第肆話 神樹

「行クぞ」


 研究室内を粗方あらかた物色し終え、リリアーヌを引き連れて廊下へ出る。

 

 その、瞬間だった。


 景色が一変した。

 先程までの無機質な石壁に囲まれた空間から一転、青々と茂る草木が視界を覆い尽くす。

 突然の出来事に身構え警戒。

 リリアーヌも目を白黒させつつ、こちらの服の裾を握りしめている。

 

「お待ちしておりました」


 突如として背後から掛けられたその言葉に、ナイフを取り出し振り返る。

 だが、誰もいない。

 声色からすれば少し年上の女性だろうか、柔和にゅうわな性格がにじみ出ているような、敵意は無さそうな声。

 

「誰だ、何処に居ヤがる」

「ふふ、そう警戒しないでください。此処ここですよ、ココ」


 近くに生えた巨木の枝を見上げると、そこに声の主は居た。

 淡い茶色の長髪、整った顔立ちにスラっと伸びた手足、それらが淡い光に包まれている……。

 極めて特徴的なのは、

 

「エルフ、か?」

「ぴんぽ~ん、正解で~すっ」


 ファンタジー作品で幾度いくどと見た、長く尖った耳がその種族を物語っていた。

 

「ンで、そのエルフ様が何の用だァ? ッてか、ここは何処ダ」

「何の説明もなく連れてきてしまったことは謝罪いたします」


 エルフは木の上からふわりと地面に降り立つと、深々とお辞儀をする。

 

「あのまま放っておくと、あなた方は再び聖皇国の騎士に捕まり、最悪の場合殺されていたものですから」

「ンだよそりャ、未来でも見えてンのか」

「はい、その通りでございます」


 揶揄からかうつもりで放った言葉に、エルフは至って真面目な表情のまま返答する。

 

「私には未来を部分的に見通す力がございます。代わりに動くことはままならないのですが」

「動けねェなら、今俺ァ誰と話してンだ?」

「これは思念体、魔力を器に形作られた仮の体です。なのでほら、この通り」


 手を伸ばし、こちらに触れようとしてくるその手を払い除けようとして……すり抜けた。

 

「この体では他者と触れ合うことは出来ません。此方こちらから危害を加えることも出来ませんので、警戒しなくて大丈夫ですよ」


 その言葉に一応納得し、渋々ナイフを収める。

 

「ふふ、ありがとうございます」


 心から嬉しそうな笑みを浮かべお礼をし、エルフは続ける。

 

「先程の質問の答えがまだでしたね。此処はエルフたちの住処、その入り口です」

「……何もねェただの森ン中じャねェか」

隠蔽いんぺい結界を張っていますからそう見えるのも無理はありません。そうでもしないと……いえ、そうせずとも残っているエルフの数は残り僅かなのですが」


 おおかた聖皇国による迫害の影響で総数が減ったという話なのだろう。

 

「……デ、俺に何の用があッて連れてこラれたンだ?」

「実は、あなた方を呼んだのは私達ではなくて――っと、いつまでも結界の外で立ち話してると危ないですよね! 今開けますねっ」


 そう言うとエルフは右手を中空へかざし、聞き取れない何かしらを唱える。

 その右手を中心に景色が歪み、溶けていくように別の景色が現れていく。

 

「どうぞ、ここから入れますので!」


 促され、二人でエルフの住処とやらへ足を踏み入れていく。

 回答の続きを聞くため振り返ると、エルフは笑顔で手を小さく振っていた。

 

「そのまま真っ直ぐ進めば私の本体と仲間が居ますから~」


 それだけ言うと、空間に空いていた穴が閉じられ、出入り口の場所も分からなくなる。

 

「ッたく、勝手ばカり言いやがッて」


 小さく吐き捨て、しかし冒険らしくなってきたと心は僅かに躍っていた。

 

 * * *

 

 数分進んだ所で視界が晴れた。

 鬱蒼うっそうとしていた木々は無く、代わりに大きな木……有体に言えば世界樹だろうか、が鎮座している。

 そしてその周囲で、数人のエルフがこちらの到着を待っていた。

 

