第伍話 追憶、そして
物心付いた頃には、既に父の姿は無かった。
母様に
聖皇国の外れにある小さな村。
そこで母様と二人、幸せだったと思う。
ある日、彼らは突然やってきた。
「我々は教皇直属部隊『ルクバズーグ』である」
白を基調に金の装飾が施してある鎧を身に着けた、五人ほどの騎士。
中でも取り分け重厚さを身に纏った騎士が前に出て続ける。
「この村に亜人が居るとの噂を聞いて参上した次第。もし噂が
「これは騎士様、ご苦労様でございます」
話が伝わり、
「しかし、そのような噂は真っ赤な嘘でございます。この村に住む者は皆善良なフィン教徒でございます
「……まぁよい。匿っているのか知らないのかは後ほど分かることだ」
少し離れた場所で畑作業をしていた
「リリは家の中に入ってなさい」
その近くで遊んでいた私に強張ったような笑顔で言う。
疑問に思いながらも家の中へ移動し、窓から顔を覗かせる形で外の様子を窺い見る。
声は聞こえないが二言、三言と会話を交わした後、先頭の騎士は懐から一つのペンダントのようなものを取り出すと――
それが紅く光り輝く。
余りの綺麗さに見惚れていると、その光は次第にある一点へ収束していき……
一筋の光が、私の額を貫いた。
焦燥した顔で縋りつく母様、張り手を喰らわせ吹き飛ばす騎士。
ズンズンと迫ってくる白い鎧、頬を赤く腫らし地面に伏しながらもこちらに手を伸ばし泣き叫ぶ母様。
何が起きているのか理解が追い付かず動けないでいるうちに騎士は家へ入ってきて――
目を覚ました時には、薄暗い部屋の中で椅子へ縛り付けられていた。
泣けど叫べど、いくら助けを求めようとも意味はなく、実験と称した暴力が私の心を磨り潰していった。
あれから数年。
抗う気力と引き換えに知ったのは私の生い立ちと、この血液に関すること。
顔も知らない私の父は吸血鬼だった。
食料採取の為に村から少し離れた森へと向かい、そこで倒れている一人の男を見た。
心配し駆け寄った父は、それが吸血鬼である事に気付くのが遅れ、襲われて眷属にされてしまったという。
陽が沈むのを待ってから帰路に就き、出迎えた母様を見た途端、本能的な衝動に見舞われる。
愛する母様の首筋に
しかし、人としての理性を保った父は別の方法で発散しようとして――
一睡もせず夜を明かし、窓から差し込む日差しで……父は灰となった。
私は、その時に出来た子供だったようだ。
吸血鬼と人間の混血はダンピールと呼び、その血には吸血鬼をも殺しうる力を秘めているという。
研究者たちはその力を求め、解き明かすべく私の血を奪い続けていった……。
今日、彼に助けてもらうまで私は私の人生を諦めていた。
このまま良いように利用され続けて、逃れることも出来ず朽ちていくだけなのだと。
だけど、そうはならなかった。
「交換条件だ。助けてヤるから、俺のモンになれ」
脳髄が痺れるほどの衝撃。
助けてくれたヒーローが、愛の告白まで捧げてくれた。
報いよう、少しでも。
白馬の王子様ではなく、闇を纏った少し粗暴な青年に。
* * *
エルフのお姉さん、カレンさんに手を引かれ向かった浴室は、木材で統一された趣のある空間でありつつ、用途によって色分けされお洒落さも兼ね備えていた。
「もう、なんなのよアイツぅ」
先程の言い合いがまだ尾を引いているようで、軽く地団駄を踏みつつ長い耳をぴょこぴょこ動かしている。
「でも、許してくれた、よ?」
「そうだけど、そうじゃなくて! ――あ~もぅ、一旦忘れてリリアーヌちゃんを綺麗にしなきゃね」
椅子に座らされ、
どういう構造なのか、壁から飛び出た平たい突起部から温かいお湯が出てくる。
この大きな木が吸い上げた水を利用しているのか、エルフの魔法なのか、普通の水より
