12 クラウフェルト子爵夫妻

私の娘シルフィアが次期王太子妃だと……!?)


 バスティアン・クラウフェルトは驚愕と共に、感謝をしていた。それは、愛娘シルフィアを婚約破棄した、今はもう名前すら思い出したくない元婚約者、そしてその男の赤子を妊娠した知りもしない女へと。


──危うく愛娘を浮気するような無責任男に差し出すところだった。


 子爵夫妻はなかなか子宝に恵まれなかった。ようやく生まれたのがシルフィアたった一人なのである。妻のエフェリーンとの間には、跡継ぎとなる男児が生まれなかったが、バスティアンはエフェリーンをとても愛していたので決して側妻を娶ることはしなかった。


 シルフィアには婿を取らせて、その婿に子爵家を継いでもらおうと思っていた。結局は嫁に出すことになり、可愛い娘を見送るつもりでいたが、その結果が散々で、バスティアンはひどく落胆していた。心に大きな傷を負っただろうシルフィアが少しでもその傷心を癒すことができるようにと独り暮らしを許可した。


 一人で生活するのは防犯面で危険だからと従者をつけることも提案したが、シルフィアは頑なに首を縦に振らなかった。だが今思えば、なんでも一人で身の回りの生活を整えることが、シルフィアにとっては嫌な出来事を忘れさせてくれる大切な時間となっていたのかもしれない。


 バスティアンは目の前のソファに腰かけている客人を再び観察した。


 彼が次期王太子であること、信じがたい話ではあるが、嘘をついているようには思えない。嘘をつく利点がないからだ。


 近衛騎士団長アルベルトとは数度、王城の中ですれ違った程度の仲だ。近衛騎士団はラヴィエール王国の騎士の中でも精鋭中の精鋭揃いだと聞く。王族はもちろん、国の要人も警護する。その職務内容から国家機密にも触れるために、他者に身分を明かすことが固く禁じられているのだ。機密を漏洩した者は死罪となる。


 その身分をシルフィアに明かし、交際をするというだけでなく、次期王太子というのだから、驚かずしてなんとする。


わたくしは、国王陛下のお手つきになったメイドが産んだ庶子です。公表はされておりません。その後、国王陛下の命令で近衛騎士として働いておりました」


 なるほど、国王陛下は近衛騎士として目の届くところにアルベルトを置いておき、監視を続けていたのだろう。


「アルベルト殿下」


 バスティアンは重くなった口を開いた。


「そのままアルベルトとお呼びください。半年後までは一介の騎士でございます」


 アルベルトは引き締まった端正な顔をわずかに綻ばせた。


「失礼いたしました、アルベルト卿。貴殿は娘を将来的にどのように遇するお考えですかな?」


「むろん、王太子妃として彼女を迎えたい所存です。とはいえ、まだ彼女には本当の身分を明かせずにいるのですが」


(シルフィアを見定めているのだな、この男は……)


 そのような娘に育てた覚えはないが、次期王太子と聞いて目の色を変えるような娘だったら捨てることも厭わない、という意味だとバスティアンは解釈した。


「アルベルト卿、シルフィアのどこがお好きなのです?」


 いつの間にか、妻のエフェリーンも隣のソファに腰かけていた。


「そうですね……。部屋に招待してもらって手料理を振る舞ってくれました。とても美味しくて、心が温まりました。何よりも可愛らしい女性です。隔てる壁一枚すら消し去りたいくらいです」


 アルベルトは少し頬を朱に染めながら答えた。


(もうそんな仲なのか!)


「あら、情熱的だこと……」


 エフェリーンが頬に手を当ててぽつりと呟いた。


「将来的に王太子妃として娘を迎えてくださるのなら、我々も喜んで娘との交際を応援いたします」


 バスティアンはそう口にしつつも、腹の中にはいくつかの打算がある。王族の外戚として、クラウフェルト子爵家が王家の後ろ盾を得るのだ。しょうしゃくもおそらく確約されたことだろう。娘を決して利用するわけではないが、婚約破棄されたことに改めて感謝をしていた。


「ところで、シルフィア嬢が近衛騎士見習いになりたいと、ご本人が言い出したことなのですが……」


「はい!?」


 バスティアンは娘がときどき突飛な行動をすることは知っていたが、さすがに想定外の話を振られて、ソファから身を乗り出した。


「こちらといたしましては、まだ周囲に公表できる段階ではないので、見習い騎士として扱います。まあ、有事の際における護身術の訓練だと思っていただければ」


「は、はあ……」


(そう考えれば納得、なのか……?)


 バスティアンは心の中で娘の暴挙に溜め息が出たが、娘が望んだことは止めはしない父親でありたい。


「楽しそう……! ビシバシ鍛えてあげてくださいね」


 エフェリーンはバスティアンの内心の苦悩など一切察していないようだ。


「シルフィア嬢は生涯かけて私がお守りいたします。まだ内密な話ではございますが、私と彼女を信じて見守っていただければ幸いです」


 アルベルトは両膝に手をついて、深々と頭を下げた。


「どうかよろしくお願いいたします、アルベルト卿」


「これから忙しくなってしまいますわね!」


 子爵夫妻は娘の新たな旅立ちを楽しみにすることにした。

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