第25話:マッパ


『ヒロムくん。きえたミニオーク、どこにいっちゃったんだろーね?』


 草原から帰る途中、ローラはそう言った。『その子達なら今俺の中に収納されてるよ』と本当のことを言うと『えー? うそだぁ! いきものは入らないでしょ?』と言って笑った。

『そうなの?』

『うん。じょーしきだよ?』

 そうなのか。

 魔法百科にはその辺りの事は特に書かれていなかったが、常識すぎてあえて記述を省かれたのかな。

 

 ローラも魔素直通方式を覚えた方がいいんじゃないかなと思っているが……やはり魔法を使おうとすると体内の魔力が真っ先に反応するのと、この先入観があるのとでなかなか難しいのかもしれない。


『おにく、たのしみだねぇ』


 5歳児はもうミニオークの話題から離れ、夜ごはんの話をしている。

 

『そうだな。お腹いっぱい食べなさい』

『うん!』

 

 ローラと話しているとつい視点がおじいちゃんになる。

 ニッコニコのローラにつられて俺もニッコニコになった。

 こっちに来てから今が一番ほのぼのしてる。

 あの時はまさかこんな展開を迎えるなんて、予想もしていなかった――。


 

「う、うわああああ!!!」


 グレゴリオの叫び声が聞こえる。

 

「サ、サージェントオークじゃないか! 魔界の魔物がなぜこんな町中に!?」

 

「ウガアアアアァァ!!!」


 サージェントオークはその巨大さから足踏みをするだけで床を踏み壊し、砂煙を上げて視界を奪う。

 手には人間の大人ほどありそうな棍棒を持っていて、そいつを無造作に振り回し孤児院の天井や壁を壊す。

 まるで砂の城を崩して遊ぶガキのようだ。体格もそうだが、ミニオークとは凶悪度合いが全然違う。ミニからたった2つ格が上がるだけでここまでパワーアップするとは……。ちょっとやりすぎたかもしれない。

 しかし、ミニオークの時からそうだったが、こいつはパワー系突進が得意――裏を返せば左右と背後には注意が向きにくい種族らしく、今のところ目の前にいるグレゴリオ以外には注意が向いていない様子。

 視界に入らなければしばらくはやり過ごせそうだ。

 

「な、なんで……こんなのが突然」

 

 シスターは数歩後ずさって尻もちをついた。腰を抜かしてしまったらしい。


「しっかりしてくださいシスター! 立てますか?」

 

「う、うん……がんばる」


 手を取って立たせようとするが彼女の膝が笑ってしまっていてうまくいかない。

 身長が足りていれば支えられたのに……! くやしい。

 

「――おい、ミヤシタ」


 砂埃の向こうから細かい傷だらけのアンバーがぬっと現れて、俺の頭をわしづかみにした。


「……なんでしょう」


 グリッとアンバーの方に顔を向けさせられた。

 彼女は俺に顔を近付け、目をしっかりと合わせてくる。

 

「あれはミヤシタがやったのか?」

 

 これはアレだ。正直に答えない方がいいやつだ。

 

「まさか。そんな訳ないじゃないですか。収納魔法に魔物は入らない、常識でしょ?」


「わたくしは収納魔法で持ち込んだろうとは一言も言ってないのだけどね」


「」


 何も言い返せなかった。

 

「……まあいい。正直、助かった。今はあのサージェントオークの背後に身を隠し、奴がグレゴリオを弱らせたところでわたくしがとどめを刺そう」


「卑怯ですね」


 ああしまった。つい余計なことを!

 さっきから俺はアンバー相手だとつい言わなくていいようなことを言ってしまう。

 もしかしたら相性的なものかもしれないが、なんか許してくれそうな空気を持ってるんだよな、この人。

 感じていた通り、彼女は俺のド失礼を特に気にした様子もなく目をサージェントオークに向けながら手元にポーションの瓶を出現させる。


「言っただろう。手段は選ばぬと。敬意を払うべき相手なら正々堂々の勝負もしようが、あいつが相手ではな。わたくしのプライドの無駄遣いだ。」


 そう言いながらポーションを腿の傷にかけ流し、素早く治癒を済ませた。

 プライドの無駄遣い……プライドって相手次第で使い分けるもんか?

 この人、プライドの使いどころが俺とはちょっと違うようだ。

 

「……ときにミヤシタ。念のために聞いておくが。あのサージェントオークはお前の命令を聞くのか?」


「いえ。特にそういったアレはないと思います」


 試してないからな。

 でも聞かないんじゃないかな。


「と思う? 試したのか?」


「……いえ。試してはいません。ただの予想です」


 するとアンバーは小さくため息をついた。

 

「話にならんな。ちょうど良いから試してみろ。今、ここで」


「今? ここで?」


 こく、と頷かれた。

 あんまりこっちに注意を引きたくないんだけど……。

 ……仕方ない。やってみるか。

 でもどっちに話しかけたらいいんだ? 魔物に? それとも魔素に?