「髪質は結構傷んでるけど、身体は思ったより汚れてないわね……。二人でどんな暮らしをしてたの?」
「いえ、あの、お兄さんと出会ったのは、ついさっきで……」
「えっ、出会ってすぐの女の子を自分の物とか言ってるの!?」
「それは、その、間違い、ではないんですけど……私が国の研究所で監禁されていたところを、お兄さんが助けてくれて」
お湯で温まったからか、それとも別の要因か、顔が熱い……。
「助けたから俺の物ってこと? あなたはそれで良いの!?」
「はい、私は、良いんです」
「ん~、なら余計なことは言わないけど……自分の意思を伝えるのも大事だからね」
「はい、ありがとうございます」
頭皮をほどよい力で掻かれた後、髪全体に洗髪剤を馴染ませるように優しく洗ってくれるのが、とても心地良い。
「この洗髪剤は神樹様の樹液を頂いて作られたものだから、傷んだ髪も……ほらこの通り!」
お湯で洗い流された後の髪は、母様と暮らしていた頃の髪そのもの……いや、それ以上の艶やかな質感を湛えていた。
「わぁ……すごい」
久しぶりに触る、指通りの良い自分の髪。
いつまでも触っていたくなるとはこの事かと感動していると、
「喜んでもらえてよかったわ。さぁ、身体も洗っちゃいましょ」
「か、身体は自分で洗え――」
「いいからいいから!」
「あ、や、わ、ああああぁぁぁぁ……」
記憶にある限りでは母様に洗ってもらうこともなく、全部自分でやっていた。
それを初めて会ったエルフのお姉さんに身体の隅々まで洗われる羞恥心に。
研究所とはまた違った意味で心が壊れそうになった。
* * *
「ラインハルト中隊長、報告がございます!」
聖皇国シュゼンプル、南部郊外都市カスターヴ。
そこに拠点を構える我が中隊の支部室に一人の若い騎士が飛び込んでくる。
「騎士たるもの、如何なる時でも冷静沈着であれ。落ち着かないと正しい判断も出来ないぞ」
「ハッ、失礼いたしました!」
活気ある返事と共に、姿勢正しい敬礼で彼は応える。
「で、何があった?」
「はい、先刻東門にて捕らえた亜人が、研究所から姿を消したそうです」
「なに?」
眼晶越しにも異質に映ったという亜人。
手ずから首を落とし研究所へ送り届けたが、僅か数分足らずでその首は元の位置へ当然のように収まっていた。
「
「それが、収容した部屋から
「担当の研究員はどうした」
「同部屋内にて、変わり果てた状態で発見いたしました」
「出入り口の監視は」
「途中、微かに物音が聞こえたそうですが、研究員以外に出入りしたものは見ていないと」
収容所は地下に設けられており、外に出るには監視付きの出入り口を通るしかない。
姿を変える能力を持っているのか、何か別の手段で脱出したのか……。
「所内に隠れられるような場所は無かったな?」
「はい。所員総出で探しましたが、
それと……、と何か気まずい内容でもあるのか言い淀む。
「追加の報告も済ませよ」
「数年前から研究していたダンピールの少女も共に失踪いたしました」
「……」
これは死活問題な案件が出てきたな、と右手指で目頭を押さえる。
彼女から採取できる血液は、我が師団を支える重要な資源の一つだった。
「……活血薬と採血のストックは」
「活血薬はまだある程度は保ちますが、採血分に関しては殆どを失ったそうです」
「新たに製薬は現状できない、と」
彼女を再度捕獲することが最善だが、そう上手くいくのか……。
「わかった、上層部へ報告する。持ち場に戻り指示を待て」
「ハッ、失礼いたします!」
「あぁ、それと」
一礼し部屋を後にしようとする彼に一声掛ける。
「報告、感謝する」
「――はい!」
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