第8話 神様を呼び出したい
久しぶりに覚えた怒りを覚まそうと、大きく息を吐く。犬になってもため息は出る。動物であっても感情表現ができると知ったことは、幸せなことだろう。
嫌な気持ちになった時はポジティブ思考に切り替えることが大事だ。
会社にやくざと言う名の押し売りが来た時は、これも良い経験だと思って懇切丁寧に対応し、帰って頂いた。
恋人だと思っていた同僚が、実は上司と不倫をしていたことを知った時には、呆れ果てたがそれでも彼女の幸せのため、上司と別れさせることに尽力した。
「こいつ、使えないからお前の部下にしろ」と社長に押し付けられた山根君は、人とのコミュニケーション能力があると考えることにした。
仲が悪いと思っていた両親は、実は仲が良かった。それを知ったのは母が死んで、父が母の遺体に泣き縋っているのを見たからだ。人生は有限で、人は自分の主観でしか物を見ることができないと知ったのもその時だ。誰しもが良い所もあり、悪い所もある。側面だけ見て判断してはいけない。同様に、あらゆる出来事は悪い事ばかりではない。例えその時、自分の身に振りかかってきた災厄に涙しても、いつかそれも良い経験だと笑える日が来るだろう。そう思って生きて来た。
だから死んで犬に生まれ変わっても、それなりに前向きに生きてきた。犬生を全うしようとしていた。
たとえ、山根君似の神様に間違えて殺されたとしても、たとえ、どう考えても間違って転生させられたにしても、それでも前向きに、恨むことなく生きていこうとしていた!なのに!!
「さすがの私だって恨むよ?」
呟いた言葉は風が草原を渡る音によってかき消された。
今、私は草原の中にいる。
生い茂る緑の葉。小さく色とりどりな見たこともない花。空には太陽が2つ。白い月は3つ。
周囲を見回すと、遠くに山が見える。素敵な景色だが、心は癒されない。
「ねぇ、茶太郎……パパとママはどこ?しゃなは?」
山根君似の神様が、やっちまって下さりやがったようだ。
山根君似の神様が、私を本来行くべきだった異世界に送ろうとしたのは……分かった。それは肌で感じた。だが!
なぜかそこに紗枝ちゃんがいた。意味が分からない!なぜそこまで失敗ができるのか!
いやいや、確かに山根君は、なんでそんな失敗するのかという事ばかりしていたが!
お客様を社内に招いての食事会の際に、仕出し弁当の手配をお願いしたのに、宅配ピザが来た時にはびっくりした。間違わないように仕出し弁当屋の電話番号もメモで渡し、それに金額まで記入したのに!なのに宅配ピザだなんて!
『弁当よりこっちの方が美味いし、安いじゃないっすか』と言った山根君に、私はどうやって説教をしたのか……。ああ、人の味覚はそれぞれだからね、と言って怒らなかったのか……。それが悪かったのだろうか。いや、今はそういう問題じゃない。
「紗枝ちゃん……」
「茶太郎がしゃべってる!」
紗枝ちゃんは驚いている。当たり前だ。今まで『わん』とか、『キャン』とかしか言えなかった犬が突然話し出すのだから、気味が悪いはずだ。私だったら、腰を抜かすばかりに驚くところだが、そこは幸いまだ幼児。大きな目をぱっちりと見開いただけだ。
それにしても、これが異世界ちーというやつか。声帯は犬なのに、どうしてこんなに流ちょうに話せるのだろう。いや、今はそんな時じゃないな。
「茶太郎……これって異世界転移ってやつかな?」
「良く知っているね。偉いねぇ」
本当によく知っている。アニメで見たのだろうか……そう言えば紗枝ちゃんのお父さんはアニメ好きだ。ふたりで一緒に見ていたな。私も一緒に見たが、内容は頭に入っていない。興味なかったし、必要な時が来るとも思っていなかったから。
山根君から借りた漫画の内容のほとんどを覚えていないのと同じだな。
「茶太郎……おじいちゃんみたいな話方……」
うん、わんこ年齢は1歳半だけど、人間年齢は52歳だからね。おじさんだからね。おじいちゃんじゃなく、おじさんだからね。
「さえ……もう帰れないのかな?もうパパとママに会えないのかな…………」
紗枝ちゃんの声が尻すぼみになる。大きな目には涙が溜まっていく。
ああ、なんてことだ。私に巻き込まれたばかりに!いや、すべては山根君似の神様が悪いんだけど!!
だが心の中で呼んでも、叫んでも、神さまの来る気配はない。
あのくそ神様め!責任とれや!この野郎!
紗枝ちゃんは私をギュッと抱きしめる。心細いのだろう。身体が少し震えている。
「こういう時は冒険者ぎるどに行って、とうろくするんだよね?さえはまだ4歳だけど、とうろくできるかな?」
「ぼうけんしゃぎるど?ってなにかな?」
「茶太郎知らないの?てっぱんなんだよ?」
「てっぱん?鉄板……かな?」
鉄の板がなんだって言うんだろう。ああ、同じ日本人なのに、ついていけない。
「あのね、きょうかいとかギルドに行って、じょぶとかの適正を見るんだよ?それでね、剣とか魔法が使えるようになって、ばーんって攻撃して、ぼんって倒すの」
「そうなんだね……すごいねぇ~」
どうしよう。本当に分からない。そもそも犬の私は剣を持てるのだろうか?あ、咥えれば良いのか。口小さいけど、咥えることができるかな?
「さえはタンクになりたいな。シーフもかっこいいよね?」
たんく?なんだろう。タンクローリーなら知っているけど、きっと違うだろう。
しーふ?シーフードではないはずだ。
その後、私は紗枝ちゃんの異世界話に付き合わされたが、なにひとつ分からなかった。
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