第6話
休み時間だからか、少し外が騒がしい。教室から離れたこの保健室にまで生徒達の声が聞こえてくる。とはいえそんなに不快な物でもなくて、元気な子供の声は心地が良かった。
コーヒーを啜って優雅に学び舎の空気に浸っていると、正面に座っていたセーラー服の生徒が頬杖をついて私の顔を見上げてきた。
「にしても未だに信じられないわ。柊(ひいらぎ)がうちの保健医だったなんて」
青くウェーブ掛かった髪を靡かせながら、彼女は言った。
相変わらず綺麗な髪だと、心の中で独りごちて私も彼女に目を合わせた。
「清憐(せれん)の治療がこの学校に来て最初の大仕事でしたよ」
「実績を上げられてよかったじゃない」
「上げたところで給与は上がりません。あなたの担任から雑に褒められるだけです」
楽しげにコロコロと笑いながら清憐は「お金より価値あるじゃない」と思ってもなさそうなことを口にした。何がそんなに面白いのか。私は疑問に思いながらふんっ、とそっぽを向いた。
赴任してきていきなりこんな重要な仕事を任されることになるとは、思ってもいなかった。今回のように心の傷から別の世界に閉じこもる症例は何度も見たことがあるし、治療法も習った。とはいえ誰かを治療するのは初めてのことで、私も不安な部分は大きかった。
清憐のことを頼まれたのは彼女の担任からだ。高三に上がってからすぐ、閉じこもってしまって、それをどうにかしてほしいと依頼された。今こうして毎日学校に来るようになって、保健室に顔を出しに来るぐらいには元気になったのを見ると、手探りながらも良くやったと自分を褒めてあげたい。
不意に予鈴が鳴り響いた。次の授業が始まる五分前だ。それなのに清憐は椅子からピクリとも動こうとしない。
「チャイム鳴ってますよ」
「いいでしょ、少しぐらいサボっても」
「前も同じこと言ってました」
「気分悪いのよ。ちょっと休んでいくわ」
「堂々と仮病を使わないでください。あと一分以内に出て行かないなら無理やり担いで教室まで持っていきますよ」
「私の主導医でしょ? 私の申告を信用してよ」
「そんなに楽しそうな顔してよく言えますね。それに私は別に清憐の主導医ではないです」
清憐がむーっと頬を膨らませて私を睨んだ。そんな可愛い顔をされてもサボっているのを許容する気にはなれない。もう本当に簀巻きにでもして放り出そうかと思ったその時。
「二人ともうるさい」
幼い子の、冷たい声が聞こえた。
三つ並んだベッドのうち、一番窓際のベッドのカーテンが突然開いて、緑髪の少女が姿を現した。
腕に色鉛筆とスケッチブックを抱えた少女は私と清憐を不愉快そうに見ている。
「あら、羽瑠(はる)じゃない。また初等部抜け出してきたんだ」
清憐が言うと羽瑠は小さな歩幅でこちらに歩きながら、こくりと頷く。
「美術が午後からだから午前中は出なくていい」
「出てください。毎回連れ戻しに来る先生方を説得するのも面倒なんですよ」
「今日もよろしく」
グッと親指を立てる羽瑠。清憐といいこの子といい、毎日学校に来るようになったのは良いが、どうしてこう、平然と保健室にサボりに来るようになったのか。特に羽瑠なんて初等部からここまでかなり離れてるのに。
遠路はるばる自分の生徒を探しに来た先生方のために、またお茶菓子でも用意しないと……と頭を抱えた私に、羽瑠がスケッチブックを持ってきて、あるページを見せてくる。
「柊。絵、描いた」
「……なんですか、これ」
「柊の水着姿」
「やめてくださいよ。恥ずかしい」
「ちゃんと胸も盛った」
流石にカチンときて彼女の頬を引っ張る。
「い、痛い痛い……っ」
もちもちに伸びる頬で遊んでいると、いつの間にか清憐が立ち上がって、薬品棚を漁っていた。
「何してるんです?」
「ねえ、ここに置いてあった私のティーセット知らない? 茶葉も一緒に置いてあったんだけど」
「邪魔なので片付けました」
「勝手なことしないでよ!」
「勝手に置いていったのあなたでしょう……」
「もう! せっかくクッキーも持ってきたのに」
スカートのポケットから小さい袋を取り出してクッキーを見せると、清憐は肩を落として落ち込んだ。仮にも学校の中なのだから、勉学に関係ない物は持ち込まないでほしい。
トボトボと歩いて再び椅子に座る清憐。私はふと思い出して聞いた。
「そういえば土曜日のダンスバトルはどうだったんですか?」
「ふふん。二回戦で負けたわ!」
「そんなに自慢げに言わなくても」
「笑っちゃうわね。私ってやっぱ才能ないみたい。心折れそう」
「その割に楽しそうですけど」
「ええ。今は喜怒哀楽が新鮮で楽しいの」
悔しいがりながらも、心は躍っているようで表情は豊かに変わる。
あの町に居た時も明るい顔をする場面は多かったが、今は翳りが全くない、子供らしい顔をするようになった。無邪気な言動を見ているとこっちも自然と笑顔を浮かべてしまう。
やはり現実の世界は厳しくて、苦しくて……でもそんなに悪い物でもないらしい。
羽瑠が清憐の袖を小さく引っ張った。
「クッキー」
「食べる? はい、あーん」
「あむっ」
姉妹のようにお互いにクッキー食べさせ合う二人。
本鈴もすでに鳴り終わっていて、気づけば騒がしかった保健室の外も静かになっていた。
「くつろぎすぎ……」
呑気に戯れあっている彼女達に私は呆れながら、もう一度コーヒーを啜った。
サボり魔達にたまには説教でもしようかと思ってはみるものの、これだけ楽しそうに笑い合っているのを眺めていると、そんな気もどこかに流れていってしまう。
人魚病 @sea-78
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