第2話 エリザベトお嬢様の記憶

「エリザベト様、朝食の準備が整いました。本日はドレスの着付けをいたしますので、いつも通り軽食を準備させていただきました」

「……ええ、ありがとう」


 侍女に声をかけられ、無理矢理笑顔をつくって答えた。


 軽食はサンドイッチとコーヒー、少しのスープだった。

 腹に何か納まったことで、少し落ち着いた。


 気持ちが落ち着くと、俺の脳内に、本物のエリザベトお嬢様の記憶が流れ込んできた——



 エリザベトお嬢様は、双子だった。

 双子の上には、さらに兄のコンスタンティンがいる。


 幼い頃のエリザベトお嬢様は、母が双子の妹ばかり可愛がるのを寂しく思っていた。


 双子の妹は、綺麗なレースやフリル、艶々なサテンのリボンが付いた、ピンクや黄色やオレンジ色の可愛いドレスを着させられ、お人形さんのように可愛がられた。


 双子の妹のわがままは、「仕方がないわね」と、なぜか受け入れられていた——自分はそんなことないのに。


 双子の妹のことを羨ましく思わない日は無かった。


 ただ、そんな日は長くは続かなかった。双子の妹は流行病はやりやまいに罹り、呆気なく亡くなってしまったのだ。


 母の嘆きようは酷かった。食事も喉を通らず、みるみるうちに痩せ細り、ほとんど部屋から出ることなく泣き暮らすようになった。


 どんどんとやつれていく母に、それをただ見ているだけしかできない家族。

 家族から、火が消えたようだった。


 ある日、エリザベトお嬢様は、双子の妹の服に袖を通した。

 ずっとずっと羨ましくて、自分も欲しかったものだ。


 元々、双子なんだ。

 見た目は亡くなった双子の妹と瓜二つ——いや、鏡を覗き込めば、双子の妹が生き返ったかのようだった。


 意を決して、その格好のまま母の部屋に向かった。


「お母さま……」

「……エリザベト!」


 母は号泣して、エリザベトお嬢様を強く抱きしめた。

 痩せすぎて細くなった腕なのに、びっくりする程きつく抱きしめられた。


 この日を境に、母はだんだんと元気を取り戻していった。


 父も兄も、母が元気になるならと、エリザベトお嬢様が女の子の格好をすることを許した。


——こうして、双子の兄エトムントは、「エリザベト」になった。



 何これっ!? こんな裏設定あったの!?


 そりゃあ、エトムントも女装するわ……って、なるかいっ!!!



 さらにエトムント、もとい、エリザベトお嬢様の記憶が雪崩れ込んでくる。


 母と一緒にドレスやアクセサリーを楽しそうに決めているエリザベトお嬢様。

 淑女教育を嬉々として真面目に受けているエリザベトお嬢様。

 他のご令嬢方とお茶会を開き、恋バナや噂話に花を咲かせるエリザベトお嬢様。

 綺麗なドレスを着て、お化粧をして、母と一緒に観劇に行くエリザベトお嬢様……


……って、ノリノリじゃねぇかっ!! エトムント、何、お嬢様生活を満喫してんのっ!?


 なお、周りには「双子の兄は病気がちで領地で療養している」ことになっている……


「誰か止めろよ」


 思わず低い声でツッコミを入れた。


「どうかされました、エリザベト様?」

「……いいえ、何でもありませんわ」


 不思議がる侍女に、愛想笑いをして「オホホ……」と裏声で誤魔化す。


 ちなみに記憶によると、この侍女の名前は「ララ」らしい。



 さらにエリザベトお嬢様の記憶は続く……


 エリザベトお嬢様は、魔法学園での勉学も頑張って、上位の成績を取った。

 美しく社交的なエリザベトお嬢様は、お茶会やパーティーにも積極的に出席して、他の貴族とも交流を図った。


 侯爵家という家柄もあるが、エリザベトお嬢様は、学園でも社交界でも一目置かれるようになった。


 こうして私、エリザベトは王太子の婚約者に選ばれる程の令嬢に……だと!!?


 マジで目眩がした……


「エリザベト様!?」

「……いいえ、大丈夫ですわ」


 くらりと大きく揺れた俺に、ララが慌てて駆け寄った。


「少し、休まれますか?」

「……いえ、大丈夫よ……」


 ララに支えられ、俺は小さく首を振った。


 そうだよな、「王太子ルート」のライバルってことは、そういうことだよな……


 エリザベトお嬢様、いや、エトムントよ、なぜ頑張ってしまったんだ?


