第4話:日本語+異世界語+魔石(極上)→???

 言葉の勉強……。

 

 壁の高さに怯んでしまうが、言葉が通じないことで負担を感じているのは俺も相手も同じ。

 圧倒的マイノリティゆえに断る立場にない俺は頷き、図鑑を抱えてトボトボ扉に向かった。

 調合室を出ようとドアノブに手をかけたその時、勢いよく扉が開いて俺は顔面を強打してしまった。


「キャー!」


 シスターが悲鳴を響かせた。悲鳴は異世界も日本も共通なんだな。そう思っていたらなんか筋肉質のデカい男が(あちゃー)みたいな顔でこちらを見下ろしていた。


「縺ェ繧薙?!! 縺、繧ゅj!?」


 シスターがきつめの口調で男に詰め寄る。


「縺?k縺ィ諤昴o縺……ェ縺上※窶ヲ縺斐a繧?」


 男は後頭部をかきながら気まずそうな声を出し、俺の前にしゃがみ込む。

『大丈夫か?』と言われているっぽい。

 俺は鼻をおさえつつ「大丈夫です……」となんとか口にした。

 全然大丈夫じゃないけどな! 顔面が平らになりそうだわ!

 

 男は俺の頭をくしゃりと撫で、真剣な顔を浮かべたかと思うとサッとシスターに向き直った。

 そして膝をついたまま手元にシュンと何かを出現させる。

 ――小瓶だ。中に宝石みたいな石が詰め込まれた小瓶。

 調合室の棚に並んでいるやつと同じ。

 

 そうか。あの小瓶はこいつが持ち込んできたやつだったのか。

 

「繝ャ繧!! 繝奇シ√??邨仙ゥ壹@ヲ縺上l!」


 男は頬を紅潮させ、ひざまずいてシスターに小瓶を差し出した。

 これは……! どう見てもプロポーズ(異世界版)では!?

 そりゃシスターは美人だし優しいしおっぱいも大きいからモテるだろうが……。

 

 シスター……結婚するのか? 俺以外の奴と。

 

 固唾を飲んで見守る俺の前で、シスターは小瓶に手を当て押し返し「縺励↑縺」と、素っ気なく言った。

 がっくりと項垂れる男。どうやら断られたらしい。

 俺は口角が上がりすぎるのをなんとかおさえて男の肩に手を置いた。

 

「まぁ、その、なんだ。シスターは神職者だから仕方ないよな。大丈夫、そう落ち込むなよ」


 グッとサムズアップして見せると男は苦笑し、立ち上がって小瓶を調合室の棚(もうギッチギチ)に押し込んだ。

 どうやら普通に寄付するつもりらしい。

 もしかして、フラれるたびに置いて行ってるのかな。

 だとするとこいつ、十回はフラれてることになるが……めげないんだ。強い。俺も見習わないと。


 その時、男の押し込んだ小瓶が他の小瓶を押し出してしまい棚から落ちた。


「あ」


 男は手を伸ばしてその小瓶を掴もうとするが、掴みきれず指先を掠めて宙を舞った。

 小瓶は俺のところに飛んでくる。

 俺は咄嗟に手を伸ばして小瓶をキャッチした。

 コルクの栓が外れ、中からビー玉みたいな色とりどりの石がころころ転がり出てくる。

 

 綺麗な石だな。これ、なんだろう。

 まさか本当にビー玉ってことはないだろうが……。


 手のひらの上で光を反射する石をじっと眺めていたら、男は「谺イ縺励>?」とたずねてきた。

 『欲しいのかい?』と聞かれている気がして、思わず頷く。

 すると彼は棚にずらっと並んでいる小瓶と俺の手の上を交互に見て、ふぅとため息をつき「縺ゅ£繧」と言いながら俺の手を取り小瓶をきゅっと握らせてきた。

 くれる……ってこと?


