「23メートルの恋」Part2/2

 無人の改札口を通り抜けると、緑の山々が連なる田舎風の風景が広がっていた。

 目の前の道路には、たまに車が走っていくだけ。

 脇にある歩道には、俺の少し前を歩くヤツの姿があった。

 だけど平和だ、助かる。


 快適な歩道をしばらく道なりに進むと、ポツンとして店を構えているコンビニがあった。

 ヤツは立ち止まると、後ろを振り向くなり「私カフェオレ」と、笑顔で言い放つ。

 おいおい……買ってこいってことか?


「いや、自分で買ってこいよ」

「いいじゃん別に、私弓持ってるし。あとでお金払うから、冷たいやつね~〜」


 なんで俺が買うんだよ……確かにそんな長い弓を持って、コンビニに入るのは気が引けるんだろうけどよ。

 俺はため息をつくとコンビニへと入っていく。カフェオレとブラックコーヒーをそれぞれ両手で持ち、レジへと向かう。

 定員は相変わらず、いつものオバチャンだ。

 外で待つヤツをチラっと見るなり、俺に一言。


「あらやだ! あの子、彼女?」

「いや違う、妖怪キツネ女だ」

「ふふふ、な〜にーそれ? まぁいいわ、行ってらっしゃい。その絆創膏、かわいいわよ?」


 いつもながら気さくな人なので、こういった冗談も言える仲である。

 オバチャンは呪いの絆創膏を愛でると、笑顔で見送ってくれる。

 さっさと見学を終わらせて、早くとりたいんだけどな。

 店から出るなり、俺を待っていたヤツは、ニヤニヤしながら「何を話してたの?」と聞いてくる。


「お前の事だよ、彼女かよって茶化されたんだ」

「へぇ〜~~~」


 納得したのか、渡したカフェオレを受け取った。

 さっそく蓋を開け、グビグビと飲むその姿を見て、俺もコーヒーを一口飲む。


───そういえば、なんて名前なんだろうか?


「名前、何て言うんだ?」

「ん? そうだったね。私は〜〝さくら 彩音あやね〟」

「俺は、〝妖狐ようこたける〟だ」

「はいはい、じゃあタケル君って呼ぶね。つーわけで〜はやく行こ!」


 人に飲み物を買わせておきながら、ヤツはスタスタと歩き始めた。

 まだお金を貰ってないのだが、なぜか歩くスピードが速い。

 このまま踏み倒す気だろうか?


「お金……くそ!」


 俺はお金を渡す気のない、桜を追いかけた。


 * * *


 桜と一旦別れたあと、神社の入口である提灯ちょうちんが飾ってある門をくぐり、石の階段を登っていく。

 長い階段を登りきると、赤色に染まった鳥居風の門をくぐる。

 目の前にある神社の本殿を横切り、看板に「祈願受付け」と掲げられた建物へと向かう。

 受付けで暇そうに立っている、親戚の叔母に声をかけた。


「あら、武ちゃんね。バイトの事、聞いてるわよ!」

「すいません、その事なんですけど」


 事情を説明し、手伝えるのが少し遅くなる事を伝えた。

 叔母さんは俺をからかうように、それなら大丈夫、行ってきなさいと言ってくれたのだが……後から手伝いますと言ったものの、「今日は暇だから」との事。

 俺も身勝手かもしれないが、相変わらず叔母さんも身勝手だ。

 結局、今日のバイト代が無くなったことに肩を落とす。


 来た道を戻り、本殿の前を再び横切って、奥にある長い回廊を歩き始める。

 この神社の廻廊は、高低差がある坂を真っ直ぐと伸びているのが特徴的だ。結婚式の「前撮りや七五三」をするほど、人気なスポットだ。


 回廊を進んだ先にある、弓道場を目指す。

 ここの弓道場は予約さえすれば、一般の人でも使用する事が可能である。

 たまに試合をしたりしている事もあるらしいのだが、弓道に興味がない俺にとって、ほとんど行く事のない場所である。


───弓を使って矢を射るなんて、何が楽しいのか


 今日のバイト代を失った原因を作った桜に昼御飯は奢りたくない、とか考えながら回廊を下り、年季の入った弓道場へと向かう。


 道場の入口には、髪を縛り、弓と矢を手に持つ制服姿の桜がいた。

 なんでか樽みたいなわらに矢を射っているようだ。

 さきほどまで槍みたいだった弓が、三日月のように反っていて、弦が張ってある。

 こっちに気がつくなり「おーい」と、手を振ってくる。


 俺は回廊と弓道場の間にある芝生を横切る。

 何か、胸に板をつけているようだ。


「あぁこれ? 胸当てだよ。ほら、女の子ってコレがあるじゃん? 胸当てしないと、弦が引っ掻かって痛いんだ」


 自分の胸をツンツンしながら、黒い板の事を教えてくれる。

 聞いてもないのだが、とりあえず適当に相槌をうつ。


「あ、そうそう。私弓道着に着替えてから弓引くから、ちょっと時間かかるよ。ちなみに〜弓道の見どころなんだけど~」


───げ……また始まった。だから興味ないんだっての


 身振り手振りで謎の単語を喋り始めたので、適当に聞き流す。

 右から左へと……すると、解説がパシャリと止まり、なぜか俺は睨まれた。

 もしかすると、俺が聞き流している事に気がついたのかもしれない。左から右へと、先程の珍用語を気合いで引っ張り戻す。


「ちゃんと聞いてた? なんだか上の空みたいな顔してたけど」

「聞いてたよ」

「じゃあ、射法八節で一番気に入った言葉を教えて」


 しゃほうはっせつ? 

