第一話「困窮」

 いち教室ほどの大きさの密室。出入りする扉は存在せず、物一つ無くただ真っ白なだけの空間。

「どこだよ、ここ? 俺、生きてんのか……? さっき、何が……」

 壊斗の発した声は、狭い部屋に木霊する。

「───ッ!!」

 ついさっき我が身に起きた出来事がフラッシュバックする。息が詰まる程の強い衝撃が身体中に走るあの感覚。それを思い出した壊斗は、全身に鳥肌が立った。それを思い出してしまった壊斗は、何度も涙を流しながらえずいた。


 それから三十分ほどが経ち、ある程度の落ち着きを取り戻てきた頃。

「おい……何なんだよここ。ここが死後の世界って言うんじゃないだろうな……?」

 気が狂いそうな気持ちを胸に秘め、壁に向かってそう叫んだ。

「……無視かよ。誰でもいいから、説明くらいしてくれよ」

 そして、壊斗は考えた。様々な可能性を。ここは本当に死後の世界なのか。それか、夢の中なのか。はたまた、臨死体験で脳が作り出した空間の中に居るのか。大穴ではあるが、新手のドッキリに引っ掛けられたか。幾ら考えても、結論は出ず、何の進展も無かった。


 そこからさらに時間が経過し、本人ですらどれくらいの時間が経ったのか、分からなくなってきた頃。

「……」

 この空間に居続けて、分かったこと。ここに居る限り、腹も減らず、尿意や便意すら催さない。頻尿気味な壊斗にとって、何時間もトイレに行かずに平気な事に違和感を感じる。体全体に絶妙な心地良さが続き、それが逆に不安感を増幅させていた。


 ここで、壊斗はこの謎の部屋からの脱出を試みた。だが、壁や床を引っ掻く。突く。叩く。殴る。蹴る。その全ての行為は意味を成さず、無駄な行為に終わった。

 壊斗自身、内心そうなるだろうとは分かっていた。けれど、精神が崩壊する寸前まで何も無い場所に閉じ込められた結果、爪が剥がれるまで壁や床を引っ掻き続け、指が折れる程の強さで突いた。手が腫れ上がる力で叩き、拳が血だらけになるほど殴り続け、足首や指がおかしくなるまで蹴り続けた。

 孤独と不安で押し潰されそうな壊斗が、もう嫌だ、どこでもいいから今すぐここから出してほしい。そう願った瞬間、久しく聞いていない自分以外の"声"が聞こえてきた。

「───眩しッ!」

 白い部屋を包み込む程の強い光に思わず目を閉じる。その声の主は、居心地はどう? と問いかけてくる。

「あ……アンタは……」

『神。だよ』

 声の主は、自身を神、名をカイヴィアと名乗った。

「神……?」

 徐々に目が光に慣れていき、神とやらの姿を見ようと目を擦り大きく見開く。すると、そこにはモヤモヤとした何かが存在していることだけが視認できた。それ以上には姿が掴めず、壊斗の脳は未知の生物として処理した。

「良く見えない……すよ」

『まぁ、仕方のない事だよ。僕の姿は本来人間には目視出来ない。モヤっとでも君が僕を視認出来ているのは、僕が精一杯歩み寄った結果だ』

 壊斗は、意味不明な出来事の連続に、頭を抱えた。

「いきなり出てきて自分は神だって……? まず俺、神の存在なんか信じて───」

「じゃあ、僕の存在はなんなんだろうね? ……話を円滑にする為に、ここは神という体で君の中で処理しておきなよ。これからの話で、そこは大して重要じゃないからね」

「……仮にアンタが神だとしても、この扱いはなんすか。もう舌でも噛み切ろうかと思うぐらい追い込まれてたんすけど」

 壊斗は、もう一人じゃなくなったという安心感よりも、いつまでも一人にさせられたという怒りの方が勝っていた。

『ごめんね〜 こっちにも色々と事情があったんだ』

 カイヴィアと名乗る神とやらは、やわらかい口調ではあるが、何処となく冷たい声色が垣間見え、壊斗の身の毛がよだつ。これが神の威厳なのだろうか。

「……まぁ、今そんな話しても仕方がないから、とりあえず置いといて。俺は何日ここに……?」

 壊斗は数日ぶりの会話を、少しだけ嬉しくも感じた。状況が状況で素直に喜ぶ事は出来なかったが。

『二日だよ。たったね』

 その答えに驚愕した。実際に経過していた時間と自分が思っていた時間に誤差があり過ぎたからだ。

「たった二日って、俺にとっては一週間近くに感じてたんすよ。なのに、その言い方は無いっしょ」

 段々と苛立ちが込み上げてきた。たったの二日間だとしても、こんな閉鎖的空間で無意味なな時間を過ごさせられたことに。

『それは申し訳ないとしか言えないね。贖罪として、この空間の話を少ししようか。ここは死後の世界。誰しもが死後、すぐにこの場所に転送される。魂だけね。ここで今までの人生を振り返り、自分と向き合い、見つめ直し。これまでの自分にケジメをつけ、新たに生まれ変わる為の場所だ』

