第26話:アンバー様が「この者、決して手放さぬ」と決心した日


 慣れた自分に戻った俺はいくらか落ち着きを取り戻し、大小さまざまながれきを使ってテコの原理を利用し魔剣をへし折ることに成功した。

 折れた魔剣ニィドは徐々に光を失い、やがて完全に沈黙する。


「ふぅ……。みんな、大丈夫か?」


 静まり返った食堂跡地で辺りを見回す。しかし全員気絶しているようで反応がない。

 魔素は――俺が拒絶反応を起こしていない以上、まだ全然薄いのだろう。どのくらいで戻るのかな……っていうかみんなこのままで大丈夫かな。いや大丈夫じゃないな。

 魔素の事だけじゃなくて建物も崩れかかってる。危ない。

 外に運び出すか。


 まずはシスターを、と思った瞬間、俺は自分が素っ裸だった事に気付いた。

 あ、あぶねー! 崩壊しかけた児童保護施設でせっせと働く全裸成人男性……事案なんてもんじゃない。何か着なければ。

 確か――メモ帳とペンを使った時に、ついでに転移してきた時に着てた服(スーツ)と鞄を収納魔法に入れたっけ。

 

 試しに収納魔法を呼び出すと無事に作動してくれた。

 さすが、ものを隠すことを覚えたくらいの赤ん坊でも使える基本の生活魔法。ごく僅かな魔素でも使用可能らしい。


 取り急ぎワイシャツとズボンだけ取り出して身に着ける。ワイシャツのボタンを2~3個、適当に留めてすぐにシスターのところに向かった。

 

 倒れているシスターの前にしゃがみ込み、彼女を持ち上げるべく腕を柔らかな体の下に差し込む。

 幼児化している時はすごく大人の女性に見えてたけど……こうして見ると小柄で、美人ってより可愛いな(美人なことに変わりはないが)。

 自分の体格によってこうも見え方が変わるもんなのか。

 不思議だ。


 ぐっ、と持ち上げようとした時、ふと喉に違和感を感じた。

 例えようのない異物感。初めてこの世界の空気を吸い込んだ時に感じた、劇物の感触。

 ――あ、まずい。

 魔素の濃度が高くなってきたんだ。

 このままだと(俺だけ)死ぬ。せっかく服を着こんだが、やはり子供サイズになるしかないのか。

 その時、間の悪い事にシスターのまぶたがふるりと動き、ゆっくりと開いた。

 目覚めてしまったらしい。


「――う……ん……」

 

 ぼんやりとしていた目つきはすぐに焦点が合い、俺ともバッチリ目が合ってしまった。

 

「……あなたは……?」

 

「えーと……」


 なんと答えるべきか。

 この姿では初対面だ。ヒロムです、って言ったらなんて反応するかな。

 ……驚くだろうが、それ以上に怒りそうだな。

 

 子供だからという理由で湯浴みのお手伝いをさせて頂いた記憶が甦る。

 言ったら、あかん。

 

 そうこうしている間にも喉のピリピリが肺の方にまで進行していく。

 極限まで呼吸を減らしているが、このままでは魔素に殺られてしまう。


「……名乗るほどの者じゃありません。無事で良かったです。じゃ、俺はこれで」


「あ、待って下さい! せめてお名前だけでも」

 

 言えない……!

 そそくさと立ち去ろうとした時、これまた間の悪い事にサージェントオークがズゴゴゴ……と音を立てて体を起こした。

 奴も起きたらしい。

 クソ、なんでこんな時に!


