第漆話 精神世界

 見渡す限りの白一色。

 どこまでも続いているようで、手を伸ばせば触れる距離に壁があるような、そんな錯覚を覚える空間。

 

『無事入れたようですね』


 虚空から神樹の声が聞こえてくる。

 

「こレが精神世界か」

『はい。ですがまだ表層……水神の元へ行くにはもっと潜っていく必要があります』


 その場で浮遊し漂っている感覚から一変、下方への強い引力に落ちていく。

 

『集中してください。私はあくまで介添かいぞえ役、ハルトさんの意思が無ければ辿り着くことはできません』

「どォすりャいい」

『水神、白蛇、分神魂、なんでも構いません。その元へ行きたいと強く念じるのです』


 目を閉じる、という表現が正しいのかは分からないが、純白の世界に広がっている意識を集中、思い浮かべるのはあの社。

 そこで飛び掛かってきた白蛇へと……。

 

『良い感じです。そのまま、もう少し……』


 深く、深く潜っていく……。

 景色は段々と薄暗く、灰色から黒へと移り変わっていく。

 

「……貴様ハ、何ヲ望ム」


 下方から声が聞こえてくる。

 こちらへ飛んだ時に聞いた、あの声と同じ声色。

 更に沈んでいくと、その姿が見えてきた。

 

 とぐろを巻き佇む白蛇。

 その大きさは同じくらいに見え、とぐろを考慮すれば全長三~四メートル程に思える。

 その全身を黒いベタついた何かが絡みつき、動くことを阻害しているようだ。

 

「貴様ハ、何ヲ望ム」

「俺ン身体について教エろ」

「物ヲ頼ム態度カ?」

「うるせェ、素質とやらで俺を選ンだンはォ前だろ」

「……」

『すみません、水神。私からもお願いします』

「神樹……仕方ナイ、良イダロウ」

『ありがとうございます!』

「タダシ、条件ガアル」


 白蛇はこちらを睨みつけるようにして、

 

「世界ヲ、救エ」

「俺ァ俺のヤりたい様にヤる。満喫しろッつッたのァ誰だ」

「良イノカ?」

「ァあ?」

「満喫スル世界ガ無クナルゾ?」


 ……言われてみればそうだ。

 聖皇国が他種族を滅ぼそうとすれば当然戦争が起こるだろう。

 一方的な蹂躙にならない限り、全種族は壊滅的ダメージを負う。

 正直、人間側はどうでもいいとすら思うが、亜人側との交流はこちらでしか出来ない。

 神樹の言っていた運命ってのはこの事か。

 

「…分ァッたよ、ッたく」

「ナレバ、手ヲ出スガイイ」


 言われた通り右手を差し出す。

 白蛇はベタベタを振り払うようにして頭を伸ばし、右腕に噛み付く。

 甘噛みなのか、歯が刺さってないだけなのか、痛みはない。

 その状態で十秒程後、右腕が解放される。

 

「コレデイイ」

「何も分かンねェぞ」

「時ガ来レバ理解デキル」


 ゴウッッ!

 

 突如強風が吹きすさび、身体が持ち上がっていく。

 集中力の限界か、白蛇に追い返されたのかは分からないが。

 ついでと言わんばかりに声が響く。

 

「更ナル力ヲ求メルナラバ、我ガ本体ニ会ウガ良イ……」


 そのまま意識は、純白の世界へと……――――


 * * *

 

『さぁ、リリちゃん。付与魔法の特訓をしましょう!』

「はい、神樹さま」


 目を開けると、薄っすら桃色掛かった明るい空間に居た。

 

『とは言いましたが、時間がなくて出来ることは限られているので……』


 目の前にいる神樹さまはほのかに輝いている。

 森で最初に出会った時と同じ思念体なのだろうか。

 その両腕が私の頭へと伸ばされ、

 

『私の魔力をリリちゃんの身体へ流します。まずは魔力が循環する感覚を覚えましょう』


 左側頭部から温かい何かが流入してくる。

 それは首、肩、左腕へと流れ、心臓へ達すると急激に全身へと熱が広がっていく。

 

