第3話

 町に来てから一週間が経った。変わらず私はセレンの家に居候していて、彼女と二人で一日の大半を過ごしていた。

 家にいる時はできる限り家事を手伝った。掃除、洗濯、食事の準備、どれを手伝うときもセレンは「気を遣わなくていいわ」と遠慮しがちだったが、二日、三日と経つと、手を貸してと頼まれることも増えた。

 家事をしていない時は、リビングでゆっくりお茶をしたり、互いの髪を編んで遊んだり、絵を描いて見せ合ったりして(セレンが私の絵を笑ったことは、多分しばらく根に持つ)のんびりと退屈な時間を過ごしていた。

 今日もお互い特にやることもなくてダラダラと午前中を過ごしていた。昼食を済ませて食器を片付けると、私は玄関へ向かって、靴を履く。


「出かけるの?」

「散歩に。一緒に来ますか?」

「今日はパス。ご飯食べたら眠くなっちゃった」


 平和なあくびをするセレンに、行ってきますと告げてドアを開けた。


 セレンの家を出て、海側とは逆の方へと歩く。この一週間、それなりに散策したつもりだけどまだまだ知らない道はあった。人通りの少ない入り組んだ路地。猫一匹たりとも見かけなかった。立派な家やマンションらしき建物がまばらに建っているものの、やっぱり人の気配はしなかった。

 曲がり角を曲がると、石畳の坂道に遭遇した。木漏れ日が落ちていて、風情があって良いなんて思いながら上り坂の上まで目をやると、こちらへ下ってくる子と目が合った。

 

「こんにちは」


 大きな緑翼を地面に引き摺らないよう軽く腕を上げるハルは、私を見て目を細める。彼女はフリフリの付いた白いノースリーブのトップスを着ていて、海で会った時より子供らしく見えた。


「ヒイラギ」 

「今日も海に?」

「違う。今日はぬいぐるみを見に行く」

「ぬいぐるみ?」

「近くにお店がある」

「私も付いて行っていいですか? 暇なんです」

「……好きにして」


 断られるかとも思ったが、意外にも許可をくれた。声色が少し嫌そうなトーンにも聞こえたけど。

 坂を下り切って私の横を通っていくハルに、置いてかれないよう付いて行く。

 

「ハルはこの近くに住んでいるんですか?」

「まあまあ近い」

「家族は?」

「一人暮らし」

「その年で一人暮らしですか。大変ですね」

「別に。困ることなんかなんにもない。お金を出さなくたってみんな食べ物をくれる。お下がりのお洋服もたくさん貰った。いらないのにおもちゃもくれた。家族とか友達とか、そんなのいなくても暮らしていける。むしろいない方が楽でいい。……ヒイラギはなんでこの町に来たの?」

「気になりますか」

「……この町に来れるのは病を患った人たちだけ。みんなそれぞれ病を抱えていて、それが体に現れてる。隠している人もいるけど」

「ジェラート屋の店員もそうでしたね」

「知ってるの?」

「この前会いました、店じまいの日に。次の日気になって同じ場所に行ったんですが、キッチンカーごと消えていましたね」

「あの人はもう出ていった。病を乗り越えて町にいる必要がなくなった。……話を戻すけど、みんな病を持ってるのにヒイラギはそんな風に見えない。きっと今、この町で唯一の健康人。だから怪しい」

「こんなことを言っても信用しないと思いますけど、決して悪巧みとか考えてないですよ。むしろこの町の人々を助けたいと思ってます。あなたのことを含めて」

「より怪しくなった。人を助けたいなんて言い出す大人にまともな人間はいない」

「そんなことを言われるだろうと思いました」


 最近の子供ははっきりと物を言う。素直でよろしい。


 ◆


 ぬいぐるみ屋は赤い三角屋根の小さなお店だった。ファンタジーの絵本に出てきそうなほど絵に描いたようなデザインに少し感動する。窓は大きめの丸窓に十字の格子が嵌められて、軽く中を覗くと大量のぬいぐるみが棚にお座りしているのが見えた。

 店内は誰もいなかった。カランカランとドアベルを鳴らして店内に入ったにもかかわらず、奥から店員が出てくるということもなかった。ドアに鍵はかかっていなかったけど、もしかして定休日? と首を傾げる私を放置して、ハルはカウンターの中へとズカズカ入っていく。さらに本来スタッフしか入れないであろうバックヤードまで勝手に入った。そしてすぐに出てくるとその両翼で箒とバケツを抱えていた。


「お店の方は?」

「いない。何週間か前に町を出た。他に管理する人もいないから私が勝手に来て掃除してる。じゃないとクマさん達、埃被っちゃう」


 そう言ってハルは手慣れた様子で掃除を始めた。棚からひとつひとつぬいぐるみを下ろして上から乾拭きしていく。ただ見ているだけなのも悪いので、私も手伝った。彼女の手が届かない高さのぬいぐるみを取ってあげて、埃被ったものは丁寧に取り除いて綺麗にした。

 ハルが不意に「あ」と溢して、何事かと彼女の手元を覗き込むと、彼女に抱えられたワニの左腕が取れかかっているのが見えた。

 

「直さなきゃ」

「その翼で裁縫出来るんですか? 器用ですね」

「…………」

「……私がやりましょうか?」

「やって」


 ワニと裁縫箱を渡される。手芸は得意でも苦手でもないけど、これぐらいならすぐに直せる。

 糸と針で腕の付け根を縫い直していると、ハルが目の前で食い入るように私の手元を見つめていた。

 

「その手袋の下に病があるの?」

「何もないですよ。普通の手です」

「目隠しの人みたいに隠してるんだと思ってた」

「この手袋は単なる仕事道具です」

「なんの仕事」

「言ったでしょう。助けたいんですよ、あなたたちのことを」


 本心からの言葉を伝えると、ハルは目を顰めた。良いように思っていないのが一目瞭然で、私も思わず苦笑いを浮かべる。


「余計なお世話だと思うでしょうけど、ずっとここにいることが幸福だと思わない人もいるんです」

「ここに不幸はない。この町は楽園だよ」

「本当にそうでしょうか。悪いことが起きないというだけで、この町は救済をくれていますか? あなたは満たされてますか?」

「幸せっていうのは淡々と平和に毎日を送ることだよ。満たされるっていうのは一瞬の快楽とか達成感でしかない。幸せとは違う」

「確かに……」

「簡単に納得するのもどうかと思う」


 ハルはほんの少しだけ目尻を落として、控えめに笑った。

 そんな風に笑うんですね、と言おうとして止めた。きっと口したらまた辛辣なことを言われる。

 五分もかからないうちに修復作業が終わって、ワニをハルに返した。

  

「どうぞ」

「……ありがと」


 ハルは小さな声でそう言うと元々置かれていた場所にそっと戻す。それから特に会話もなく、二人で店内の掃き掃除と雑巾掛けをした。

 ピカピカになった店内。心なしかぬいぐるみ達も明るい顔になった気がする。

 客用の椅子がなくて、カウンターで店員よろしく座っているとパタパタとハルが店の奥に引っ込んで、トレーに湯呑みを二つ乗せてきた。何を言わずに私の前に置いて、彼女も私の隣に座った。

 私も黙ってお茶を啜っていると、「ヒイラギ」私と目も合わせず、遠い目をしたハルが私の名前を呼んだ。


「私はここを離れる気はないから」


 それだけ告げて彼女もお茶を啜った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る