5 二人の親友

──数日後の夜、王都内のとあるしょうしゃな酒場にて。


「──というのが、偽装恋人になった経緯だ」


「…………」


 フェリクスはアルベルトの一つ歳上、二十五歳。だが、二十五年生きてきて、好きな女性に偽装恋人を依頼する人間を見るのは初めてだ。絶句。空前絶後。意気消沈。


「間抜け面になってどうした? フェル」


 薄暗い店内、暖色の照明の下、隣でウィスキーのグラスを傾けているアルベルトが訝しげな表情になった。


「……おまえのあまりのアホさ加減に気絶していただけだ」


「どうしておれがほうだと?」


「アホだろが! 好きな女に恋人のフリをしろと頼むアホがどこにいる! ……ここにいるんだけどな!?」


 フェリクスはガックリとうなだれた。十五年来の竹馬の友がここまで女心に鈍感だと、さすがに心配になる。


「つまりおれは……あれか、やらかしたか」

 

「そうなんじゃないか?」


 アルベルトはすっかり酔いが醒めていくようだった。


「なあフェル。彼女がよりにもよっておれを選ぶとは思えないんだ。政略結婚は嫌がっているようだし」


 フェリクスは励ますように親友の肩に手を乗せた。


「気持ちは理解できるが──おまえの場合はただの貴族同士の政略結婚でもないしな」


 そうして腕を組んで何やら考え込み始めたフェリクス。しばらくして、うつむかせていた顔を上げた。


「アルベルト……少しでも打開策を講じよう。一つだけ、案がある」


 ◇


 シルフィアが久々に訪ねた親友アレクサンドラの屋敷の庭園は見事なもので、ガゼボの周りにはツル薔薇が薄桃色の小さな綿菓子のように甘い香りを漂わせながら咲き誇っており、見る者の心を躍らせる。


「お帰り、アレクサンドラ」


 クラウフェルト子爵令嬢シルフィアは、隣国に留学していた古くからの友人、スタウヴェン公爵令嬢アレクサンドラに再会の挨拶をしているところだった。


「ただいま、シルフィア」


 アレクサンドラはこのラヴィエール王国王太子の婚約者。語学堪能、才色兼備とあって、まさに未来の王太子妃にふさわしい。彼女が発表した経済学の論文は、この国の学者やら文官らをうならせる内容だったそうだ。


「浮かない顔ね、アレクサンドラ」


 シルフィアはアレクサンドラの複雑そうな表情を見つめていた。


「口外厳禁の話よ。王太子殿下がね、町娘に恋をして市井に身をうずめるおつもりらしいの」


「えっ!? あなたの婚約はどうなっちゃうの!?」


 シルフィアはあまりにも予想外の話に唖然としていた。


「もちろん無しよ。王太子殿下にお力添えしようと思って留学までして勉強したのに、まさかの皮肉ね」


「そんな……ひどいわ……」


 しかし、アレクサンドラは微笑を浮かべたまま首を横に振った。


「いいのよ。留学して広い世界を見たおかげで、逆に吹っ切れたわ。一つのことにこだわる必要はないと。このラヴィエールに貢献できるなら、別に王太子妃という形ではなくていいわ。その町娘に恨みもないし」


「さすが、あなたは人格者ね」


 シルフィアは親友アレクサンドラのこういうところを尊敬しているのだ。


「シルフィア。あなたこそ大変な思いをしているじゃない。手紙で婚約破棄されたことを知って、心配だったわ」


「ふふふふふ……」


 シルフィアはアレクサンドラに顔を近づけるよう手招きした。


「どうしたの、そんなににやついて! 大丈夫!? 精神的ショックを受けすぎたの!?」


「それがね、聞いてほしいの。……私ね、好きな人がいるの」


「きゃあ! ……誰? 聞いちゃってもいいの?」


 するとシルフィアはアレクサンドラに耳打ちする。


「近衛騎士団長閣下よ」


「アルベルト・ヴィッテフェーン!?」


 明らかにアレクサンドラがはっとした顔になった。


「まさか、あなたもファンなの? 騎士団長様ですもんね」


「ち、違うの……ちょっと、いやかなり驚いただけ」


 動揺をごまかすように、アレクサンドラは手にしていた扇子で口元を隠した。


「個人情報だから、ここだけの話だけれど、引っ越した先のアパートメントのお隣さんなのよ」


「あらまあ……」


 アレクサンドラは何かを確実に理解したように、しきりにうなずき始めた。


「でもね、彼にね、『恋人のフリをしてほしい』って言われたの」


「どうして?」


「詳しい理由まではわからないけれど、閣下にはどうしても破談にしたい縁談があって、そのための偽装恋人なのよ。……彼には他に好きな人がいるの。だから私、『第三の女』よ!」


「そんな涙目になって言うことじゃないわ。ごめんなさい、深入りして。……でも好きな気持ちがあるならね、それを信じてほしいの」


「……信じる?」


 シルフィアはハンカチで涙をぬぐってから、アレクサンドラの顔を見つめ直した。


「そうよ」


 アレクサンドラは扇子をパチンと閉じた。

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