『上手ですね。今のが魔力の流れ、その基本です』

「基本……」

『はい。先程ハルトさんとの会話でも言いましたが、空気中の魔力を肺から吸収、心臓により血液を通して全身を巡ります』


 熱の広がり方を思い出し、何度か深呼吸を試す。

 

『今、私が送り込んだ魔力には、付与魔法が施された形跡がありませんでした。つまりリリちゃんは、呼吸を行うと同時に無意識下で付与を行っている可能性が高いですね』


 頭に伸びていた腕が、今度は胸部へてがわれる。

 肺へ熱が流れ込んで来て――

 

「あっ……」


 全身の力が急激に抜け落ちる。

 身体を動かすこともままならなくなり、倒れ伏してしまう。

 

『あ、すみません! やりすぎちゃいました!』


 神樹さまが慌てた様子で私の胸部へ再び手を当て……。

 全身に力が戻ってくる。

 

『ですが、漸くわかりました』


 立とうとする私に手を貸しつつ、神樹さまは続ける。

 

『あなたの身体を一目見たときから疑問だったんです。その華奢すぎるほどに細い四肢で普通にしていることに』


 確かに、椅子に座ったままの監禁生活で衰えたはずの筋肉が、苦も無く自重じじゅうを支えている。

 

『身体強化の付与を血液へ行っているのですね。その力のおかげで問題なく動くことができ――』


 一呼吸置き、私にとって残酷な事実を告げられた。

 

『その力のせいで、聖皇国に監禁される事になってしまった』

「っ!」


 こんな力さえ無ければ、あんな絶望を味わうことはなかった……?

 今頃、天国に居る母様と一緒に居られたの?

 

 自分の力ではどうすることも出来ない無力感に襲われ、涙が溢れてくる。

 神樹さまは、泣きじゃくる私の頭を優しく撫で、

 

『でも、その辛さに耐えきったから、ハルトさんに会えたんですよね』


 ……そう、その通りだ。

 逃げることも、死ぬことも出来ず、心を殺して唯々耐えることしか出来なかった日々から、彼は救い出してくれた。

 

『彼は確かに荒っぽい振る舞いをしていますが、根は優しい青年です。きっと、これからも色々と苦労をすると思いますが、彼を信じてあげてください』

「――はい」


 彼の温かい、大きな手のひらを、その優しさを思い出す。

 涙を拭い、彼を想う。

 

 俺のモンになれ――。

 

 母様、ごめんなさい。

 本当は今すぐにでも会いたいです。

 でも、もう少しだけ待っていてください。

 

「神樹さま、特訓、よろしくお願いします」

『はい、やれることをやっちゃいましょう!』


 * * *

 

「……さい、起き……くだ……、起きて~」


 いつの間にか気を失っていたのか、神樹の声で目が覚める。

 

「……なンか面白いか?」

「んーん? ふふっ」


 仰向けで横たわるこちらを覗き込んでいるリリアーヌ。

 その顔が異様なほどの笑みに包まれていた。

 怪訝けげんに感じつつも、まぁいいかと流すことにして上体を起こす。


「何か得るもンはあッたか?」

「うんっ」


 任せてと言わんばかりの溌溂はつらつとした返事。

 昨日……いや、先程までと比べても人が変わったのかというほどに、その表情には活力が溢れていた。

 それに比べ俺の方は今後の進むべき方向性が決まったものの、白蛇から受け取った力の概要はさっぱり分からなかった。

 だが、約束は約束だ。

 仮にも相手は神だ、たがえるとどんな祟りをされるか。


「正直言ャ面倒くせェが、この世界を救ッてヤる。ちからァ貸せ」


 内心、そんなことが出来る自信はない。

 だが、それを悟られないよう出来る限りの不遜な態度を貫き通す。


「私は、あなたの物です。どこまでも、ついていきます」

「私も可能な限り尽力致しましょう――」


 直後、神樹の表情が曇る。


「このタイミングで来ましたか……ハルトさん、早速ですがお力をお貸しください」


 苦虫を噛み潰したような強張こわばった表情で告げる。


「騎士団が攻めてきます」

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