第陸話 気配

「それでは、こちらを寝泊りにご使用ください」


 神樹に案内されたのは何の変哲もない一本の木だった。

 

「枝葉ン下で野宿ッて事か?」

「すみません、言葉足らずでしたね……。ですが体験した方が早いと思いますので、こちらを手にして木に触れてみてください」


 手渡されたのは三角錐が螺旋を描くように捻じれ、丸みを帯びた木製の物体だった。

 リリアーヌと二人手渡され、言われた通り木へ触れる。

 視界が白く染まり、次第に色彩が映っていく。

 

「――ここァ、木ン中か?」

「ハルトさんは察しが良いですね、余分な説明をしなくて済むので助かります」


 先程までいた部屋を少し手狭にしたような印象から言ってみただけだったのだが、魔法とは何でもありらしい。

 

「さて――」


 神樹の雰囲気が豹変する。

 数瞬前までにこやかだった顔が神妙な面持ちへと変化する。

 

「ハルトさんは先程、白い蛇に会ったと仰いましたね」

「あァ」

「その蛇、水神の分神魂わけみたまをどうなさいましたか?」

「喰ッた」


 臆面なく事実を答える。

 お互い神を名に持つ存在だ、思うところがあるのだろうか。

 神樹の雰囲気が、オーラと呼べるものかが増大するのを感じる。

 

「何故そのようなことを?」

「急に飛び掛かッてキた、だからくびッた。奪ッた命を喰うンは勝者の特権だろ」


 それだけだ、と吐き捨て真正面から対峙する。

 リリアーヌも慌てた様子で傍を離れ、部屋の隅で小さくなっている。

 

「――――……ふぅ、なるほどわかりました」


 言葉と同時、空気を震わすほどに感じていた威圧感は鳴りを潜め、先程までと同じ柔和な状態へ戻っていた。

 

「少しだけ試させていただきました」

「試す、だァ?」


 滲んだ冷や汗を隠すように、平常心を装い返事をするが少し言葉に詰まる。

 こちらの心を見透かしているのか、神樹は笑みを浮かべつつ、

 

「これでも神の端くれです、並のモノでは威圧に耐えられなかったでしょう。ですがあなたは恐れず真実を語ってくれました」

「嘘で誤魔化しテたらどォする積もりだッたンだ?」

「この土地の肥やしにでも」


 笑顔に不敵さが宿り、発言に本気さが窺える。

 

「水神とは古い付き合いですので、分神魂とはいえ取り込んだ人が人なら早々に……と考えていました」

「逆に訊くが、俺で良イのか?」


 神樹の視線が一瞬、リリアーヌへと移り、

 

「はい、ハルトさんだから良いのです」

「俺ァヤりたいよォにヤる。ここのエルフが、他種族が、聖皇国がどォなろォが関与する積もりァ無ェぞ」

「あなたは、自身で考えてるほど悪人ではありません。確かに利己的な面もあるとは思いますが、彼女を助けたこと。……今もテキトウなことを言って此方の援助だけを受け取る真似はせず、自身の想いを誠実に伝えてくださった。そういうところですよ、ハルトさん」

「言ッてろ」


 全身がむず痒い。

 振り払うように踵を返し、ベッドへ身を投げる。

 

「本日はゆっくりとお休みください。明日からご助力させていただきますね」


 その一言を残し、神樹の気配が完全に消える。

 

 誠実さや正義なんてモノは俺から一番遠いハズだ。

 

『ではなぜ、リリアーヌを助けた?』

 

 使えると思ったからだ。

 

『それだけか?』

 

 あぁ、それ以外に何もない。

 

『研究所で見付けたとき、過去の自分と重なって見えなかったか?』

 

 ……うるさい。

 

『聖皇国の正義に翻弄される少女を見て、何も感じなかったのか?』

 

 うるさい、黙れ。

 解ったような口をきくな。

 ……アイツが変なこと言うからだ、クソッ。

 

 思考が勝手に巡っていく。

 自問自答から始まり、今日一日の出来事を振り返り、元の世界、過去まで波及していく……。

 

 ゴソ、ゴソゴソ……。

 

 急に聞こえた物音に目を開け窺うと、リリアーヌがベッドへ潜り込み壁との隙間に収まっていた。

 

「オィ……」


 鬱陶しさから追い出そうとして言葉が詰まる。

 とても嬉しそうな、幸せそうな顔をした彼女。

 

 ため息を吐き、起こそうとした上半身を再び横たえる。

 

「……今日だケだぞ」


 右手のひらを彼女の頭へ乗せ、そのまま微睡みへと落ちていった――

 

