第2話

 チュンチュンとさえずる小鳥の声に目が覚めた。ボヤけた視界の中見えた白い天井は、見慣れないもので、一瞬ここ、どこ? と疑問符を浮かべてしまった。すぐに昨日、人魚病の少女のリビングに落っこちたことを思い出して、どうりで見慣れないわけだと腑に落ちる。

 体を起こしてベッドから降りると、部屋を出て一階へと降りた。家主はもう起きていて、車椅子でせかせかとキッチンを動き回っていた。昨夜はパジャマを着ていて気づかなかったが、セレンの体には上半身まで鱗があって、脇腹から胸まで覆われている。見せられないところが隠されている分、余計に扇状的に見える。……年下の同性をそんな目で見る趣味はないけど。

 降りてきた私にセレンは気付いて、フライパンで目玉焼きを焼きながら私に微笑みかけた。


「おはよう」

「おはよう、ござぃます……ふぁあ」

「朝は弱いタイプ?」

「ぁい……すいません。朝食の準備くらいは手伝おうと思っていたんですが」

「顔を洗ってきなさいな。コーヒーあるけど飲む?」

「ブラックで」

「承ったわ」


 顔を洗ってリビングに戻ると、豪華なモーニングが用意されていた。バターを塗ったトーストに彩りの良いサラダ、目玉焼き、ベーコン、ヨーグルト、そして淹れたてのコーヒー。


「朝からこんなに」

「ちょっと張り切りすぎたかも。人と朝食食べるの久しぶりなのよ」


 はにかみながらセレンは私の向かいの席に着いて、自分のコーヒーにミルクを入れた。

 一緒に手を合わせていただきます、と唱えるとそれぞれトーストに齧り付く。


「昨日言ったとおり買い物に行きましょ。私も生活用品ストック切れそうだから、良いタイミングだったわ。荷物持ちはよろしくね」

「何処に行くんですか? 近くにお店があったり?」

「町の中心にショッピングモールがあるの。歩いて十分ぐらい。そこそこ大きいし、モールの周りにもショップや露店が多くてね、大体の物は中心部に行けば手に入る」

「結構都会?」

「うーん、どうだろ。田舎ではないけど都会かって言われたらそうとも言えないかな。明るい町だけど賑わいがあるって感じでもないし。でもそれがいいのよね。疲れなくて……というか、あなたホントにこの町のこと知らないのね」

「まあ……」

「珍しい。みんなここがどういう場所か、なんとなく知ってるのに。根掘り葉掘り聞く気はないけど、何か目的があって来たの? それともホントにテレポート装置にでも乗ってハプニングで迷い込んだ?」

「前者ですよ。隠すようなことでもないですが、一応目的があって来ました。そのうちセレンにも分かります」

「ふーん。平和な目的だったらいいけど」


 セレンは興味深そうな目で私の顔を見ながらコーヒーを口にした。怪しんだり、警戒しているような目ではなくてホッとする。

 信頼とまではいかなくとも、少しでも距離が縮んでくれた方が私の目的は達成しやすい。


 ◆


 朝食を済ませると、私とセレンはすぐに買い物へ向かう準備をした。私は寝癖を治すくらいのものだったけど、一方のセレンは帽子やバッグをたくさん持ってきて姿見の前で「こっちかな。いや、でも最近ずっと使ってるし……んー、でもでも気に入ってるのよねー」などとひとりでブツブツ呟きながらファッションチェックをしていた。

 赤いリボンのついた麦わら帽子を頭に乗せて、セレンは玄関の扉を開ける。新鮮な空気を感じながら私はこの町と初めて見た。

 家の前は路地になっていて、道を挟んだ向かいに大きな家が建っている。路地に出て辺りを見回すと路地の脇には木々が生い茂っていて、その合間にちらほら住宅が建っているのが見えた。

 道が細いのと、木々で視界が遮られているのもあって若干暗い印象も受けるが、のどかで過ごしやすい環境に思えた。

 外の空気を吸っていると、独特の香りを鼻が感じ取った。


「潮の匂い……」

「海が近いのよ。少し歩いたら海沿いの大きい道路に出るわ。モールへは遠回りになるけど急いでるわけでもないし、通って行く?」

「行きましょう!」

「……好きなの?」

「海というより自然が好きですね。眺めたり、音を聞いてるだけで落ち着きます」


 食い気味に反応した私が意外だったのか、セレンは少し面食らったような顔をして、「なら気に入るわ。最高の景色だから」私を案内し始めた。

 小道を二人で並んで歩く。自分の腕で車輪を回すセレンに「後ろ、押しますか?」と聞いたが、やっぱり断られた。

 通り過ぎる家々を横目に見ながら、気になったことを言った。

 