 立ち去る訳にはいかなくなった俺はシスターを背後に隠し、サージェントオークに向き合った。

 奴はふしゅー、ふしゅー、と呼吸を繰り返し、ふっと俺に目を向けてくる。


「ウガアァァァ!!」


 その瞬間戦闘意欲を爆発させたかのように立ち上がり突進してきた。

 対処しなきゃいけないが、間の悪い事は重なるもので。俺の肺で魔素の拒絶反応が起こり出血が始まった。咳き込んで血を吐き出す。


「だ、大丈夫ですか!?」


 こんな時なのにシスターは俺の心配をしてくれる。

 優しい。やっぱり俺、この人が好きだ。

 

「平気です」

 

 嘘だ。

 もはや一刻の猶予もない。


 サージェントオークが目前に迫り巨大な棍棒を振りかぶる。

 俺は右手を前に出し「おかえり」と言った。

 棍棒が触れた瞬間、シュン、とサージェントオークが俺の中に収納されていく。

 しかし無事かというとそうでもなく、触れたあの一瞬で奴は相当な衝撃を残していき俺は野球のバットで打たれたボールのごとく弾き飛ばされてしまった。


「きゃあああーっ!!」


 がれきの隙間に突っ込んだ俺の耳にシスターの悲鳴が響く。

 全身はバキバキだし魔素の拒絶反応も起きてるし、もう一歩も動けない。

 しかしチャンスだ。体内の魔素を縮めるなら、がれきに隠れている今しかない。


「ゲホッ!」


 血を吐き出しながらもなんとか魔素に『縮め』と命令すると、体内の異物達が一気に縮んでいった。それに引っ張られるように俺の体も縮んでいく。

 

「――ふぅ」

 

 危なかった。

 拒絶反応はおさまった。が……。

 また幼児化してしまったんだな。

 

 うつ伏せに倒れたまま、ぷにぷにの小さい手を目の前にかざして複雑な感情に浸る。

 ま、いいか。

 なにごとも生きていればこそ、だ。

 

 力を抜いて手をぱたんと床に置く。

 

 ……ん?


 床じゃ……ない。


 今さらだが自分の倒れている場所に違和感があった。

 柔らかい。

 そして温かい。

 呼吸しているみたいに上下しているし、それに何より今、俺が置いた手のひらの下にある丸いものは――もしや、おっぱ……


 顔を上げると、目の前にはアンバーさんのご尊顔があった。

 気のせいかさっきより顔が若くなった彼女は赤い瞳の目をまん丸くして、俺の顔を凝視している。


「ミヤシタ、あんた――」


 なんということだ。俺は彼女の腹の上にいたらしい。

 どうやら棍棒で殴り飛ばされた俺を受け止めてくれていたようだ。

 そうか、だから俺、あんな交通事故みたいな攻撃を受けたのに生きてるんだ。

 えーとつまり俺は……彼女に助けられ、彼女の腹の上で幼児化した上に、おっぱいまでわし掴みにしたってコト……!?

 

「ワ、ワァァ」

 

 一瞬で血の気が引いて体を起こした――が、アンバーは乳のことなど何も気にしていないようで俺の肩を掴み顔を覗き込んでくる。

 

「あんた今、大人から子供になったよね!?」


「しーっ!!」


 大きい声で言わないで!!

 シスターに聞かれたらどうすんだ!


「あのっ、大丈夫ですか!?」


 ぱたぱたとシスターが駆けてきて、がれきの向こうからひょこっと顔を出した。

 重なって倒れている俺達を見て「あらっ? ヒロムとアンバー様? ……さっきの男の人はどこに?」と不思議そうに辺りを見回す。

 アンバーはチラ、と俺を見て「……そいつなら先ほどそこの横穴から出て行ったぞ。ここにいいるのはわたくしとミヤシタだけだ」と、話を合わせてくれた。そこの横穴とはグレゴリオが襲撃してきた際に壁に開けた大穴のことだ。


「あら、そうなのですか? ……残念ですね。見ず知らずの私達を命がけで助けてくれたのに、お礼のひとつもできないなんて」


 そう言って手を祈りの時みたいに組み合わせ、潤んだ瞳で横穴を見つめる。


「あのお方、きっと大怪我をしているけれど……大丈夫かしら」


 アンバーは俺を腹の上に乗せたまま、ふっと笑った。

 

「大丈夫のようだぞ。おそらく骨がいくつかイっているだろうが、そのくらいなら治癒魔法と少しの療養ですぐに治せる」


 あ、そうなの?

