弓道大好き少女と、興味ゼロの青年は出会う◉➶

「23メートルの恋」Part1/2

 そこには、まるで古民家のような弓道場があった。

 建物の骨組みは褐色した木材、その床には真新しい明るい色をした木のフローリング。


 解放感がある道場の中央には、凛々しい女性の姿があった。

 白い胴着に、まるでロングスカートのような黒い袴姿。

 涼し気な風に吹かれ、背中に垂れている黒色のポニーテールがゆらゆらと揺れている。


 彼女は背筋を伸ばし、左手に弓を握り持ち、右手には矢を持っている。その視線の先にあるのは丸い的。弓を引く場所から、狙う的までの距離は28m。


 俺はただ、神社の回廊からその少女を見ているだけだが、他に人がいないせいか、不思議と凛とした空気がこの場を包み込んでいる。

 今からあの丸い的に矢を射ると言っていたが、立っている姿勢は的と直角だ。

 やがて、彼女は背丈より長い弓を構えると、顔だけを左に向ける。


 弓を引くにつれ、伸ばした左手で持っている和弓わきゅうが反り返っていく。

 右手には茶色いグローブのようなものを着け、つるをゆっくりと引っ張っていく。


 ゴクリと、俺の喉が鳴った。

 弓を引いたまま静止した彼女の姿は、さっきまでの雰囲気とは真逆で、とても美しい。


『シュパンッ』と音が聴こえる。

 右手が弦から離れたあと、真っ直ぐに的と反対方向に伸びる。

 動きには迫力があり、そしてキレがあった。

 弦から飛び出した矢は、空気を裂くような音を鳴らし、その先にある丸い的へと飛んでいくと『ッパァーン』と風船が割れるような音が鳴る


――─的にあたったんだ


 放った黒色の矢は丸い的の中央、そのど真ん中に刺さっていた。

 俺は思わず目を見開き、無意識につぶやいてしまった。


「これが、弓道なのか?」


 彼女が矢をった後、視線は的を捉えたまま、両腕を真っ直ぐに広げている。堂々としていて、まるで心の芯を表現してるかのような、そんな姿だった。

 まるで、今からこの春空へと羽ばたいてしまう、遠くへ行ってしまうんじゃないかと、そう思ってしまうほどに。

 確か、さっき彼女はこう言っていた。


残心ざんしんって言ってね、矢を射った後の姿のこと。私はその時が1番好きなの!』


───だけど……届きそうもないこの距離感はなんなんだ?


 * * *


 時は数時間前まで遡る。

 俺がいつものように、なんの刺激もない朝を、迎えた時まで。

 それは、もうすぐ春が訪れようとする3月の下旬頃のことだった。


 *


 古ぼけたアパートの一室、いつものように気だるく布団から起き上がると、枕元に置いてある目覚まし時計で時間を確認する。

 現在時刻は7:00頃。


「外は晴れてていい天気だな。さて、準備するか」


 いつもなら身支度をし、大学へと通う準備をするのだが、現在は春休み中であるためその必要はない。つまり気持ちは最高というわけだ。

 俺は布団をたたみ、いつものようにやる気のないルーティンをこなしていく。


 お風呂場でシャワーを浴びながら、小綺麗な歯ブラシで歯を磨く。

 洗面所で髪を乾かし、短めの黒髪を無造作に乾かした後、少し上質な化粧水を肌につけ、スキンケア。あとは適当に整髪料を使い髪型を整える。

 最後に鏡でキメ顔をした後、乱雑な押し入れを開け、ラフな服装へと着替える。


「今日はまぁ、カジュアルでいいだろ」


 白いパーカーと黒いデニムへと着替えた。

 冷蔵庫にストックしてある冷凍パスタを温め、朝ごはんとする。

 無機質な机の前に座ったならば、容器に入ったままのパスタを箸でつかんで食う。食べながら思うのだが、冷凍食品とは便利なものであるとつくづく思う。俺のような貧乏学生が一人暮らしをする際の大いなる味方だ。