 * * *

 

「新種が逃げたましたか」


 明かりの無い室内に初老の男性と思しき声。

 

「して、どちらに」


 誰かと会話しているのか、しかし他の声は聞こえない。

 

「そのように」


 独り言のように呟くと、声の主は部屋を後にした。

 

「コチラにいらっしゃいましたか、教皇様」


 ローブを羽織った一人の若い男が近寄り声を掛けるが、教皇と呼ばれた初老の男はそれを手で軽く制す。

 

「森だ」

「は、はい?」

「新種は少女を連れ森へ隠れておる。焼き払えば見つかるじゃろて」

「お、仰せのままに」


 若い男は伝えようとしていた事情を先回りされた事実に驚きつつも、その表情に畏怖や不信は無く神の御業を目の当たりにした感動に染まっていた。

 去っていく後ろ姿を見送った教皇は、窓から見える月に目をやり、

 

「今夜は満月か」


 呟き、闇へと消えていく……。

 

 * * *

 

 翌朝。

 身支度を済ませ外へ出ると早速神樹に呼び出される。

 

「朝ッぱらン何の用だ?」

「少々時間が無さそうなので、お二人に少しでも強くなっていただきます」


 その表情はいつもの笑顔だが、目が笑っていない。

 

「……説明を聞く時間も無ェか」

「はい」

「何からヤりャ良いンだ」

「まずはですね」


 ズイッと顔をリリアーヌに近づけ、

 

「リリちゃんの力を把握しましょうか」


 目と目を合わせ数秒、時が止まる。

 

「はい、はい……分かりました。特殊な体質を持ってますね」


 その口から語られた内容。

 吸血鬼と人間のハーフダンピールであること、自身の血液を対象に付与魔法エンチャントを無意識化で行っていること、研究所で過ごした三年半で回復魔法が身体に馴染んでいること――。

 

「ォ前、人間ッて言わなかッたか?」


 リリアーヌに問いかけると、バツが悪そうにコクリと頷いた。


「なンで嘘吐イた?」

「だって、亜人ってバレたら、何されるか……それに、母様は人間だって……」

「……悪気が無ェなら良い」


 状況的に身を守るための嘘なら仕方ない。

 俺だって傍目は人間だ、助けてくれた相手だとしても判断は難しいだろう。

 一言で制し、神樹へ向き直る。

 

「で、コイツァ何すンだ」

付与魔法エンチャントが得意なので、そちらの扱いを教えましょう。では……」


 今度は俺の目を覗き込んでくる。

 他人と目を合わせる羞恥心、嫌悪感、そして心の中を覗かれているような恐怖感が綯交ないまぜになって――

 

「ん~、やっぱりあまり分からないですね」

「……は?」


 あっけらかんと言い放つ神樹に拍子抜けする。

 

「私はその人の魔力を読んで情報を得ているのですが、残念なことにハルトさんには潜在魔力が微塵も無いのです」

「……そりャ俺が異世界人だカらか?」


 折角来た魔法有りのファンタジー世界で魔法が使えないのは、かなり残念ではある。


「それもあるとは思いますが、その肉体が起因しているようですね」

「どォ言うこッた」

「基本的に生物は空気中のマナを呼吸とともに体内へ取り込み、肺が魔力として吸収、心臓が血液とともに全身へ送っています。リリちゃんはこの時に無意識化で血液へ付与魔法を施しているので、研究対象とされていました」


 俺は自身の胸へ手を当ててみる。

 約一日、違和感もなく過ごしていたが、確かに今まであった鼓動が感じられなかった。

 その仕草を見て、

 

「今のハルトさんの肉体は、呼吸から魔力を取り込むことが出来ません。なので、魔力を読めませんでした」


 謝罪をするかのように一礼し、ですが、と続ける。

 

「奥底の方に、水神の気配を感じます。あなたが口にした分神魂の力を」


 全ての発端となった白蛇。

 まだ一日しか経過していないのが嘘のように感じる。

 

「さて、そろそろ時間が惜しくなってきました。ここからは二人同時に進めていきましょう」


 神樹はそう言い、こちらへ手を伸ばす。

 

「身構えなくて大丈夫です。現実世界より便利な場所へ行くだけですから」

「現実ヨり便利ッてドコだ」

「精神世界」


 伸ばされた手が、俺とリリアーヌそれぞれの額へ覆うように当てられ、

 

「あなた方の心の世界へ、参りましょう」


 あぁ、またか……と。

 半強制的に、意識を飛ばされた――

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変態ゾンビは血を好む おもんみ @omommi_writer

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