18 蝶の止まる花
彼の髪が窓から射し込む朝の陽光を受けて淡く輝いていた。耳にかかるくらいの長さに切り揃えられた、少しうねりのある、ふわりとした紅茶色の柔らかそうな髪。
夜明けの一瞬を切り取った紺碧の瞳。
美神の寵愛を一身に受けたかのごとく端正な顔は、その彫りの深い目鼻立ちの陰影をはっきりと際立たせている。
清々しいほど、すっと通った鼻梁。
絵筆で描いたような眉。
儚さすら感じる薄い唇の造形は称賛に値する。
やや垂れ目気味の切れ長の目元は長い睫毛が彩りを添えて、女性を惑わす色気を帯びている。
近衛騎士団長にふさわしく、鋭く引き締まった精悍な顔。でも笑うと砂糖菓子のように甘い。
見方によっては抜き身の刃のような冷酷な男にも、優しげな人懐こさがある男にも感じられ、兎にも角にも人を魅了してやまない魔性と言ってよかった。
美麗なのは首から上だけではない。
見上げるようなすらりとした長身。
どれだけ鍛錬すればこれほどまで見事なものになるのか、との感嘆を堪えられない勇壮たる肉体美。
その整いすぎた容姿はあらゆる人の目を惹きつけてやまないだろう。
むろん、彼が恵まれているのは容姿だけではなかった。
王国一とも称される剣技。
騎士団長として部下を率いる聡明さ。
──そんな何もかもを兼ね備えた、常軌を逸している男。
街を普通に歩くだけで、通りすがる女性の十人中十人が立ち止まって振り返ってもおかしくない。それどころか行列ができてしまうだろう。
しかし全くもって不思議だ。
彼は人の海に溶け込んでしまうかのように気配を殺してしまえるのだ。
美女たちが束になっても勝てやしない神々しさの持ち主なのに、それを決してひけらかすこともしない。
社交界を蝶となって渡り歩き、咲き乱れる花々を手折ろうと思えば、紙でできた人形を千切るよりも
きっと、近衛騎士としての鍛錬が彼をそこまでの人格者に形成したのだろう。
その凄絶なまでの艶麗さはどこからやってくるのだろうか?
どうしてそんな彼がシルフィアだけのものになっている?
シルフィアはいつも不思議に思うのだ。
ふとすれば他の花へと飛び去っていってしまいそうな彼を繋ぎ止めるだけの魅力的な花たりえているのだろうか……と。
もしそうなのだとすれば、何が彼と自分とを繋ぎ止めているのだろうか。
それでもまだ自分は、彼が感情をあらわにするところすら見たことがない。
一度ならず不満をぶつけてみたこともあったけれど、そういうとき彼は決まって、困ったように微笑んではぐらかし、謝るだけなのだ。
もっと知りたい。
彼が何を考えているのかを知りたい。
昨晩の情事を思い出すだけで、身体に熱が灯って仕方がない。
焦らすのも計算のうちといったようで、シルフィアは彼の手に弄ばれていく──。
突然、両頬を柔らかくつねられた感触でシルフィアははたと正気を取り戻した。
「なにするんでふか〜? わたひの両手が塞がっているのをいいことに〜? ずるいでふ〜」
「いや、あまりにも美味しそうなほっぺただから、つい、ムニっとしたくなってしまって……」
今シルフィアは、明日、騎士見習いの仲間たちに差し入れで持っていくための焼き菓子の生地を捏ねているところだった。
背後から抱きすくめられるようにして彼の手が伸ばされ、無防備な頬を好き放題されている。
「ひたすら無心で捏ねていたのを邪魔ひないでください」
「応援しているだけだから」
その低い美声で耳元に囁かれるだけで、ぞくりと快い痺れが脊柱から頭頂へ抜けていくようだ。
「もう、くすぐったいでふ」
なぜ、彼に選ばれたのがシルフィアなのだろう。自分が彼にかけたことといえば迷惑くらいだ。
記憶は無いが、酔っ払ってうずくまっていたところを彼に縋りついたらしい。
なんと破廉恥な。到底、淑女のすることではない。しかし彼はそんな恥ずべき自分すらも優しく受け止めて認めてくれた。
はた迷惑な女だ、と我ながら思ってしまう。元婚約者に傷つけられたと全く自覚をしていなかったが、彼に慰めてもらったことで、ようやくそれを知ることができた。
元婚約者に比べるのも失礼だが、彼はどこまでも器の大きな人物だと思う。
「あ、もう! どこを触っているんですか!?」
そんなところを触られては変な気になってしまう。勘違いしてしまいそうだ。いや、勘違いしたままでいいのかもしれない。自分は彼のものだともっと自信を持っていいのかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありだ。その神に目いっぱい甘えることとしよう。そうすれば嫌な記憶も上書きされていくはずだ。
「いやあ、服の上から触るのはなかなか無いなあと思って。生地を捏ねている手つきもなんだかいやらしいし?」
彼の胸を揉む手がより一層、悩ましいものになっていく。
「あっ……やっ……もう……」
「指先が触れた途端から吸い付くように掌を優しく沈み込ませて包む。それでいて掌を跳ね返す弾力の豊かさだ。……素晴らしい」
「感想を言わないでください!」
少しでも彼の癒しになれているのなら、とシルフィアは嬉しく思うのだ。
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