 なんだっけ……最後に言っていたのは確か……。


「ざ、ざんしん。ざんしんが気に入った」


 桜は疑い深いような目をしている。なるべくバレないように平常心を保つ。

 だが結局ため息を吐かれたのち、左手を「ひらひら」とさせる。

 話を聞いてない俺が悪いのだろうか?

 それにしても強情である。


 興味がないと言っている男に無理矢理話を聞かせ、聞いてないと分かったらその態度である。

 こやつは自分を中心に世界が回っているとでも思っているのだろうか?


「まぁ、一回じゃ覚えれないかもしれないね」

「ああ、その……最後の動作なんだっけ? ざんしんってのは」


 ひとまず、その言葉について尋ねてみる、もちろん興味はない。だが不機嫌そうなその態度をどうにかしてもらうために、俺ができる事といったらそのくらいしか思いつかない。

 桜は両手を大きく広げ、嬉しそうな顔になった。

  

「残心って言ってね、矢を射った後の姿の事よ。私はその時が一番好きなの! だってカッコいいもん!」


 残心。

 弓を引いた後の、自分の心を表す形のようだ。

 綺麗な形である事に、意味があるらしい。


───カッコいい? 弓道が?


 理解出来ない文言だが、弓を引く所を見れば分かるらしい。

 桜が道場に入っていくなり、言われた通り「回廊」へと向かった。

 ここからなら、弓を引く姿がよく見えるそうだ。

 

 道場に視線を向ける。

 澄んだ青空の下、陽気に照らされる古民家のような弓道場。

 ふわりと、涼しい風が吹いた。


 * * *


 バシュンッ―――パァーンッ!


 俺は回廊から芝生を横切り、背の低い植栽越しへと移動する。

 食い入る様に、弓を引く桜の姿を見つめていた。


───矢が放たれるたびに、自然と目で追いかけてしまう

   風を切り裂く音に、何かが破裂するようなその音

   それらの音色を聞くたびに、俺の心は何かに感化されていく

   今まで感じた事のない気持ち、躍動感に満たされていく


 3本目、カシュ―――――パァーン!    

 4本目、カシュン―――――パァァーン!


 音が鳴り止み、桜が弓を引き終えた。

 矢が飛んで行く到達点には、土が盛られている。茶色い斜面に置かれた、白黒模様の丸い的に刺さっているのは「合計で4本」全弾命中と言うのだろうか?


───俺も練習すれば、桜みたいに矢を飛ばせるのだろうか?


 無意識のうちに、拍手をしていた。

 そんな俺の様子を見てか、桜は美々しく微笑んだ。まるで心の底から喜んでいるかのように。

 道場に座り、茶色いグローブと胸当てを外すなり、こちらへと歩いてくる。

 もう、終わりなのだろうか?


「なんだ、もう終わったのか?」

「ちがうよ、矢取りだって〜〜」


 どうやら先ほど射った矢を回収するらしい。

 慣れた手つきで、刺さった矢を抜くと、こんな事を言ってきた。


「なんだか顔つきが違うけど、もしかして弓道に興味持った感じ?」

「そうだな、さっきまで興味がないって言ってたけど。今は俺も矢を飛ばしてみたいと思ってる」


 正直なところ、不思議な気持ちだった。

 なんでそう言ってしまったのか、でもこの気持は嘘じゃない。


「そうかそうか! よ〜し、第一関門かんもんを突破とする!」


 桜はお姫様みたいに、黒いスカートをふわりとさせる。クルっと回ってみせたあと、いきなり意味不明な事を言い出した。つか第一関門ってなんだ……俺は試練でも受けていたのか?


 そんな俺の心境は無視され、道場内に戻った桜は、弓と筒を取ってきた。

 盛られた土の前まで誘導され、俺に弓と矢を渡してくる。


「的からこんなに近いけど、あの場所からじゃないのか?」

「そうそう。いきなり私と同じ場所で引くのは流石に無理。でもここからなら引いても安全だから大丈夫。だいたい5メートルくらいかな?」

「そうなのか……」

「いいからいいから、弓道ってのはね、やってみないと楽しさが分からないもんだから!」


 俺は桜に教えてもらいながら、弓を引かせてもらう。この時ばかりは、この強情さも悪くないと思う。

 言われるがままに、左手で弓を持ち、右手の親指を除く4本で弦を引っ張ってみる。左肩くらいまで弦を引っ張ると、右手をグーからパーの形になるように動かしてみる。

 パス──俺の飛ばした矢は、芝生の上に刺さった。


「ええ!? まじかよ……もっと簡単だと思ったのに……」

「でしょでしょ!? 私も最初はそう思ってたんだけど、結構難しいんだよ〜。さっきのは左手が動いたからで〜コツはこうしてー」


 桜は俺の背後に立つなり、俺の腕を掴み、左手や右手を動かしてくる。

 少し距離が近いせいか、またあの石鹸のような香りが漂う。

 なんだか少し照れくさい気持ちになるのだが、教えてくれる桜の指示に従い、体を動かしていく。

 そしてもう一度、弦を引っ張り、手をパーにする――パス。

 よし、届いた!


