15 一介の近衛騎士

 王太子マクシミリアンの起床は早かった。よわい二十になる彼は年相応の若々しく人好きのする顔をしている。


 薄絹の天蓋付きの豪奢な寝台は王家伝来のものだ。螺鈿で装飾されたそれは、およそ貨幣価値に換算できない国宝級の品である。


 今日の朝食はクリームチーズを生地にたっぷり混ぜ込んだパンケーキだ。マクシミリアンは甘いものが好きで、朝食はたいてい、たっぷりのジャムや蜂蜜、メープルシロップをかけた焼き菓子に近い料理を食べる。


 そうして朝の支度を終えた彼は、今日も今日とて「彼女」の元に会いに行くのだ。特に精鋭の近衛騎士で脇を固め、お忍びで王城を出る。

 

 移動は徒歩だ。もちろん、素性が一般人に明らかになるわけにはいかないので、庶民らしい平服を着て出かけるのだ。お付きの近衛騎士も腰に剣をいているだけ。マクシミリアンはそもそも帯剣すらしない。近衛騎士にはいつもそれを咎められるのだが、マクシミリアンは「僕を守るのはおまえの役目だろう」と一蹴している。


 近衛騎士は市街をぼんやりと一枚の絵のようにして眺めるように歩く。そうすることで、視点が一箇所に固まらず、素早く異変の兆候に気づけるのだ。


 街の中心部には活気ある広場が広がっており、商人たちが品々を並べて取引をしていた。古い石造りの建物が並び、その中には宿屋や商店などが軒を連ねている。


 路地裏には小さな工房や家々が点在し、そこでは人々が日々の生活を営んでいる。子どもたちが笑いながら駆け回り、犬や猫がのんびりと歩く姿が見られ、いつも通りの平穏な様子だ。


 マクシミリアンは辻の花売りから花束を買っていった。今日は白い薔薇の花束。

 

 そうして辿り着いたのは大衆酒場だ。まだ営業前で客に出す料理の仕込みをしている最中である。建物の外からも香ばしい匂いが漂っていた。


 マクシミリアンはそこの看板娘にぞっこんなのだ。親戚が酒場の店主で、そこに働きに来ている平民の娘。取り分けて美人というわけではないが、さっぱりした顔をしていて印象のよい娘だ。


 娘にはまだ自分が王太子であることを話していないらしい。それも時間の問題だろう。ただ、結婚するにあたって王籍を抜けなければならないから、その頃には王太子になっているだろうが。


 娘に花束を渡し、少し会話をすると、マクシミリアンは王城へ戻るためいくつかあるうちの道のひとつを歩き始めた。


「今日の護衛任務も大儀であった、アルベルト」


「はっ」


 アルベルトと呼ばれた近衛騎士は王太子にうやうやしく一礼をした。


 ◇


「フェル、今日も弟の逢引きのおりをさせられた」


 アルベルトは胸にわだかまる複雑な感情をエールで流し込んだ。


「心中お察して余りありすぎる、アルベルト」


 アルベルトは当然だが近衛騎士団の中で一番腕が立つ。その腕を見込まれ、王太子のお忍びの護衛は必ず彼に任されている。騎士団長になる前からの慣例だった。


「おまえとは生まれた瞬間から腐れ縁だが、弟に関しては他人のようにしか感じない。よっぽどおまえの方が親近感が湧く」


「褒められているんだか、貶されているんだか、わからんな」


 アルベルトとフェリクスは言わば乳兄弟だ。アルベルトの乳母がフェリクスの母なのである。王宮の侍女をしていたフェリクスの母は、当時アルベルトを出産したメイドの世話係に抜擢されたのだ。


 二人は一歳違いで家族同然に育った。フェリクスは当然ながらアルベルトが王家の隠し子であることを知っている。


「おれも日中からシルフィアに会いたい」


 アルベルトはもうシルフィアの存在をフェリクスに隠していない。フェリクスがシルフィアの騎士団入りを手配したことはすでに知っている。


「会いに行ってやれよ、正式に恋人になったんだろう?」


「彼女の集中を妨げてはいけないからな」


「モテる騎士団長閣下はつらいなあ」


 フェリクスもエールの酒盃を片手にアルベルトを皮肉った。


「あまり大きな声で『騎士団長』と呼ぶな。誰が聞いているかわからん」


 ここは二人の行きつけの酒場だ。アルベルトがシルフィアにも紹介したところである。二階の宿でアルベルトがシルフィアとめでたく恋人になった記念の場所でもある。


「これから王太子になる気分はどうだ?」


 酒の席であるのをいいことに、フェリクスは口をはばからなかった。


「最悪、という他ない」


「シルフィア嬢と結婚できるだけありがたく思えよ」


「国王陛下にまだお伺いを立てていない。決定事項みたいに言うな。陛下のこころ次第で全部ご破算だ」


 国王の鶴の一声でシルフィアとの結婚が左右されると思うと、怒りよりも不愉快がまさった。


「そう悲観するなって」


 フェリクスは親友の肩を励ますように軽く叩いた。


「なぜ、どうして、この運命を被るのがおれなのだ、と何度も思ってきた。それゆえに呑気な弟を見ていると無性に腹が立つ」


「国王陛下はおまえをどう思っていらっしゃるんだろうな」


「どうせ都合のいい替え玉としか思っていないんだろう」


 アルベルトはエールを飲み干して、長い溜め息をついた。

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