 悩んだ末、ひとまず魔物に語り掛けることにしてみた。

 

「えーと……なんて命令します?」


「そうだな。グレゴリオの手からニィドを奪い取れ、とでも言ってもらおうか」


「分かりました」


 アンバーの要望通りの言葉を魔物――サージェントオークに伝えてみる。

 しかし、サージェントオークは逃げ回るグレゴリオに向かって大雑把な攻撃を仕掛けるばかりで命令に反応している雰囲気は皆無だった。


「だめみたいですね」


「声が小さすぎたのではないか? ミヤシタは意外と小心者なのだな。もう一回、ちゃんと聞こえるように言ってみよ」


「分かりましたよ」


 抜け目のないババアだな。

 俺は息を大きく吸い込み、サージェントオークに向かって「魔剣ニィドを奪い取れ!」と命令してみた。すると――


「ウ? ……ガァァァ……!?」


 意に反した動きを体が勝手にしている、とでもいった様子で、歯を剥き出しにしてまるで納得していない表情のまま何かに操られている人形みたいに棍棒を手離し、その巨大な手をゴリオに向かって伸ばした。

 

 命令を聞いた……!?

 いやでもものすごく納得してない顔してるんだけど……!?

 

「ほう……?」


 腕組みをして見ていたアンバーが興味深そうに片眉を上げた。

 

「うわあああ!! 寄るな!! クソがっ!!」

 

 グレゴリオは魔法で応戦し、サージェントオークの手のひらに向かって鎌鼬を放った。

 鎌鼬はサージェントオークの指を一本飛ばしたものの、それで止めるには至らずニィドを持った腕ごと鷲掴みにされてしまう。

 

「ヒイィィッ!! 痛っ! いたたたた離せこの無礼者!!」


 必死の形相でニィドを振り回し、抵抗するグレゴリオ。しかし斬りつけてもサージェントオークが弱った様子は窺えない。

 

 極上魔石を持ち、身体強化をしていてもそれほど戦闘力が上がったように見えないんだが。

 あの魔石、国宝級って言ってもそんなもんなのか?

 

「アンバー様。極上魔石があっても戦闘で押されるってことあるんですか?」


 観察中のアンバーにたずねてみる。

 彼女はふむ、と鼻を鳴らした。

 

「サージェントオークは魔力が豊富なくせにパワー系なので魔力の消耗が少なくて多少取られても平気なことと、戦闘では敵の魔力との力比べになるのである程度は相殺してしまうのがあるが……。一番の要因は今の極上魔石とグレゴリオは様々なことを一度にこなしすぎているせいだろうな。身体強化とシールド、攻撃魔法、そしてニィド。魔法は使い手の能力に大きく影響される。力だけあっても使いこなす能力が足りなければあんなものだろうよ」


 辛辣だった。


「うおおおお!!」

 

 グレゴリオは必死の形相でサージェントオークの手を斬りつけ続け、やがて力負けしたのかとうとうニィドを手離す。


「しまった……!」

 

 宙を滑り落ちたニィドがキィンと音を立てて床に落ちた。

 その瞬間、サージェントオークはパッと手を開いた。グレゴリオは解放され、地面に尻もちをつく。

 そして俺は――命令を遂行しこちらに顔を向けたサージェントオークからものすごい形相で睨みつけられていた。

 どうやら強烈なヘイトを稼いでしまった様子。


「あっ……すっげぇ怒ってる……」


「ふむ。何が気に入らなかったのだろうな?」


「そのくらい分かれよアンタ領主だろ」


 サージェントオークが体ごとこちらに向き、突進してきた!

 ものすごく目が合っている。確実に標的は俺だ。

 ヤバイヤバイヤバイ跳ね飛ばされる!!


 シールドで守っているとは言ってもデカいものが突進してくる光景は人の生存本能を否応にも刺激してくる。

 それに俺はまだシールドがどこまで耐えられるのかも知らない。

 Fランクの魔物相手に使った程度じゃ耐久力は測れないんだ。

 あいつの突進を受けて無事でいられる保証はどこにもない。

 収納に戻してもいいんだが、そのあと全員に追及されるかもしれないと思うと――受け止める他にない。

 ――仕方ない。

 これは軽い気持ちで魔物を合成し解き放った俺の責任だ。

 シールドが持とうと持たなかろうと、俺が落とし前をつけなきゃならない。

 覚悟を決め、サージェントオークに向かって走り出した。


「ヒロム!?」

 

 シスターが叫んだ。

 どうせならお前も巻き添えだ、グレゴリオ!

 向かってくるサージェントオークの股下をスライディングで潜り抜ける。

 

「イテテ……。なんだったんだ、いったい……。はっ! ニィド!」


 グレゴリオは傍らに落ちていたニィドを慌てて拾い上げた。

 無事に手元に戻りニヤリと笑った次の瞬間、俺に気付いてサッと魔剣を構える。


「なんだガキ! やんのかコラァ!」


 無視して突っ込む。

 魔剣の薙ぎ払いを受けて俺のシールドが消えた。

 想定内だ。すかさずもう一度『シールド』と呟き、新しい結界を張る。

 

「うおっ!?」


 グレゴリオの右腕に飛び付き、剣の動きを封じた。


「なんなんだお前! 離れろっ!! ――あぁ、逃げないとサージェントオークが」


 ガッ、と背中に強い衝撃が走った。

 サージェントオークの突進を受け、俺とグレゴリオは一緒に弾き飛ばされる。

 

 痛っってぇ……!