 シスターは驚いたらしく、男に何か話しかけたが男は力なく笑って首を振り、短い一言だけを返して調合室を出て行った。

 なんて言ったんだろう。『もう君のことは諦めるよ』とか……?(願望)


 男が出て行った後の扉を俺とシスターは意味もなく眺める。

 やがてふとシスターと目が合うと、彼女は疲れたような笑みを浮かべて俺に「繧ゅi縺」縺ィ縺阪↑」と言って人差し指を胸に当てるジェスチャーをした。

 あのジェスチャーは『収納魔法に入れなさい』と言う時のやつだ。

 ここは赤ん坊もいる空間なので非言語コミュニケーションが多用されていて、そのおかげで俺もずいぶん助かってるとこがある。

 さすがにガチの赤ん坊は収納魔法は使わないが……ものを隠すことを覚えたくらいの年齢から使い始めるらしいので、あれは主にそのくらいの年齢の子に使うジェスチャーなのだ。

 

 ともかく、これは本当にもらってもいいらしい。

 ありがたく収納魔法にしまうと『魔石(上)×10→???』と脳内に出た。

 おおおお!! 魔石!! ナーロッパお約束のアイテムがここにもあった!!

 しかも(上)!! ってことは(下)もあるんだな! やった! 上だ!

 

 ブチ上がるテンション。

 ところでこれ、合成できるみたいだけど……何になるんだろう。

 好奇心のまま実行してみると『魔石(極上)×3』に変化した。(一個は余ったらしく、上×1として残った)

 極上って……。なんかすごそうだな。

 ずいぶんいいものをもらってしまったようだ。

 

 どういうふうに使うのかは分からんが……ああ、そういえばさっきシスターが渡してくれた図鑑にこういう石も載ってた気がする。見れば何か分かるかな。でも絵だけ見てもな。

 うーん、やっぱり説明文を読めなきゃ話にならんよな。

 早急に言語の習得が必要だ。

 

「ありがとシスター! 俺、がんばるよ!」


 図鑑を抱えて調合室を飛び出した。

 そしてアドバイスされた通り、この孤児院で一番おとなしい女の子のところに向かって駆け出す。

 その子は今の俺と同じくらいの年齢で(小学生で言ったら低学年という感じ)、濃紺の髪がツヤツヤしている女の子だ。

 いつもうつむいているので顔は見たことない。でもいつも一人でボーッとしているのは知ってる。今も木陰で三角座りして一人で膝に顔を埋めている、そのくらい内気な子。

 もちろん話したことなんか無いが、相手は幼児だ。女子が苦手な俺でも話しかけるのが怖いとかはさすがに無い。


「あ、あのっ! ちょっといいかな?」


 声をかけると彼女はピクッと肩を揺らし、膝から少しだけ顔を上げた。

 

「……?」


「この本に描かれている絵をなんて呼ぶのか教えてほしいんだけど……」


 これだけじゃ何も伝わらないと知っているので、図鑑を開いて絵を指さしながら用件を説明する。

 説明しながら思った。

 

 ――ああ、この子がいつもうつむいて誰とも仲良くなろうとしない理由がちょっと分かった気がする。

 

 目元しか見えないが、それだけでも分かるほど彼女の顔にはボコボコとした謎の腫れ物があった。

 日本の昔話にこぶとり爺さんって話があるが、多分そんな感じのボコボコが顔中にだ。

 

 なんだろう。アザにはなってないから怪我じゃないっぽいし……病気かな。

 気の毒だな。

 

 彼女は図鑑に興味を持ったらしく、三角座りをやめて身を乗り出し、のぞき込んでくる。

 お、悪くない感触だ。教えてくれるかもしれない。

 俺は図鑑のリンゴっぽい絵を指さし、「これはなんて言うの?」と聞いてみた。


「……繧翫s縺」


 繧翫s縺かぁ……。

 聞いてもよく分からなかった。

 俺、本当に覚えられるかな。

 

