19 甘美なひととき

 ラヴィエール王国の庶民にとって、甘味は慣れ親しまれたものだ。


 砂糖は精製糖業が発達している国と海上交易が盛んになっているので庶民が手を出せない値段で取引されるものではないし、酪農業の発展しているラヴィエール王国ではバターの原料である生乳が豊富に手に入る。


 菓子好きな先々代国王が、当時は高級品だった菓子を庶民でも味わえるようにと奔走したからという理由だそうだ。


 とはいえ、砂糖やバター、そして新鮮な果物がたっぷりと使われたケーキ類はやはり高価である。そういった生菓子は保存のため、冬季にむろに貯蔵しておいた氷を使うからだ。したがって、ラヴィエール王国では常温で長期間保管が可能な焼き菓子が好んで食される。他にも、様々な季節に収穫した果物をジャムやコンポートに加工してデザートに楽しまれている。


 シルフィアが作ったのはバターをたっぷり使ったサブレーだ。他の材料もシンプルで、砂糖、小麦粉、卵、アーモンドプードル、少量の塩などだ。


 こんがりときつね色に焼き上がったサブレーからはバターのまろやかで香ばしい匂いが漂っていた。あまり生地を捏ねすぎないのが焼き上がりの固くならないコツ。菓子作りの得意な者でなくても簡単に作れるレシピだ。


「はい、これ、皆さんに!」


 シルフィアは袋に詰めて持ってきたサブレーを、休憩時間のとき騎士見習い達に差し入れたのだった。


あねが差し入れだってよ!」


「本当か!?」


 男性騎士見習いたちが色めき立った。なぜか彼らからは、シルフィアは畏敬の念を込められて「姐御」と呼ばれている。シルフィアの方が二、三歳ほど同期の彼らより歳上だからだろうか。


「……! 美味しいです、シルフィア様」


「本当!? 嬉しいわ、ミシェレ」


 すっかり友人になっていた女性騎士見習いのミシェレもサブレーを齧りながら目を丸くしてうなずいている。


 王城警備が主な職務である近衛騎士だが、平民出身の者も多い。近衛騎士のみ、貴族出身者と同じ報酬と待遇になるからだ。厳しい入団試験と訓練を通過し昇進を遂げた者にのみ「爵位のない貴族」としての日々が待っている。


 なぜ平民出身の近衛騎士も存在するかというと、王城は二十四時間の警備体制を敷く必要があるためだ。貴族出身者は屋敷から通う者も多く、夜間の任務はない。夜間警備は平民出身者の重要な任務なのである。


 貴族出身者が勤務において優遇されるのは、彼らが貴族学校で、近衛騎士としては必須である語学や教養、礼儀作法をしっかりと学んだ前提だからだ。平民出身者は一から学び直す必要があるので、そこで差がついているのだ。


 それでも近衛騎士は王族を護衛するという栄誉ある職業として、国中から夢に憧れる者たちが入団試験を受けにくる。地方から近衛騎士が誕生すれば、そこでは住民達がお祭り騒ぎになるほどのことなのである。


 シルフィアは筆記試験はほぼ満点に近い成績を叩き出していた。学園で学んだことは決して無駄ではなかったのだ。運動能力試験の方はアレクサンドラ、そして副騎士団長フェリクスの協力により免除になったのだった。


「──やあ。私も一つ、いただこうかな」


 憩いのひとときを過ごしていた騎士見習い達。そんな折に颯爽と現れたのは、近衛騎士団長アルベルト・ヴィッテフェーンだった。端麗な長身に騎士制服を着こなししょくしょを胸に吊るした姿は、凛々しいという表現のほかに見つかるだろうか。


「閣下に敬礼──!!」


 それに気づいた見習い達の誰かが高らかにそう叫び、彼らが一斉に姿勢を正した。訓練中の彼らがアルベルトを目にかける機会はそうそうないのである。実際、見習い達がアルベルトを目にしたのは入団式の激励のときだけだった。


「ん、甘くてサクサクだ。──最高の出来だ、シルフィア」


 サブレーを一枚口にしたアルベルトがシルフィアに向かって、そのサブレーに負けずとも劣らないほどの甘い笑みを見せる。


「……ありがとう、ございます」


 あれほどまで見慣れた彼の笑みだというのに、おおやけの場で目にしてしまうだけで、なぜここまで胸がときめいてしまうのだろうか。シルフィアはうつむいて後ろ手を組み、必死に照れを隠した。


「ではな。皆、訓練に励んでくれたまえ」


 そして、アルベルトはゆるゆると手を振る後ろ姿を最後に、あっという間に去っていってしまった。まるでシルフィアの差し入れのタイミングを見計らったかのようだった……。


「なあ、直視できたか? 閣下を」


「いや、まともに見ることができなかった……」


「おれたちには……あまりにも遠い存在すぎるよな」


 緊張の抜けた騎士見習い達が思い思いにアルベルトの姿を見た感想を口に出し始めた。


「は、はぁ…………」


 シルフィアもすっかり気が抜けてしまったようだった。


「シルフィア様、いかがなさいました?」


 シルフィアが溜め息をついたので、そばにいたミシェレは、ぱちりとまばたきすると心配そうに声をかけてきた。


「閣下が……閣下が眩しすぎるわ……」


 両手で目を覆ったシルフィアは、感嘆のうめき声を漏らしていた。


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※補足あとがき

 

 サブレーのレシピ発祥は17世紀頃フランスに遡るそうですが、【きらばら】世界には存在する菓子ということで何卒ご容赦お願いいたします。

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