4 セフレ認定

「わずかに香水の残り香がする。ついに女ができたのか、団長サマ?」


 出勤早々、目ざとく、いや鼻ざとく嗅ぎつけてきたのはおれの同僚というか部下というかの副騎士団長フェリクスだ。


「ハァ……おまえは鼻が効くな、フェル」


 おれは昔からこいつを「フェル」と呼んでいる。


「遊び女か? 恋人か?」


 これ見よがしに嬉しそうにしているフェルを一睨みしてから答える。


「おそらく彼女にとって、おれはセフレに相当するものなんだと思う」


「ぶふぉ──っ!」


 フェルは口にしていたコーヒーを危うく吹き出しかけた。


「我らが騎士団長サマをセフレ扱いするなんて、どんな肝の太い女だよ……!」


 フェルは大笑いしながらおれの背中をバシバシと叩いてきた。


野郎、あまり大きい声で喋るな! 風紀が乱れる」


「おまえが乱れてるんだよ。それで? 可愛い子なのか?」


「絶対おまえには教えん」


「お楽しみやがって。……わかっていると思うが、くれぐれも気をつけろよ」


「ああ、わかっている」


 フェルは騎士団の中でもモテる。いかにも女性を取っ替え引っ替えしていそうな甘い顔立ちなのに、自分は女性には興味がないというクールな立ち回りをしているところが人気の秘訣なのだろう。当然だが絶対にシルフィアには会わせられない。


「それはそうと、王太子殿下がついに王籍を外れる決意をなさったらしいな」


 このラヴィエール王国王太子マクシミリアンは、お忍びをした先で酒場の看板娘に恋をしてしまい、彼女との結婚を望んでいる。しかし国王陛下は町娘を王太子妃にすることは許さず、マクシミリアンが王籍を抜けることでのみ婚姻を許可するそうだ。


「……ああ。あと半年で次の王太子が決まる」


 ◇


 アパートメントに帰ると、何やら料理の香ばしい匂いが出迎えた。


「あ、お帰りなさい! 勝手に部屋に入り込んでました」


 玄関のドアを開けると、輝くような笑みのシルフィアが小鍋を持って嬉しそうにこちらを振り向いた。そんなにおれの帰りを心待ちにしていたのだろうか? いや、さすがに自惚れだ。


「それは構わないが」


 シルフィアの笑顔が心に広がっていくようだ。騎士服は事務所で着替えるので、出勤のときも帰宅のときも平服を着ている。上着を脱いで玄関のハンガーに掛け、シャツとトラウザーズの上下の楽な格好になると、シルフィアが手にした料理の香りがさらにリラックスさせてくれるようだった。


「これ、大量に作ったシチューのお裾分けです。一緒に食べませんか?」


 確かに鍵を置いていったのはそうだが、初日からセフレ相手にここまでするだろうか。まあ何であれ、ご相伴に預かろう。


 女子から手料理なんて嬉しい。シチューを口に運ぶと、鶏肉がとろけるように柔らかく、野菜の旨味が溶け込んだスープが、味覚を豊かに包み込んでいくようだ。パンを浸して食べると、これまた美味い。自然と笑みがこぼれる。お代わりをしたら、あっという間に小鍋の中身は空になった。


「美味しかったよ、ありがとう、ごちそうさま」


「いえそんな、今までのお礼です!」


 シルフィアはぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。


「いや、昨日もフィナンシェをいただいたのに」


 あのフィナンシェも紅茶とぴったりだった。


「やっぱり自分で作ったのがいいんです! 今度はうちでご馳走します! それと鍵はお返しします」


 シルフィアが手渡そうとしたもう一つの鍵だが、おれは受け取らなかった。


「鍵は持っていていい」


「え……いいんですか?」


 シルフィアはなんだか驚いているようだ。


「実は……あと半年でここを引っ越すんだ」


 しかしそう告げると、シルフィアの表情が一瞬にして曇ってしまった。


「そうなんですか」


「それでおれは、この国の近衛騎士団長をやっているんだが」


 身分を明かすと、シルフィアは驚愕の表情に変わっていた。


「こ、近衛騎士団長ぉぉぉお!?」


 辺境騎士団が国境を警備するこの国の盾だとするならば、近衛騎士団は王族を護衛する王家の盾。あまり目立たない裏方の仕事だが、貴族令嬢であるシルフィアなら、さすがに知っていたか。


「おれにはとある縁談が舞い込んでいる。だがお相手の女性はどうやらおれのことが好きではないらしい。そこでだ。その縁談をなんとか破談にするため、きみにはおれの恋人のフリをしてもらいたい」


「つまり偽装の恋人ということですか!?」


 シルフィアの肩がぴくりと跳ねた。


「そうだ。きみは半年間、おれの恋人を演じてくれ。その後は自由にしていい」


 おれはシルフィアがちらりと見せた笑顔──歓喜の表情を見逃さなかった。落胆してしまう。おれは彼女にとってセフレ未満の存在であることを察したからである。シルフィアが喜ぶということはつまり、偽装恋人を嫌がらないということ。この自由な状況を楽しんでいるのであって、恋愛を楽しみたいわけではないと。それどころか恋愛をして傷つきたくないのだろう。彼女は婚約者に捨てられたばかりの身だから当然だ。


「嫌がらないんだな。失礼な話を持ちかけているというのに」


 すると、シルフィアはにやつきを隠さなくなった。


「嫌なわけありません! 騎士団長閣下の恋人代理をできるなんて名誉なこと!」


 心の中でだけ大きな溜め息をついた。こちらとしても、とっさに訳のわからない依頼をしてしまったことに困惑している。シルフィアを手放したくないという気持ちだけは変わらないが、シルフィアの方から半年後に別れを告げたいというのなら話が違ってくる。シルフィアの「恋人代理」という表現。セフレを優しく言い換えただけじゃないか。あくまで彼女は肉体関係を結べる対象を求めているだけで、恋愛対象を必要としていない。……いや、諦めてなるものか。この半年間で必ずシルフィアを振り向かせてみせる。

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