第29話:策謀に向いてない



「できた……」


 今、俺の手にはシュワシュワと小さな泡が浮かぶ特製ハイボールの入ったグラスがある。

 二酸化炭素を操作して液体に溶け込ませる――風魔法の応用でいけるんじゃないかと思ったけど本当に出来てしまった。


「ミヤシタ、それは何だ?」


 アンバーがたずねてくる。


「酒の炭酸割りです」


「炭酸……? ああ、パチパチするやつか。ビールや一部のワインにある」


「そう、それです。それの水バージョンです」


「水? あれは発酵する過程で発生するものだろう。水がパチパチするなど初めて聞くのだが」


 初めて?

 自然界にも炭酸水はあるはずだけど……。

 あぁ、そうか。

 この世界の人達は水魔法でいつでも清潔な水が飲めるから、わざわざその辺の湧き水を飲むなんて危険な事はしないんだ。

 だから自然の炭酸水に気付かず今まで来た、と。そういう事かな。

 それに、魔物が跋扈する世界だからそういう場所を発見しづらいのもあるかもしれない。


「良かったら飲んでみます?」


「いいのか?」


 頷いてグラスを差し出す。

 アンバーはおそるおそる口をつけ、一口飲んで目を見開いた。


「……美味しい」


「氷を入れたらもっと美味しいですよ」


 こっちでは炭酸系の飲み物はそれほど一般的じゃないようだ。

 後でサイダーでも作ってローラに飲ませてみようかな。面白い反応が見れそう。


「――ミヤシタ。お前はいったい何なんだ?」


 アンバーはグラスを置いてこちらに向き直る。

 俺は答えた。

 

「ただの迷子です」


「いや、迷子って」

 

 何も間違っちゃいない。突然異世界に迷い込んでしまった一般人だ。

 幸運に幸運を重ねて生き延びてきたけど、これから何をしていこうとか特に考えてない。大志もなければ夢もない。

 ただ生きるために出来る事をしようと思っているだけの、日本にいた時と何も変わらない適当でしょうもない人間。

 

「お前がただの迷子な訳あるか。妙な魔法を使い、子供のふりをしてオーロラ様の近くへ潜り込んで病を治し、その上で弟に至宝を渡して領地を引っ掻き回して――。いや、本当に分からないな。もしもお前がどこぞの間者であればオーロラ様もわたくしも、思い通りに出来るチャンスなどいくらでもあったはずだ。しかしお前の行動を見る限りどうも稚拙で、行き当たりばったりに動いているようにしか見えない……。お前はいったい何者なんだ? ここへは何の目的で来た?」


 目的なんて、無い。

 本当に無い。強いて言うなら自分が安全に暮らせる場所は確保したいとかそういうのはあるけど、ここに来た理由ではない。

 俺だってここに来た理由なんて知らない。


「……本当に、迷子なんですよ」


 そう言うと、アンバーは少し困ったような顔をした。

 

「それは……人生の、という意味か?」


 違うわ!

 

 ……いや、でもそうかもしれない。

 目的地もなく行き当たりばったりで目の前のことだけ対処していく。

 これが人生の迷子でなくてなんなのか。

 なんてこった。俺は異世界に来る前から迷子だったのか。

 齢25、この年になって芯のない男だったと気付かされるなんて……世界はなんて残酷なんだ。

 

「まぁ……ミヤシタの言うことは分からんでもないが。しかし、人生の目的がある奴の方が少数派だろう。大多数の者は小さくて身近なこと――例えば好意を抱いた相手とお近付きになりたいとか、金を手に入れて美味いものを思い切り食べたいとかそういう事を目的に生きているはずだ。わたくしはそれで良いと思っているし、大多数の者も同じ。なんのために生きてるかなんて考えるだけ無駄だ。なぜなら、そんなモノは初めから存在しないのだからな」


 ぐいっと俺のハイボールを飲みながらアンバーは言う。

 さすが40歳。悟りを開いてるな。

 

「それに――ミヤシタ。お前は一見おとなしそうに見えるが、実のところ平穏に生きがいを見い出すタイプではないと見た。どうだ? お前は普段、集団から浮きがちではないか?」


 急に悪口言ってきた。

 脈絡なさすぎて面食らう。

 

「失礼な。一応溶け込むくらいできますよ」


「一応、だろう? それは学習して得た処世術であって、お前が持って生まれた本来の性質ではない。わたくしの経験上、集団に混ざることで与えられる平穏というものに満足できない奴は一定数いて、そういう奴は大多数の人間からすると信じられないようなモノに生きがいを見い出しがちだ」