「静かですね。家は建ってるのに、人を見かけません。生活する音も聞こえない」

「ちょっと前はどの家も人が住んでた。家族みんなで住んでたり、友達とシェアハウスしてたり、ひとり暮らしの子もいた。でもどんどん居なくなった。この辺りだけじゃなくて、町全体の話よ」

「寂しいですね」

「その方がいい。この町はいい町だけど、人がたくさんいちゃいけない町だから」


 麦わら帽子を被っているからか、やけに翳った笑みをセレンは浮かべていた。

 三回ほど曲がり角を曲がると、木々のトンネルの先に明るい光が見えた。トンネルを抜けると、そこには大きな道路が真っ直ぐ横に走っていて、その向こうにはガードレール越しに一面の青が広がっていた。

 空のベタ塗りしたような青とは違う、サファイアとダイアモンドをぶちまけたような輝く海原が波打っている。一瞬いっしゅんのうちに光の返し方を変えて、常に表情を変える海面に私はただ感動するしかなかった。


「凄い……向こうまで青だ」

「ね、綺麗でしょ。風も気持ちよくて最高」


 道路を渡って、ガードレール沿いを海を眺めながら歩く。セレンは普段からよく散歩するそうで見慣れた景色に時々目をやる程度だった。反対に私はほとんど前を向いていなくて、そんな私をセレンはクスクス笑っていた。


「あなたがいつ帰るか分からないけど、帰る前に一回くらい海で泳いで行くといいわ。魚も多くて海の中まで絶景だから」

「泳ぎは苦手です。海水もベタベタする感じがダメで」

「自然が好きって言ってたじゃない」

「アクティビティはダメなんですよ。山も好きですけど登山はしたくない。逆に言えばそれが自然の良さでもある。泳がなくても楽しませてくれる」

「もったいない。お世辞抜きに世界で一番綺麗な海なのに。よかったら私が泳ぎを教える? 見た目に違わず水泳は得意なの。ちょっと前も年下の女の子に泳ぎ方を教えてあげてね、その子、両手がちょっと不自由だから中々難しかったんだけど、私の教え方が上手かったおかげでスイスイ泳げるようになって……ほら、ちょうどあそこで泳いでいる子ぐらいの年齢で。……って本人じゃない」

「あの、緑髪の?」

「ええ。見るからに泳ぎが苦手そうでしょ?」


 砂浜の横を通りながら、セレンが指差した浅瀬にはひとりの女の子がいた。明るい緑に染まった頭頂部を海面から覗かせて、バタバタと足で水飛沫をあげ、力強い泳ぎを見せている。多分、泳ぎ方はクロールで、確かに不自由そうな両腕を大きく回していた。

 その姿に目を奪われ、セレンと一緒に立ち止まって見ていると、少女が砂浜へ上がってきた。幼いながらも少し吊り目でキリッとした顔立ちの少女で、ピンクのワンピースタイプの水着が、放っている雰囲気と若干ギャップがある。息を整えて一歩、また一歩と砂を踏み、顔を上げた。そこで私たち二人に気づいて目が合った。

 少女は自身ので濡れた髪をかきあげる。


「……セレン」


 離れた距離でも口元の動きで、そう言ったのが分かった。


 ◆

 

「セレンに教えてもらってから、海水浴ハマって……時々こうして泳ぎにくる」


 バサバサと大きな翼を振って少女は水滴を振り落とす。髪と同じ緑色の翼は水を含んで少し、暗いグリーンになっていた。癖のあるショートヘアから水が滴り落ちると、鬱陶しそうに頭もブルブルと振った。

 そしてクールな目で私の顔を見上げる。


「そっちの人、誰?」

「ヒイラギよ。昨日うちのリビングに降ってきたの。この町に知り合いいないし、町のこともよく分からないみたいだから、色々教えてあげて」

「……よく分からないけど、まあ、ほどほどに。名前はハル」


 セレンの説明に眉をひそめながらハルは小さく会釈した。

 

「ヒイラギです」


 私がそう言って手を差し出すと、ハルはジッと掌を見つめて恐る恐るといった様子で翼を差し出した。握る、ということは出来なさそうで握手は互いに触れるだけのものになった。

 軽くこちらが微笑んでみてもハルは難しそうな顔を崩さず、横から見ていたセレンが苦笑いを浮かべる。

 