「ようこそ、我々の住処へ。歓迎いたします、御使い様」


 一人の青年……に見えるエルフが挨拶代わりのお辞儀をする。


「ァあ? 御使いだァ?」

「おや、まだ何も聞いていらっしゃらないので」

「ココの説明は外のエルフに軽くさレたが、肝心の部分についてァ聞く前に中へ通された」

「外のエルフ……あぁなるほど」


 独り合点がいったように反応し、

 

「まぁまずはこちらへ、お茶の席でゆっくりお話いたしましょう」


 世界樹の根本に空いた人ひとりが余裕で通れるほどの穴。

 そこを抜けると木製の家具や食器が配置された、質素ながらも優美な空間が広がっていた。

 

「ささ、どうぞお掛けください」


 青年にいざなわれるまま木の椅子へ腰を下ろす。

 リリアーヌを隣へ座らせようとすると、

 

「ねね、あなたはこっち来て! キレイにしてあげる!」


 若めの女性エルフが隣の部屋へ連れて行こうとする。

 

「ォイ、そいつァ俺ンだ、勝手に手ェ出すな」

「あのね、女の子がこんな酷い恰好してて見過ごせる訳無いでしょ! 身だしなみ整えてあげるだけなんだから別に良いじゃない!」

「俺ァまだテメェらを信じちャいねェ、まず最低限の情報を寄越すンが先だろォが」

「お風呂に入れてあげるだけよ!」

「だッたら俺に風呂へ連れてくッて伝えるンが先じャねェのか。知らねェ場所で知らねェ奴に自分のもン手放しで預けルほどお人好しじャねェぞ」

「ま、まぁまぁまぁ、カレンも落ち着いて。失礼致しました、どうか収めて頂けませんか」


 青年エルフが間に入り取りなされる。

 ばつの悪さに軽く舌打ちし椅子へと座りなおすと、カレンと呼ばれたエルフもフンッと鼻を鳴らし少し離れた位置へと移動した。

 

 青年エルフも改めて対面へと腰掛け、本題に入ろうかというところで、リリアーヌが俯き加減で近寄ってくる。

 自らの服の裾を鷲掴み、もじもじと何か言いたげな様子で。

 

「はァ……、好きにシろ」


 手の甲で追い払うジェスチャーをして風呂へと送り出してやる。

 どれだけの期間を研究所内で監禁されていたのか知らないが、やはり風呂というのは魅力的なのだろう。

 目を心なしか輝かせ、カレンの下へと向かっていった。

 

粗暴そぼうな方かとも思いましたが、優しい一面もあるのですね」


 青年エルフは屈託のない絵顔でそう口にする。

 

「自分の所有物に気ィ配れナくなッたら終わりだ」

「……そういうことにしておきましょうか」


 こちらの心根を見透かしてるような物言いにムカつくが、今はどうでもいい。

 

「……本題を言え」

「失礼いたしました。ではまずは前提として貴方様の知り得るこちらの世界、御自身のことを教えていただけますか?」

「こッちの世界ッつーことァ、テメーも俺の世界の事知ッてるッて事で良いンだな?」

「そちらについては私は聞き齧った程度ですので、異世界の存在を知っている。そして貴方様が世界を渡った事を伝えられた、という感じです」

「なルほどな」


 少し考えるが、今は情報を引き出すためにも素直に知ってることを話すのが得策だろう、と結論付ける。

 

「ッてもなァ、こッちに来てマだ半日程度だ。魔法がアること、俺の身体が人間のソレとは別もンになッちまッた事しか知らねェ」

「人間と違うというのは?」


 そう聞き返され、言葉で説明するのも面倒なので自分の左腕を右手で掴み捩じ切る。

 周囲で見ていたエルフが悲鳴を漏らし引いている。

 

「この通り、断面から血は出ねぇ、痛みはあるが余裕で耐えられる程度だ。あとァそうだなァ」


 自身の左腕を弄んでから元に戻すと直ぐに修復される。

 

「血を飲むコとで欠損部位再生、身体強化。喉が渇きすギると動けなくなる……ンなトこか?」

「不死身の身体に再生能力、ですか……。どう思いますか、神樹様?」


「そうですねぇ、詳しくは水神に聞くのが早いんでしょうけど」


 突如真後ろから声がする。

 驚き振り向くと、

 

