何も語らない。何を書いてもいいから、とすべての問いかけを拒絶してきた。自分自身が見た当時のことは、どうでもいいのだとまで告げて。
だから誰もオルファのことを知らないのだ。ゴシップ誌ですら、他誌との矛盾を恐れて記事を書けなかったらしい。
私を、私たちを、国を救った剣奴令嬢のことを、誰も知らない。どうして私たちを助けてくれたのか、知らないまま死んでいく。真実はいつか消えて、もしかしたらオルファの名前も残らないかもしれない。
……それが、私には耐えられなかった。
「私は名乗った通りの新聞記者です。ですが今回は、私があなたのことを知りたくてやってきました」
「あら、そうだったの?」
「はい、動機は私の好奇心です。そして、あなたに会えて知りたいことが増えました。このままではあなたが消えてしまう。オルファという女性はどこにも残らない。どうしてそれを肯定しているのか、知りたいんです」
「そう……」
口元に指を添える仕草。オルファは視線を宙に向けて、私を見ると微笑んだ。
「それはきっと、あなたが思う通りの理由ですよ」
やっぱり、わかってはいたが取り付く島もなかった。
首都に戻り、公園でサンドイッチを食べる。心地よい水音が響く公園のそばには、かつて血生臭い戦いが演じられたコロシアムが建っている。今は演劇やコンサートに使われているらしいが、公園で遊ぶ子供たちが「剣闘士ごっこ」をしているあたり、歴史は消えていないようだ。
「剣奴、令嬢」
オルファに会って、思い知った。
私はオルファのことを何も知らない。令嬢だったというオルファがなぜ剣奴に堕とされたのか、それすらも知らない。
だから、調べよう。
オルファとは何者なのか。知ったところで、オルファが何かを語ってくれることはないだろう。編集長や先輩が口にしていた失踪事件にも足を突っ込むことになるかもしれない。
けれど、過去を探るのは、オルファを知りたいと願った私の義務だ。
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