 今日も親戚の務める神社へと足を運んでバイトをする予定だ。別段、何かを信仰しているわけでもないのだが、暇であろう俺に声をかけてくれたわけである。内心、春休み中の短期バイトとしては非常に助かっている。


 バイト代がたまったら何に使おうか考えつつ、 朝食を済ませた。

 自室の戸締まりを確認し、家を出る。

 都市部にある駅を目指す。


 丸い噴水のある駅前を通り、混雑した改札口を通り抜け、目的のホームへと到着する。先程とは一転して、そこに人影はあまりなく、次の電車が来るまでの待ち時間もなかった。

 駅のホームに、アナウンスが流れる。


《まもなく、次の電車が到着します。黄色い線までお下がりになり、お待ちください》

 

「車内はガラガラだな、快適な出勤になりそうだ」


 土曜日の朝だからか通勤する社会人すらいない。電車に乗る人が少ないのは、人混みが嫌いな俺としては大助かりだ。

 車両に乗り込み、シートが破けた椅子へと腰掛ける。

 プルルルル――電車の発車を告げるベルの音が鳴るなり「待って、乗りまーす」といった女性の声が聞こえてきた。

 電車の扉が閉まる直前、少女が駆け込み乗車をして入ってくる。


「はぁ…はぁ…間に合った〜〜」


───間に合ってねぇよ、危ねぇだろ


 ガコンッ――電車が動きだした揺れで、その少女は姿勢を崩す。

 手には布に包んだ2m程の長いなにか。

 背中にはリュックと、黒い筒のようなものを背負っている。


「うわぁー!!」


 バシンッと音が鳴り、何かが顔面を直撃した。


「いでぇ!」


 棒のような硬いものが、勢いよく俺の顔面を叩きつけたらしい。

 ヒリヒリと痛む右頬をさすりながら視線を動かす。

 まったく、なんなんだコイツは。女子高生か?

 長い黒髪に白色のシャツ、深みのある赤いネクタイをつけ、チェック柄のスカートを履いている。

 床に転がっている棒のようなものを拾うなり、俺に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい!」

「いや、大した事ないから別にいいけど……それよりその棒みたいなのは何だ? 槍か?」

「へ、槍? ちがうちがう、これは弓!!」


 口を尖らせ「何言ってんの?」と言わんばかりの顔をするなり、これは布に包んだ弓だと言う。人の顔に棒をぶつけといて、その態度はどうかと思うが。

 コイツは俺の顔を見るなり、慌てて背中に背負ったリュックから絆創膏を取り出す。

 その様子に右手を見てみたが、血などはついていない。


「いや、絆創膏とかいらんだろ。別に血はついてないぞ?」

「いいのいいの! 最近ね、かぁわいい〜絆創膏買ったから、貼りたいだけ。少し切り傷にはなっているしね」


 するとコイツは俺の右頬に絆創膏を貼ってきやがった……。

 手で触った感じ、一般的なサイズのようだが、やたらニコニコとしている。どんな絆創膏を貼ったのか訪ねたところ、はにかんだ笑顔で「ないしょ!」と一言。しかも弓を持っているせいか、吊り革も持たずその場に立ったまま。

 パッチリ二重の大きな目で、やたら俺の顔をジロジロと見てくる。

 なんだコイツ……変人か? 


「おい……なんだ? 俺の顔に何かついてんの?」

「ん〜〜鼻毛出てるよ?」

「なにっ!? そんなはずはない、朝確認した時は出てねぇ!」


 コイツはポケットから小さな折りたたみ式の手鏡を取り出すと、俺に手渡してくる。

 それを受け取るなり、俺は自分の鼻下を確認する。やはり鼻毛なんて出てない、毎朝のチェックは入念にしてるからな。


──ただ、鏡に映ったのは。

  愛らしいきつねが描かれた、絆創膏だった。

 