「信じられないようなモノ?」


「ああ。例えば――そうだな。水の流れを日がな1日眺めたり、虫を解体して体の構造を確かめたり、命を削るようなギリギリの戦いに没頭したりとかだな。こういう奴らに“常識”とか“平穏”を与えると、何故か病んでしまうのだよ。病んでいる自覚がなくとも心が静かに死んでいく。やがて“人はなぜ生きるのか”とか言い出したりして、そうなると限界が近い」


「あ、ちょっと分かる」


「そうだろう? だからお前は平穏に生きるのが性に合わないだろうと思ったのだよ、ミヤシタ」


 アンバーは少し頬を赤らめ、くっくっと笑った。

 酒が回り出しているようだ。


「それで、だ。改めて問う。お前、わたくしの元でその力を存分に振るうつもりはないか? 迷子で帰る場所が無いのなら、作れば良いのだ。お前の帰る場所を」


 俺の――帰る場所を作る?

 何を言い出すんだ、この人は。


「それって、あなたの領地を好きにして良いって言ってるんですか?」


「まさか。ここはわたくしの土地だ。お前に好き放題させる訳がないだろう。わたくしが言っているのは、コレだ」


 そう言って手元に極上魔石を出現させた。


「……それが何か?」


「分かっていないのか? まぁ、無理もないか。コレが真価を発揮する事などそう無いからな。……いいだろう。ミヤシタ、ついて来い。見せてやる。領主以上の立場を持つ者だけが使う事を許された、こいつが国宝と言われる由縁の力を」


「はぁ」


 ぐいとハイボールを飲み干したアンバーに連れられて、俺は城の一番高い尖塔の屋根の上に立った。

 怖い。でも気持ち良い。

 夜風が冷たくて、丘の上に立つこの城の視界を遮るものはなく星がたくさん見えるし、遠くまで見通せる。

 俺の隣に立つアンバーは城壁の向こう、遠くの平原を指さして言った。

 

「ふむ……あの辺りにするか」


「何が?」


「新しい町だよ」


「新しい町!?」


 え……まさか、その魔石の力であの平原に町を作ろうってのか!?

 

 そのまさかだったようで、俺が見ている前で彼女は魔石を天に掲げ口を開いた。

 

「天にまします我らがアストラ神よ。人が再び神域を侵す事をお許し下さい。――『天地創造』」


 ふわ、と魔石が浮かび上がり、次の瞬間太陽かと錯覚するような眩い光を放った。

 あまりの眩しさに目を細めると魔石は彗星みたいに光を放ちながら平原へと向かって飛び、地面に着弾すると同時に広範囲へ光を散らして城壁の形を描き出していく。

 今ある城壁にくっついた形の城壁が光で描かれ、その軌跡に沿って新たな城壁が現れる。

 さっきまで何もなかった土地は一瞬にして丸く囲われてしまった。


「す、すげぇ」


 こうやって城壁都市を作っていたのか!

 デカいぞ、あれ。半径何キロかは分からないけど、このミラリア城を擁する城壁都市と同じくらいの面積はありそうだ。

 

「どうだ。これが極上魔石の最も正しい使い方だ。自身の強化に使ったりだとか、ルーン武器の材料にしたりだとか。本来はそんな小さな事に使っていいモノではない」


 アンバーが得意げにこっちを見て笑っている。

 

「今は壁だけのがらんどうだが、これから道を作り建物を作り、人を育て、この領地を富ませていく。お前、やってみたくはないか? 私の下で町の開発を。イチから」

 

 やってみたくはないかって?

 そんなの。


「――やってみたいに決まってる」


「よし、決まりだな」

 

 でも、どうして。


「……なぜ、俺なんですか?」


「答えは単純。お前がくれた石で作った町だからだ」


「単純すぎません? その程度の理由で大きな仕事を任せるなんて……もし俺が間者だったらどうするんです?」


「ふっ。その点は対策済みだ。抜かりないぞ。実はさっきの酒に契約を司るオミナエシの蜜を密かに混ぜておいたのだ! あれを飲み交わして行った契約は絶対に裏切る事が出来ない。つまり、ミヤシタは永遠にわたくしの下で」


「俺、まだ飲んでないんだけど……」


「え? ……あっ」


 しまった、という顔をするアンバー。

 さっき全部自分で飲みましたよね。

 

 大丈夫か、この人。


 

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