 ここで壊斗は、この場所に閉じ込められていたのは自分だけではなかったのか。と少し安堵した。

『僕がここに現れたのは、君がこれまでの自分にケジメをつけ終えたからだ』

「じゃ、じゃあ……俺はこのまま、生まれ変わるんすか」

『それで、だ。おめでとう! 君には特別に、前までの世界とは何もかもがまるで違う、異世界で生まれ変われる権利が与えられたッ!』

「……は? 何言ってんだ」

 とうとう我慢の限界に達してしまった。色々な感情が込み上げてくる。

『いや〜良かったね。次に君が生まれ変わる予定だったものは、サバンナに生息する蝿(はえ)だったんだよ?』

 モヤモヤとした物体から、拍手の音が鳴り響く。

「異世界? 権利? 何言ってんだ。さっきからふざけた事ばっか言ってよ……」

 カイヴィアの舐めた態度に、怒りを堪え切る事が出来なかった。壊斗は、声を荒らげることはせずとも、露骨に嫌なものに対しての態度を取った。

(凄い態度だな、神に向かって。まぁ今は目を瞑るよ。君の気持ちも少しは分かるし。……ていうかさ、異世界に転生出来るんだよ? 嬉しいもんでしょ? 皆、君を羨ましがるだろうね〜 ここは素直に感謝し、喜びを顕にする所だろう?)

「誰が喜ぶんだよ、そんなので。死んで異世界に転生だなんて、アニメだけの話だろうが」

「普通、もし異世界に転生出来るとして、喜ぶ奴なんか居るもんか。誰しもが異世界に行きたいだなんて、思ってる訳ないだろ。少なくとも俺は絶対に嫌だ。そこらのスラム街より危険な、死と隣り合わせの世界に、誰が好き好んで行きたがるんすか。良いから、早く蝿に生まれ変わらせてくださいよ!」

 壊斗は長時間にわたって積もり積もった不満が爆発し、全てを吐き出した。

 神は、異世界ものだって、平和に過ごすだけの話もあるのに……と呟いた。そして、一呼吸をおいて冷たく言葉を吐く。

『悪いが拒否権は無い。異世界で生まれ変わる気が無いなら、永遠にここに居なよ。ただ、ここでは死ぬことは出来ないよ。食べることも寝ることも出来ず、この二日間と同じようにただ永遠の時を過ごすだけだ。あ、でも死と隣り合わせが嫌なんだったら、絶好の場所だろう。なんせ死なないんだしね』

 カイヴィアもまた、負けず劣らずの反論を返す。その言葉は深く壊斗に突き刺さった。

『もう面倒だから。最後のチャンスね。大人しく異世界に転生させて欲しいと言え。君にはそれ以外の選択肢は最初から無い』

「……ッ!?」

 神の方が上手だった。完全に言い負かされた。揚げ足まで取られて。何も言い返せなかった。それに、神の方が圧倒的に立場が上なことを、怒りのせいで忘れていた。それに、思い返しめみれば、"どこでもいいからここから出して欲しい"と願ったのは壊斗だった。そして神が現れた。つまり、最初から答えは一つだけだった。

「分か……りました……すみません」

『いいから早く』

 食い気味に言葉を遮る。壊斗は一瞬ムッとした表情をしたが、すぐに整えた。

「異世界に、転生させてください……」

『やっと観念したか。でも、君がそこまで嫌がる理由が分からないな。何も僕は、魔王を討伐しろとか、冒険者になれ〜だなんて、一言も言っていない。ただ君は、異世界で好きに生きればいいだけなのに』

「え……」

 そうだった。と壊斗自身納得してしまった。カイヴィアの言う通り、魔王討伐のような無理難題を押し付けられた訳でもない。壊斗の中の"異世界"という概念が、先走った考えを生んでしまった。

『異世界なんて、こことは少し概念が違うだけの普通の世界だよ』

「そう……ですよね。すみませんでした」

『ま、もう終わったことだから気にしなくて良いよ。さっきも言ったでしょ、今は目を瞑るって。じゃあ、今から君を異世界に飛ばす。ゆっくりと目を閉じて』

 神がそう言い、目を瞑った瞬間にスッと意識が消えた。

『……しかし、これだけすぐに色んなことを受け入れてくれるなんて。ここに閉じ込めておいた甲斐はあったね』

 神、カイヴィアはそう言ってほくそ笑んだ。

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