「さすがに誰か止めろよ」


 低い声で、呆れ返った呟きが漏れた。


「えっ……?」

「何でもございませんわ」


 訝しげなララに、にっこり微笑んで誤魔化す。


 とにかく、俺の目標は決まった。

 ♂バレする前に、王太子との婚約を白紙に戻すことだ。


 確かに、女神様の言う通りだ。流れに任せてれば、自ずと分かった。



「エリザベト様、お加減はいかがでしょうか? 着付けの準備は始めてしまってもよろしいでしょうか?」


 ララが不安げに俺に尋ねた。


「ええ。構わないわ。進めて頂戴……」


 そこまで言って、俺は気づいてしまった。


 ララって、俺の本当の性別は知ってるんだよな……?


「湯浴みの後は、マッサージさせていただき、いつものこれを装着させていただきます」


 ララが大事そうに抱えて持って来たのは、俺の胸、もとい、エリザベトお嬢様のお詰め物だ——その大きさに戦慄を覚えたのは言うまでもない。



「あのたわわは、偽物だったのか……」


 俺は、膝を抱えて湯に浸かりながら、なんだかちょっぴり切ない気持ちになった……


 なんだろう。気になってた女の子の、見たくもなかった碌でもない本性を目の当たりにして、夢が壊された時のような感覚だ。


「……確かにエリザベトお嬢様だけ、水着カットも肌見せの多いドレスもなかったしな……」



 しんみりタイムは湯船の中だけだった。

 湯から上がったら、怒涛のマッサージと、ドレスの着付け&メイクアップタイムだ。主にララが頑張った。


 俺はただただララに全てを任せて、なされるがままだった。



「綺麗……」


 俺は、鏡の中のララが仕上げてくれた自分に見惚れた。


 フリルが多い真っ赤なドレスは随分と派手だが、元が美人なので、何でも着こなしてくれる。

 メイクもしっかり華やかに施され、悪役令嬢らしく目力がある。


 金髪はハーフアップスタイルに結い上げられ、大きな髪飾りで留められている。もちろん、後れ毛は全て縦ロールだ。


——まさに、ゲームの中の悪役令嬢エリザベトお嬢様、そのままだ。


「ありがとう、ララ!」


 俺は笑顔でララにお礼を言った。


「エリザベト様が、私めなどにお礼のお言葉を!?」


 なぜかララが衝撃を受けている。


……確か、エリザベトお嬢様は、完璧主義の高飛車お嬢様キャラだったな。その分、本人のあらゆるスペックも完璧だが……


「いつものエリザベト様でしたら、メイクやヘアについて的確なご指摘がありますのに……!」


 やめて! ハードルを上げないで!! 中身、サラリーマンのおっさんだから! ヘアメイクなんて分かんないからっ!!!


「それに、本日のエリザベト様はどこか隙があって、その……すごくいいです……」


 ポッとララが頬を赤らめた。


 何それ。褒めてんの? 貶してんの?



 コンコンッとノックがあり、「どうぞ」と答えると、兄のコンスタンティンが入ってきた。


 エリザベトお嬢様と同じ金髪とマリンブルーの瞳のキラキラ美男子だ。


「ああ、エリザベト! とっても綺麗だよ! 今日の卒業パーティーは、僕がエスコートするからね!」


 大げさに両腕を広げて、コンスタンティンが褒めてくれた。


「ありがとう。お兄様」


 俺はお嬢様らしく微笑んでお礼を言った。

 身体の方が覚えていて、自然と笑顔と仕草をキメていた。


「全く、こんなに美しい妹を放っておくだなんて! 殿下は見る目がないな」


 コンスタンティンは非常に渋い顔をして、「理解できない」といった風に首を横に振った。


 この感じだと、ヒロインは王太子ルートを選んだのか…………よしっ! 婚約破棄、確定!


 ヒロイン、俺はあんたの味方だ。存分に王太子をたらし込んでくれ!!



『恋セレ』の攻略対象者は、王太子一人ではない。

 他には、王太子の側近で宰相の息子と騎士団の団長の息子、商売も手広くやってるやり手の公爵家子息、魔法の天才で魔法学園の先生がいる。


 ただ、この「卒業パーティー」イベントでは、一番好感度が高い攻略対象者がヒロインのエスコートをする……ということは、ヒロインは「王太子ルート」を選んで、しかも好感度が高いらしい。


 俺としては、王太子との婚約を白紙に戻す絶好のチャンスだ。


「エリザベト、そろそろ時間だよ。行こうか?」

「はい、お兄様」


 俺はコンスタンティンの腕に手を添えた…………今だけだからなっ!!



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