 早速くじけそうになりながらいくつかの単語を教わる。

 彼女はどうやら文字が読めるようで、指先で文章をなぞりながら読み上げてくれた。

 聞いても全然分からんが、読み上げるうちに彼女の声色がだんだん楽しそうになってくる。

 いつもうつむいている彼女の弾む声を、初めて聞いた。


「縺薙l縺ッ縺ュ! ……縺」


 つい顔を見てしまい、俺の視線に気付いた彼女はハッとした表情で後ずさった。

 そしてうつむき、再び三角座りになって膝に顔を埋めてしまう。

 顔を見られたくなかったんだ。

 悪いことをしたな……。


 でも、ひとつだけ言わせてほしい。


「あのさ……。きみはかわいいよ」


 顔にできものがあっても、小さい子特有のかわいらしさといったものは少しも損なわれていない。

 俺はシスターが好きだしロリコンではないが、犬や猫を可愛いと思うのと同じ感覚で小さい子を可愛いと思う心は持っている。(うるさいガキや性格の悪いガキは大嫌いだが)

 この子は容姿で悩むにはあまりにも幼い。犬や猫がどんな顔立ちでもかわいいのと同じように、幼子はクソガキ以外みんなかわいいんだ。

 大人になる前の――そう、今くらい、何も気にせずにのびのびと生きてほしい。

 暗い幼少時代を過ごした俺からの、心からの願いだ。

 

「カワ……イイ、ヨ?」


 なんと!

 復唱してくれた。舌っ足らずでかわいい。

 俺は久しぶりに他人の口から日本語を聞いて嬉しくなってしまい、同じ言葉を繰り返した。


「そう! かわいい!」

 

「カワ、イイ」


「うん! かわいい!」


 通じている訳ではないだろうが、悪口でないことだけは伝わっている様子。

 キョトンとしている彼女をよそに急にやる気が出てきた俺は、本腰を入れて学ぼうと思い「ちょっと待ってて! 何か書くものを持ってくる!」と言って駆け出した。

 勉強に必要なのはインプットとアウトプットだ。

 書くと覚えが早くなるし、メモしておけばあとで見返す時にも便利。

 本気で勉強するなら書かない手はない。


 就寝時に使っている大部屋に駆け込み、俺が使わせてもらっているベッドの上にある枕からカバーを引っぺがす。

 中から出てきたのは転移した時に持っていた服と通勤鞄。その中からボールペンと手帳を取り出す。

 これ、クソガキどもに荒らされないよう枕カバーの中に鞄ごと隠しておいたんだ。

 ここでは洗濯などの身の回りのことは基本的に自分でやることになっているので今日までバレずに来られた。俺をここに連れてきたシスターだけは知ってるが、あの人は理由もなく他人の持ち物を漁ったりしない。そういうとこも好きなんだな。


 ボールペンと手帳を持って女の子のところに戻ると、彼女は目を丸くして俺の持ち物に釘付けになった。

 説明が難しいのであえて何も言わずに、図鑑のリンゴっぽい絵の横に書かれている名詞『繧翫s縺』を紙に書き写し始める。その下に日本語で「りんご」と書いた。

 俺にしか分からない、俺専用のメモ書きだ。

 女の子は首を傾げて「縺ェ縺ォ縺昴l……?」と呟く。


「これはねー、日本語。俺の国の言葉だよ」


 さっきから俺達は雰囲気で会話をしている。

 でも意思の疎通はなんとなくできている(と思う)。

 彼女に読み方を教わりながらいくつかの名詞を書き写し、分かる範囲で日本語によるメモを書き込んだ。

 手帳のメモ欄はあっという間に文字で埋め尽くされていく。

 

 自分の脳みその限界はこのへんだな、というところで今日はいったん切り上げることにした。

 

「ありがとう。今日はここまでにしておくよ」


 そう彼女に伝えて、あとで復習しようと思い収納魔法にメモと図鑑をしまい込む。

 すると――


 『日本語+図鑑+魔石(極上)→???』


 脳内にそう浮かんだ。

 

 ――えっ。


 合成……できるのか?

 言葉を?

 いやいや、それってどういうことだ?


 思考が追い付かないながらも、試さない選択肢は微塵も浮かばず。

「……合成、する」と、魔素に伝えた。

 脳内に浮かぶ文章が変化していく。


『日本語+図鑑+魔石(極上)→ロゼッタ・ストーン』


 ――ロゼッタ・ストーン。


 

 

 

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