第21話 現状逃避で逃れたい

上司のパワハラに苦しんだ私は、自分はそうならないように注意した。


若い子の話は面白かった。

世代格差を感じることは多々あるが、それでも年上を敬う気持ちは変わらない。こんなおじさんの私と色々な話をしてくれた。


たまに、山根君の上司であることを同情されることもあったが、その時には『山根君は良い子だよ』と笑うことにした。

そう、パワハラ、セクハラをしない上司にならないよう頑張ったのだ。だから飲み会に誘うことはしなかった。食事も誘われない限りはいかなかった。

まぁ、そう誘われることもなかったけれど。


いや、山根君とは週1回、食事に行っていた。

理由は山根君の金欠とか、金欠とか、金欠とかだ。

酷いときは週3回は一緒に行った。そう言えばカラオケに行ったこともある。


『俺、98点取ったことがあるんすよ』と脈絡もなく話され、『聞かせてあげますよ』と言われ、そのまま連れていかれた。

あれは酷かった。なぜなら山根君オンステージだったからだ。

カラオケボックスに入った山根君は、あっという間に20曲予約し、私にマラカスとタンバリンを渡した。

その後の私は、おさるの人形だ。

あ、山根君はおさるの人形を知らなかったな。おさるの人形は私が子供のころ、高確率でどの家にもあったもので、おさるが狂ったようにシンバルを鳴らす人形だ。

思い出すとかなり狂気的な顔をしていたな。ちょっと恐怖だ。

そう、つまり何が言いたいかと言うと、私は山根君の歌に合わせて、ひたすらマラカスを振っていた。20曲終わるまでずっと。


そんな山根君は20曲歌い終わると、『今日は調子が悪いっすね』と言って帰っていった。もちろん支払いは私だ。

悔し紛れに山根君が帰った後に歌った私の歌は99点、曲は米津玄師の花火。実は特技はカラオケだ。


ああ、どうしよう。もうこれ以上現実逃避のネタがない。

ネタ、ネタ、ネタ。

山根君の好きなすしネタはイカ。社長の好きなネタはこはだ。私の好きなネタはイクラ。紗枝ちゃんの好きなネタはトロ。


ねた、ネタ、寝た。紗枝ちゃんの寝顔は天使。だが寝相は悪魔だ。

突如振り下ろされる腕、足。獣の本能でサッと避けることができなければ、潰されてしまう。そんなリスクを背負いながらも一緒に寝るのは、紗枝ちゃんを守るためだ。


山根君似の神様のせいで紗枝ちゃんを、紗那君と優しいご両親から引き離してしまった。

その責任はどう考えても、百歩譲っても、山根君似の神様のせいで、私のせいではないけれど、それでも責任を感じてしまう。

なんて真面目に考えても、もう無理だ。うん、真面目に考えればなんとかなるかと思ったけど、さすがにやはり難しいらしい。


「かわいいでちゅね~。あ~、良い匂い、このぷりぷりしたお腹~。あ~、最高~」


うん、本当に無理だ。もう泣きたい。


「ほ~ら、すりすり、なでなで、きゃわいいでちゅね~。ああ、肉球もぷにぷに、お日様のにおい~」


いや、肉球はぷにぷにしていないよ?アスファルトの上で散歩している私の肉球は、ざらざらしていて硬い。そしてお日様のニオイではない。きっと臭い。これは自覚がある。


油断を誘うために、わざとひっくり返ってお腹を触らせているけど、なんだろう。恥ずかしいし、いたたまれない。


茶太郎として生まれ変わった時、人間の記憶はあったけどそれでも犬だったのだろう。

初めのうちは違和感こそあったが、段々とお腹を触られても、なんとも思わなくなっていた。だって犬だしね。


でもこちらの世界に来ることによって、知能や羞恥心が人並みになったのだろう。


ああ、もう駄目だ。本当に無理。おっさんに触られている現実に、涙が溢れ、心が荒んでいく。

犬の時ならキュンキュン泣いていただろう。だが今はそれもできない。だから無になろうとしたけど、それも無理。

山根くんエピソードで現実逃避しようと思ったけど、現実が痛すぎて、もっと無理。


ああ、どうしよう。

なんとか逃げる方法がないかな。人を傷つけず、自分を守れる手段。もう、アレかな?使っちゃおうかな?魔法じゃなくて神力?


なんて自問自答していた私に、救いの神はやって来た。なんと大きな音を立てて扉が開いたのだ。


「親分!100年の時を彷徨うものサタ・アノ・プラネテスがこちらに向かってるって情報が――あ……何してんですか?」

子分の落胆した顔を見て、親分が真っ赤になって、私を撫でていた手を止めた。


これはチャンスだ!私は思いっきり、親分の膝から飛び降りる。

おじさんだった頃の私とは違う!今の私は足が速い!それこそ愛車のミニより速いのだ!


ダダダっと弾丸のような速さで走る。子分の足をすり抜け、捕まえようとしてきた廊下にいた子分を跳躍することで、避ける。


そしてそのまま――あー!前方に扉!

走り出した犬は止まらない。ぶつかるー!と目を瞑ったら扉は破壊された。

勢いのまま走る。場所は森の中の一軒家だ。帰巣本能に則って紗枝ちゃんの匂いを探すぞ!私は犬!できるはず!


と言うか扉にぶつかっても、壊れたのは扉って。私、頑丈過ぎないか?これも私が規格外だからだろうか。でもだったとしたら規格外の力で紗枝ちゃんの元へ行けるはずだ。


よしよし、なんとかなる気がして来たぞ。

さぁ走るぞ、大河原敏行!じゃなくて茶太郎!

なんとなく東だ!

私には力があると信じるのだ!


走れ!はしれ!

あ――――――――!足元の地面が消えたー!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る