 *


 あの後、人の顔に弓をぶつけたコイツと一悶着あったのだが、結局「君は私より年上なんだし、まぁいいじゃん」の一言で終わる事となる。

 コイツは現在、俺の正面へと立ったまま電車に揺られているわけだが。目的地は俺と同じ神社らしい。「じゃあ、これは何かの運命ね!」とか言っているが、正直興味がない。

 仮にこれが運命なのだとしても、コイツとはバットエンドだろうと思う。


「さっきから何? まだ怒ってんの〜〜? ねちっこい男は嫌われるよ?」

「……なんでこの絆創膏取ったら駄目なんだ? 恥ずかしいだろ」

「とったら駄目、もったいないでしょ! 珍しい奴を貼ってあげたんだから、感謝しなさい!」


 このように強情であり、身勝手な理屈で絆創膏を外す事を認めてくれないからだ。

 俺はため息をつくと、背丈より長い棒を眺めた。

 花柄のような布が巻かれた弓。

 リュックには丸いドーナツのような何か、茶色い糸みたいなものがグルグルと巻かれている。

 俺の視線に気がついたのか、ニヤリと笑った。


「あら〜もしかして弓具に興味ある感じ? 顔にそう書いてあるよ。仕方ないな~じゃあ教えてあげる♪」

「いや………」


 何やら嬉しそうな顔で、頼んでもいないのにあれこれと解説が始まった。

 その話術は、まるで通信販売でも聞いているかのようだ。 

 次々と俺の知らない言葉が飛び交う。


 *


 『和弓わきゅう』、通称「弓」と呼ぶ。布に包んでいる理由は弓の保護、つまり収納している状態らしい。


 『つる』、ドーナツのような形をしたそれは「弦巻つるまき」と呼ばれる専用のケースらしい。その中に巻かれた弦を、弓に張るそうだ。基本的に予備の弦をそれに入れておくらしい。


 『ゆがけ』、通称「かけ」弓に張った弦を引っ張る際、右手に着用する茶色いグローブのようなもの。親指の部分だけ硬い素材で出来ていて、弦を引っ掛ける溝があるのだそうだ。基本的にその溝に引っ掛け、弓を引くらしい。


 『矢筒やづつ』、黒い円柱の形をした筒は、矢を入れる専用のケースらしい。中には8本程入っているとの事。


 *


「ぺらぺーら、ぺらぺーらぺらぺら」

「……もういいって。俺は興味ないし」


 その言葉を聞いて、コイツは突然眉をしかめた。

 そんな顔をされても、興味がないのだから仕方ない。

 すると、神社の弓道場で弓を引くから、見ていきなさいとの事。

 なんで俺が見ていかないと駄目なんだよ……意味わからん。

 面倒なので、曖昧な返事をした。


「あのね~よし分かった! じゃあ私と賭けをしない? 私が弓を引いて、的から矢を外したらその絆創膏取っていいよ」

「的に当てたら?」

「う〜ん、じゃあ昼御飯奢って」


───なんだよそれ。それが賭けになるのか? 得する事ねぇし


 道具の解説トークが再びはじまる、興味ないと言っているのに。

 でも、本当に弓道が好きなのは伝わってくる。楽しそうに話すその姿にも、不快に感じる気持ちはない。本当に弓道が好きなんだろうな。


《まもなく〜○○駅〜○○駅〜。降り口は左側でございま〜す》


「あ、もうすぐ到着するみたい。今度は弓を落としたりしないようにしなきゃね」


 今度は停車する衝撃に備えるためか、コイツは両腕で弓を抱えると、降り口の扉へと振り向いた。そのとき、俺の鼻を刺激するように、華やかな香りが漂った。


「……………」


 シャンプーなのだろうか?

 香水のような香りではない。


 といっても、もう漂ってこないので確認しようがないのだが。

 駅に停車するなり、ドアが開く。

 艶のある黒髪を小さく揺らしながら、降車していった。


「髪……綺麗だな」


 それはまるで、先程まで無関心だった俺の気持ちが揺れたかのように、錯覚したのだった。


 

 

 


 


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