「ちょっと無愛想でしょ。でも悪い子じゃないのよ。ファンシーなぬいぐるみとか集めたり、サンタ信じるような純粋で良い子よ」

「勝手に紹介しないで」

「あだっ!」


 ガタンと軽くハルがセレンの車椅子を蹴ると、セレンは大袈裟にリアクションを取って、楽しそうに笑った。


「仲良さそうですね。お二人はご友人?」

「そうよ」

「違う」


 首を縦に振るセレンと、横に振るハル。姉妹のようでなんだか微笑ましい。


「これからモールに行くけど、一緒に来る?」


 セレンが聞くとハルはまた首を振った。

 

「今日は泳ぐ日って決めてるから」

「今、上がってきたじゃない」

「休憩取ってからまた泳ぐつもりだった。とにかく私はパス」

「残念。また今度一緒に行きましょ」

「気が向いたらね」


 それだけ言い残して、スタスタと波打ち際までハルは歩いて行った。小さな背中を見送りながら私はセレンに聞いた。

 

「警戒されてますか、私」

「ただ人見知りなだけよ。少し話したらすぐ打ち解けるわ」


 ◆


 町の中心に合ったモールは想像以上に大きく立派なものだった。全体的にガラス窓が多く、コンクリートの箱物をイメージしていた私からすると近未来チックなデザインに見えた。モールの周りに何台かキッチンカーが停まっていて、セレンの言ったように露店も多いようだった。

 セレンが先にモールの中へ入る。私はその後を付いていった。内装もしっかりしているし、並んでいるショップの量も多い。都会に聳え立っていてもおかしくないサイズ感に思える。けれど客足はまばらで、町全体の雰囲気と同様に賑やかさに欠ける。

 ふと、今更なことに気づく。

 

「今更ですけど、無一文です」

「だと思った。私が出すからそのうち返してね。返ってこなくてもあんまり困らないけど」


 三階にセレンおすすめのアパレルショップがあるようで、エレベーターへ向かった。道中、通り過ぎる人々や、ショップの店員を横目に見ていた。

 誰かも彼も、セレンやハルのように体のどこかに異質な部分を持っていた。九本の尻尾が生えていたり、顔が二つあったり、両足がなくふよふよと浮かんでいたり、頭から猫耳を生やしていたり。


「もう気づいてるでしょうけど、この町の住民はみんな『病』を持ってる。パッと見、普通の見た目をしているのはヒイラギだけね」


 セレンの言葉になんと返すべきか分からず、私は口を閉ざした。彼女はきっと深い意味や意図を込めず、ただ事実を述べただけだろうけど、なんとなく「幸せ者ね」と皮肉られたような気がした。


 服や生活用品をあらかた買って、荷物持ちの私は大量に紙袋を両手から下げた。もう買うべきものが二人とも思い付かなくなると、セレンが帰る前におすすめのジェラート屋さんがあると言ってモールの外へ私を引っ張った。

 並んでいた露店のうち、パステルカラーのピンクを貴重とした可愛らしいキッチンカーのお店に着くとセレン慣れた様子で注文した。

 ジェラート屋の店員は私と同年代の女性だった。目の高さで布を巻き、両目にブラインドをしている。

 

「はい、どうぞ。ストロベリージェラートになります。とっても美味しいですよ」


 眩しいくらいの笑顔を向けて店員からジェラートを受け取って、ペロリと一口。

 

「ん、美味しい……!」


 爽やかな酸味と上品で濃厚な甘味、何より香りが良かった。感銘を受ける私に店員は嬉しそうに笑って、キッチンカーの窓枠に両腕を乗せ、軽く身を乗り出した。

 

「よかった喜んでもらえて。お客さん、このお店に来るの初めてでしょう? 普段、常連客しか来ないから、最後の日に、初見さんが来てくれて嬉しいわ」

「え、最後?」


 ひと足先にジェラートを受け取って黙々と貪っていたセレンが口を止めて店員の顔を見上げる。私がリビングに降ってきた時より驚いた顔をしていた。


「うん。今日でこのお店は閉店。夫も向こうで待ってるから、いつまでここに居るわけにも行かなくてね。ちょっと怖いけど町を出ようと思う」

「そう……」

「ごめんねセレンちゃん……。できればあなたのことも見守ってあげたかった」

「やめて。謝ることじゃないでしょ。笑顔になってくれれば私も嬉しい」

「うん……」


 二人はそんな会話を最後に、寂しそうな雰囲気を隠さず黙ってしまった。

 

 まだ陽が高く明るい空の下でセレン宅へ帰路についていると、セレンがどこか遠くを見ながら不意に呟いた。


「また、一人いなくなっちゃったなあ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る