 

 シールドでも無傷とはいかなかったようだ。呼吸ができないほどの衝撃が走り、ぐるぐると世界が回る。いや回ってるのは俺の方だ。

 走馬灯なのか、やけに世界がゆっくりに見える。


 あ、ニィド……!


 グレゴリオが手離した魔剣が俺の近くを回転しながら飛んでいた。

 無意識に手を伸ばすと刃先が手のひらをかすめ、ちょっとした切り傷ができる。

 ――残念だったな。俺には魔力が無いんだよ。

 ニィド相手に謎の勝利を感じて笑みが浮かんだ。

 しかしキャッチするには少し腕の長さが足りなかったらしく、掴み損ねて魔剣と一緒にそのまま壁に突っ込む。


「う……ぐっ」


 痛いが、グレゴリオがクッションになってくれたおかげでなんとか助かった。

 ――そうだ、ニィドは!?

 がれきに突き刺さっている。

 体に刺さんなくて良かった……。


 気合いで立ち上がる。が、フラフラだ。

 サージェントオークは俺に一撃を喰らわせて少し気が晴れたのか、突進をやめてズシン、ズシンと足音を響かせながら余裕そうに歩いてきた。


「イテテ……、ふざけるなよ、このガキ」


 背後ではグレゴリオが立ち上がって魔剣をがれきから引っこ抜いた。

 自業自得だが前も後ろも敵意でいっぱいだ。

 

 どうする……!?


「ミヤシタ! そこを動くなよ! 今助ける!」


 アンバーが銀の剣を手に飛び出した。

 彼女はサージェントオークに背後から斬りかかり隙だらけの背中に一太刀を浴びせる。


「グアァ!?」

 

 ヘイトが俺からアンバーに移り、サージェントオークは体の向きを変え棍棒で彼女に襲い掛かった。

 アンバーは上段から振り下ろされた棍棒を横に跳んで避ける。しかし床にめり込んだ棍棒をそのまま横に薙ぎ払われ、着地が間に合わず弾き飛ばされてしまった。


「アンバー!!」


「……ぐっ、大丈夫だ。致命傷では、ない」


 がれきの隙間から苦しげな声が聞こえる。

 無事ではないようだ。


「おやおや。姉さんは自滅したようだな。放っておいてもサージェントオークが倒してくれそうだ。……では、あとはガキ! お前だけだ!」


 グレゴリオが魔剣を掲げた。

 殺られる……!

 ぎゅっと目を瞑った。


「――ん?」


 グレゴリオが妙な声を上げた。

 次いでキィンと魔剣が落ちる音がする。

 ……なんだ?


「あ……なんだ、これ、は……? 苦しい、手足が、痺れて……」


 グレゴリオは膝をつき、ドサ、と倒れてしまった。


「え……?」


 なにごと?

 

 見ると、魔剣が床の上で禍々しい赤の光をボンヤリと放っていた。

 まるで血管のように走るいくつもの黒い筋の奥で、血みたいな赤い光が生き物のように脈打ちながら輝いている。


 さっきまではこんなんじゃなかったのに……。

 どうしたんだ?


 その時、背後でドォンと超重量級が倒れる音がした。

 サージェントオークだ。

 あっちも倒れたらしい。


「な、なんだ……?」


 状況を把握できずに辺りを見回すと、アンバーも、シスターまでもが床に伏して倒れてしまっていた。

 立っているのは俺だけだ。


 なんで?


「ヒ……ロム……」


 アンバーがやっとといった様子で顔を上げ、か細い声で言った。


「魔剣を、壊せ……。それは今おそらく、暴走している……」

 

「暴走!?」


「そうだ……。なにがきっかけか分からぬが……周囲の魔力を無差別に吸収し始めたようだ……。このままでは全員、魔力欠乏で……死んで、しまう」


 死んでしまう!?


 大変だ!


 急いで「ぶち壊せ」と魔素に命じたが、魔素は反応しなかった。

 ――そうか、ニィドが吸い取っているのは魔力じゃなくて魔素なんだ。

 つまり全員酸欠みたいな状態になってる。

 俺だけ影響を受けなかったのもそのせいか。


 俺はニィドを拾い、思いっきりがれきに打ち付けた。

 しかしこの程度ではびくともしない。

 その間にも魔素はどんどん薄くなり、アンバーは顔を上げていられず頬を床につける。


 早くしないと!


 必死にニィドを叩き付け続ける。

 しかし子供の体では力も高さも色々と足りないようだ。

 もっと、もっと力があれば……!!


 その時、ぐん、と視界が高くなった。

 気のせいかと思ったがそうではなく、ぐん、ぐん、と何段階か置いて床が遠くなり続ける。

 服がきつくなりピリ、と破けた。

 そしてふっと魔剣が軽くなる。

 

 ――そうか。

 魔素が薄くなり続けたら、俺に起きることってこれしかない。

 

 俺は、大人に戻った。

 

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