20 「ざまぁ」は様式美

 もう、シルフィアはアルベルトとの外出を隠さないことにした。二人の関係が明らかになるのは時間の問題だったし、嘘をつき通すより、正直になった方が心が軽くなる。偶然、騎士見習い仲間に見つかったとしても、「同じアパートメントに住んでいたことが最近わかった」と言えばよいのだ。


 といういきさつでアルベルトと共に街に出ていたシルフィアを目ざとく見つけて声をかけてきたのは彼女にとって予想外の人物だった。


「シルフィア、こんなところで奇遇だな!」


「……カスペル様」


 シルフィアの元婚約者、カスペルだった。楽しい休日が一転して最悪のものとなる。


「なんだ、一人で出歩いているのか?」


「ええ。自由な独り身ですので」


 シルフィアは身を固くした。この場にアルベルトがいなくて本当によかった。不快なものを見せることになってしまう。


「聞いてくれシルフィア。借金こそないが、貯金を使い果たしてしまったし、彼女も身重だ。豪華な式を挙げることも、立派な指輪の一つも買ってやれなかった」


 カスペルはたずねてもいないことを勝手に喋り始める。


(なにそれ! 私が慰謝料を取ったせいでお金が足りないとでも言いたいの、この人は?)


 そう言いたくなるのをぐっと堪えながら、シルフィアは一息に告げる。


「当然、奥様は妊娠中でしょうからね、体重も増えるでしょうし、指もむでしょう。奥様の出産が無事終わってからプレゼントして差し上げたらいかが? そのあと、お子様を育てるのに多額の費用がかかるでしょうから、節約されるのもお父様になる方のお役目ですよ?」


(この人はその瞬間で最も相手のためになることを考えられない人なんだわ)


「ところでシルフィア、お前は今、何をしているんだ?」


「知ってどうなさるのですか? それこそ銅貨一枚にもならないお話ですのに」


 金銭に関して嫌味の一つも言いたくなる。


「お前は僕に祝儀も出さない薄情者なのか?」


 シルフィアは目玉が飛び出るというより、恐ろしさに肝が冷えた。


「祝儀……ということは、無事ご結婚されたのですね。それはおめでとうございます。お子様の誕生祝いはさすがにさせていただこうかしら?」


(生まれてくるお子様と奥様に罪はないわ。でも、そもそもよ。私がお祝いを出したところで喜ばれるはずもないでしょう? なの? 冗談を言うのも大概にしなさいよ)


 すると、カスペルはシルフィアの気迫におされたのか、ややひるんだ。


「そ、そうか……」


(この人、私程度に言いくるめられているけれど、本当にこんな頼りない人が父親になれるのかしら? お子様と奥様が心配になるわ)


 シルフィアの頭にそんなことがよぎったとき、危惧していた事態が起きてしまった。


「その方は……ええと……」


「あ、アルベルト様!」


 ちょうど、その場を外していたアルベルトが戻ってきたのだ。


「なに? お前、もう男を作ったのか」


 アルベルトを一瞥したカスペルの声には嘲弄の響きがあった。


「あなたには一切関係ないでしょう!?」


 シルフィアは憤慨しかけたが、それをアルベルトが手で制し、彼女とカスペルの間に立った。


「シルフィア嬢の上司です。あなたのお噂は、かねがね伺っております」


 アルベルトはなんと、カスペルに対してしたに出るようだ。


「上司だと!?」


 カスペルは目を剥いた。


「私、職業婦人になるのです。仕事内容までは守秘義務があるので言えませんが」


 シルフィアはこう説明したのだが……。


「なんだ、言えないような、やましい仕事か」


 より一層、カスペルの発言に悪意が増してきた。


(この人、耳が腐っているのかしら?)


「そう捉えていただいて構いませんわよ」


 呆れてまともに会話をする気すら起きない。


「最悪、殺人を犯さなければならない物騒な仕事かもしれないしなあ? あくまで『仮定』の話だが」


 ところが、アルベルトが愉快そうに応じた。


「そうですね、『仮定』の話ですね!」


 すかさずシルフィアはそれに乗ずることにした。


「貴様、シルフィアに何をさせるつもりだ」


 しかしながら、それはカスペルを苛つかせたようだ。


「危険手当のつく、身体を張った稼ぎのいい仕事ですかねえ」


「やだアルベルト様、別な意味に聞こえますわよ!」


「本当だ! なんだかいかがわしいなあ!」


 二人でそんなやりとりをしてひとしきり笑ったときのこと。


「貴様、ふざけているのか!」


 カスペルがアルベルトの胸倉を突然掴んだのだ。


「ふむ、あなたの足元にも及びませんな」


 全く動じていない様子のアルベルトの言葉はむろん、謙遜ではなく嫌味だとシルフィアには明確にわかり、彼のたくましい背中を頼りに眺めながら思わず吹き出しそうになった。


「図に乗るなよ!」


きょうには乗りましたね」


 不敵さを隠すこともないアルベルトは売られた喧嘩を買うようだ。


「まあアルベルト様、そこまでにしましょう。もうカスペル様は婚約者でもない他人なんですから」


 シルフィアはようやくそこで争いを諌めることにした。勝敗など火を見るより明らかだったからだ。


「きみがそう言うなら矛を収めよう」


 アルベルトが、まだ胸倉を掴んでいたカスペルの腕を無造作に外した。


「どこで会ったとしても、二度と声をかけてこないでくださいね。危険な仕事をする女ですから、身のためになりませんわよ?」


 シルフィアはカスペルにそのように釘を刺した。


「ふん、言われずともそうする!」


 著しく醜態を晒したことを恥じたのか、カスペルは背を向けると、慌ただしくその場から立ち去っていった。

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