 治癒魔法か。ポーション治癒するのとはまた違うのかな。

 多分白魔法に分類されるんだろうけど……。

 

 ……あ。いかん。

 ホッとしたら意識が遠くなってきた。

 まだ、終わってないのに。

 寝る訳には……いかない、のに……。


 頭上ではアンバーとシスターの会話が続く。

 

「でも、治癒魔法なんて希少な魔法……白魔石すらなかなか見つからないではありませんか」


「そう思うだろう? でもな、フューシャ。これを見ろ」


 そう言って手のひらの上に極上魔石を出現させる。

 さっき俺が彼女に渡したやつだ。

 息を呑むシスター。

 

「まぁ……! それがあれば欠損でも瀕死でも完璧に治癒できますね。でも……どうしてかしら。昨日からやたらとその至宝を目にするのですが」


「さあな……。奇跡を起こす人物が現れたのだろうよ。我々のすぐ近くに、な」


 奇跡?

 そんなんじゃないって。

 俺はただ……この世界で生き残るために必死だっただけだ。

 そう思うが声が出ない。手足に力も入らない。

 

「……おや? ミヤシタは気絶してしまったようだな。……フューシャ、お前にこの魔石を預ける。ミヤシタに治癒魔法を施してやってくれ。こいつもひどい怪我をしている」


「は、はい! ……あら? アンバー様……なんだか……お若くなっていませんか?」


「む? そうか? ……言われてみれば、そうだな。力がみなぎる感じがする」


 そう言って彼女は起き上がり、俺を抱き上げてシスターに渡した。

 うっすら目を開けて見ると、アンバーは収納魔法の中から綺麗な装飾の手鏡を取り出して自らの顔を映していた。

 やっぱりそうだよな。若返ってるよな。

 気のせいじゃなかった。

 もしかして……俺のせい?

 

「……あぁ、本当だ。これはわたくしが20歳の頃の顔ではないか。もしや、さっきミヤシタに巻き込まれたのか……?」


「え? ヒロムが何かしたのですか?」


「いや、なんでもない。……なんということだ。これは、絶対に手放してはならぬな。……フューシャ。ミヤシタの治癒を頼んだぞ。わたくしはひとまず身内の落とし前をつけてくる」

 

 そう呟き、彼女はコツ、コツ、と踵の音を響かせ、食堂跡の真ん中に向かっていく。


「――おい。聞こえるか。グレゴリオ」


 うつ伏せに倒れている弟を足で転がし、仰向けにする。

 

「うぅ……」


「今からお前を捕縛する。抵抗しても無駄だぞ。ニィドは既に破壊した」


 ふと、体の中に温かな力が流れ込んできて目線をシスターに向ける。

 彼女は極上魔石を手に目を閉じ、祈っている最中だった。

 俺の体の痛みが消えていく。――治癒魔法を使ってくれたようだ。

 目を開けたシスターは俺の視線に気付き、「目が覚めたのね、ヒロム。よかった」と言った。


 「……あら。ヒロムあなた、あのお方に少し似ているわね」


 あのお方って……もしかして、俺のこと? 似てるもなにも本人だよ。

 しかし、こんなこと言える訳がない。


「素敵な方だった……。またお会いしたいわ。今からでも追いかけた方が良いかしら」

 

 エェー!? ほんとですかシスター!?

 追いかけなくてもいいですよここにいますから!

 

 でも、うっとりした目で壁の穴を見つめるシスターに俺は「行かない方が良いですよ」としか言えなかった。だってヘタレだから! それ俺ですなんて、今さら言えない!!

 

「そうね……。アンバー様からお預かりした魔石を持って無断で出て行くのは良くないわよね。アンバー様のご用が済んだら、お許しをもらってあのお方を探しに行かなくちゃ」

 

 俺は苦笑いを浮かべ、シスターから目を逸らした。


 

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