「先程ぶりですね、ハルトさんっ」

「お前ェは……ッてか俺の名前なんで知ッてンだ?」


 入口で会ったエルフがそこに居た。


「私、未来が見通せるので!」


 勝手に個人情報まで見通さないで欲しい。

 

「……で、それも思念体ってヤツか?」


 聞きつつ、どうせ触れられないんだろうと右腕を伸ばし――

 

「あんっ」


 無意識的に心臓へ向かっていた手のひらが、柔らかいモノを掴み取る。

 

「もう、えっちなのはダメですよっ」


 いたって平静を装いつつ、ゆっくりと手を離す。

 周りの奴ら、特に女性陣が何か言いたげにわなわなと震えているが、気にしないでおく。

 

「……動けねェンじャなかッたのか」

「正確にはこれも本体ではありません。私の中でだけ具現化出来る仮の肉体なんです」

「どォいう意味だ?」

「今あなたが居る空間、場所、それを形作っているこの大きな木。それが私の本体、驚きました?」


 揶揄からかっているのかと青年エルフを見やる。

 こちらの意図を察してか、その通りですと首を縦に振る。

 確かに先程、神樹様と言った途端に現れた。

 

「……分かッた。細けェことァこの際無視だ。その水神とヤらにツいて話せ」

「はい、そちらが丁度本題にも繋がりますので、順番に説明させていただきますね」


 神樹から語られた内容を要約すると、こういうことだった。

 

 この世界で現在、最大の勢力を持っている『聖皇国シュゼンプル』。

 その国では人間至上主義が掲げられ、エルフ含む亜人たちは差別、迫害の対象とされ、奴隷、実験動物などとして狩られ、奪われ、殺されてきた。

 その状況を見兼ねてか、水神が素質ある者を向こうの世界から連れてきた――

 

「それがあなたです、ハルトさん」

「その話を信ジろッてか」

「信じるかどうかは関係ありません。もうあなたは、その運命の渦中にありますから」


 どう足掻いても無駄だと言わんばかりに切り捨てられる。

 

「だッたらせめて事前に承諾取るンが普通だろォが。連れて来て草原に放置、果ては素質ッから国を相手にシろは勝手すぎンだろ」


 未だ見ぬ水神とやらに対する不平を吐き捨てるが、

 

「おかしいですね。流石に何もなく急に連れてくるなんて事はしないと思うんですが……世界を渡る際に変わったことはありませんでしたか?」

「ンなもンねェ――」


 言い切ろうとして、脳裏をよぎる。

 雑木林の中に初めて見た謎の社。

 境内で感じた神聖な雰囲気。

 そして、飛び掛かってきた白い蛇。

 

「……なァ、白蛇ッて何か関係あるか?」

「えぇ、水神は白い蛇の見た目をされていますね」


 答えを聞き、一人頭を抱える。

 つまり俺は、その水神とやらを喰っちまったのか?

 

「元の世界で最後に会ッたのが白蛇だッたが、俺の腕より小柄だッた。水神ッてのはそンなに小せェのか?」

「本体はかなり大きいですが、多分ハルトさんが出会ったのは水神の分神魂わけみたまだと思います」

「ワケミタマ?」

「簡単に言うと今の私みたいな本体の分身体です。ただ違うのは、独立して行動できるので離れたところにも行けますし、本体も意識分散せずに済むというところでしょうか」

「つまり俺ァそのワケミタマに連レて来られた、と」

「はい。なので御使い様と呼ばせていただきました」


 説明を神樹に丸投げしていた青年エルフが口を開く。

 

「我々エルフに限らず、他の種族も聖皇国の圧力によって住処を追われ、数も減少傾向にあります。どうか、我々の為にお力添えをお願いできませんか」


 深々と頭を下げる青年エルフ。

 他のエルフたちもそれに倣っていく。

 

「俺がどォ返事シよォが運命は変わらねェってンだろ?」

「はい。先程も言いました通り、既にハルトさんは渦中に――」

「ならよォ」


 神樹の言葉を遮るように言葉を続ける。

 

「俺ァヤりたいよォにヤらせてもらう。この世界の種族がどォとか関係ねェ、それで良いだろ」


 椅子から立ち上がり、丁度お風呂から上がってきたリリアーヌの綺麗になった頭へ手を置き、

 

「……暫く世話ンなる」

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