「よし、刺さった!!」

「そうそう、そんな感じ!」


 今度は的の左くらいに矢が刺さる。

 さっきと違い、進歩した事に対して、俺は無意識のうちに喜んだ。

 なんだか桜も、楽しそうに笑っている。

 それから、俺の稽古は昼頃まで続いた。


 * * *


 稽古を終え、制服に着替えた桜が道場から出てくる。俺は回廊沿いの芝生へと座っていたのだが、そこから立ち上がった。どうやらこの道場の貸し出しは午前中だけだったらしく、桜が射った矢は4本のみ。後は俺の稽古に付き合ってくれたわけだ。


 あんなにも興味がないっと言っていた弓道だったが、俺がやりたいならと、桜は嫌な顔一つせず教えてくれた。弓を引くのも好きだし、教えるのも好きだからと、その性格に助けられた。

 

 結局、俺は的に矢を当てることは出来なかった。桜いわく、絶望的にセンスがないらしい。

 それはそうと、俺のワガママのために、桜が練習出来なかった事を謝った。


「いいのいいの! また私、練習しに来るからさ〜そんな事より、お昼ご馳走してもらうんだから、考え方によっては大収穫かも!!」

「ははは。まぁ稽古してもらったしな。何が食べたい?」

「あれあれ〜そんな事言っちゃっていいの!? よーし、そしたらね〜パスタがいい!!」


 賭けに負けた俺は、桜に昼飯を奢るために弓道場を去っていく。

 なんだかモヤモヤと、名残惜しい気持ちが胸を駆け巡る。

 申し訳程度の気持ちとして、桜が担いでいたリュックと矢筒は、駅まで俺が背負うと申し出た。ただ、弓だけは持っていたいらしく、その両手に握っている。


 そして駅へと向かう道中、神社沿いの道路を歩きながら、桜並木がある道を通るように提案する。駅に行くには少し遠回りになるのだが、桜は楽しそうに弓道の事を語っている。


───不思議と、その言葉が胸に響く


「でさ、その事を、皆中かいちゅうって言うのよ! 試合とかだと、み〜んな拍手してくれるの! その時の気持ちがもう最高でね〜」


 4本の矢に対し、それら全てを的にてる事を「皆中かいちゅう」そう言うらしい。

 相変わらず、容赦ない弓道用語だな。

 でも、昼飯を食べ終わったら……もう聞けない。

 ふと視線を横に向けると、ほどいた黒髪を左右に揺らす、桜の横顔。


「でもありがとね、私のワガママに付き合ってくれてさ!」

「あ、ああ」


 俺は立ち止まると、前を歩くその後ろ姿をじっと見つめた。

 周辺には、おしとやかに咲き乱れる、薄ピンクに染まった木々達。

 徐々に開いていく距離が、やけに遠く感じて。

 ご飯を食べたら、もう桜に会えない。


───風が吹いた。

   やっぱり、もっと一緒に居たい

   その時、俺の『心』は揺れ動く

   艶のある黒髪が、なびいた

   『その人』はこちらを向く 


「ん? 急に立ち止まってどうしたの? 早く行こうよ〜奢りは今日だけなんだから、観念しなさい!」

さくらは、4回的にてたんだから………あと3回、一緒にご飯食べに行けるよな?」

「―――え?」


 その春風は急に意地悪で、まるで旋風つむじかぜのようにしてその場に渦を巻く。

 長い黒髪が舞いあがり、ひらひらと舞う、春色の花びら。

 沈黙の時が流れて、その一瞬が、とてつもなく長く感じて。

 その距離に、ちょっとでも近づきたくて。


───和弓をギュっと抱えたその人は、照れ顔で


 俺はその隣へと、小走りに歩み寄った。

 頬を赤く染める桜はこう言った。


たける君……私の事は、彩音あやねで良いよ? ……なんか…なんか調子くるっちゃうな……」

「じゃあ! お昼御飯、お寿司にしないか? 美味しい店、知ってるんだよ!!」

「うん……、一緒に行こう!」


 俺は駅に向かいながら、楽しそうな彩音の話を聞いている。

 不思議と今は、いつまでも聞いていられそうだ。


 右の頬には「愛らしい狐の絆創膏」

 そして俺の隣には『愛らしい女性』


 こうして、弓道大好き少女、桜彩音とご飯を食べに行く事となる。

 それは3回でもなく、4回でもなく、数え切れない程にな。



                       【FiN】




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