趣味と商売
「ちょ、ちょっと兄ちゃん!
何言ってるんだよ!?」
俺の言葉へ……。
真っ先に反応したのは、当のネロン婦人ではなく、クロ少年の方だった。
「ジンドーさん。
こちらの方が開業するのを、手伝いに来られたのでは?」
次いで、ヤナもそう問いかけてくる。
ううん、それは大いなる誤解というやつだ。
「商売っていうのは、甘いものじゃない。
見込みがあるならまだしも、そうでないなら冷静に止めもするさ」
あえて、二人に対してではなく……。
ネロン婦人の方を見ながら、俺は静かな口調で告げた。
実を言うと、俺にとって、こういった経験は初めてのことじゃない。
前世においても、開業の相談を受けることは何度かあったものである。
別に、専門の経営コンサルティングというわけではないが、焼き鳥屋を始めるなり、数年で五店舗にまで増やした敏腕経営者だからな。俺は。
これから開業しようという人間にとっては、何とも頼もしく見えるらしく……。
知り合い経由で、相談を持ちかけられていたというわけだ。
勿論、知り合いからの紹介なので、俺も無碍には扱わず、真摯に相談へ乗る。
真摯に相談へ乗った結果、大抵の場合――数えたわけではないが、八割は下回るまい――一度立ち止まって、計画の練り直しをオススメすることになるのであった。
いや、練り直しや修正を提案するだけなら、まだ穏やかだ。
時には、先ほどこのネロン婦人へ告げたように、開業自体思い留まることを提案することもあったのである。
そうすると、大抵の場合は――食ってかかってきた。
――心配いらない。
――自分ならできる。
――味には自信があります。
そんなことを言った後、締めにこう告げるのだ。
――長年の夢なんです。
……夢っていうのは、毒だ。
頭に回っちまっていると、それを最優先に動いちまって、他のことへ考えがいかなくなる。
あるいは、カマキリへ寄生したハリガネムシのようなものだな。
操られたカマキリは、自分では手も足も出ない捕食者が多数いる川の中などへと飛び込み、その命を終えるのであった。
そんなわけで、俺はネロン婦人も、そういった大多数と同様に反論してくるのではないかと、身構えていたのだが……。
「そう……。
専門家の目から見て、厳しいことなのね」
ご婦人は、落ち着き払った様子で言うと、ティーカップに口をつけたのである。
この冷静さと寛容さ……やはり、いたずらに年を重ねただけの人物ではない。
「兄ちゃん!
理由を教えてくれよ!
こんなに美味しいクッキーやお茶を作れるのに、流行らないなんてことあるのかよ!?」
代わりに食ってかかるクロ少年へ、俺は冷静に答えることとした。
「理由は、いくつかあるが……。
第一の理由は、どんな店をやりたいかと聞かれて、店内の想像を語ったところだな。
あれは、空間を想像しているのであって、商売の計画を練れているわけではない」
ネロン婦人の考え違い……。
それは、前世においても多くの開業志願者が陥っていたミスである。
「第一に、飲食店を開くというのは、商売をすることなんです。
だったら、最初に思い描くのが空間であるというのは、ありえない。
客として狙う層がいて、それに合わせて商品を考えるのでなければ。
百歩譲っても、提供するべき料理が先にあって、それに合わせた客層を探すというのでなければ、店を開くのは思い留まった方がいい」
開業するというのは、マイホームを建てるのとは全く次元が違う行動だ。
居心地の良い……あるいは、テンションが上がるカッコイイ空間を作れれば、それで終わりというものではない。
もちろん、それらが自分の趣味趣向と合っていれば、より良いのは確かなんだがな。
あくまで、寄り添うべきはターゲットとする客層であり、己の趣味であってはならないのである。
ちなみに、俺の場合でいくと、前世で焼き鳥屋をヒットさせたという成功体験があるため、酔客をターゲットと決めていた。
その上で、他店との差別化を図った接客や賞品ラインナップで肉付けしていき、『モツ焼き屋のジンドー』が形になったというわけだな。
「そう……ね。
確かに、あなたの言う通りだわ。
あたしは、自分がどんな風にやりたいかだけで、どんな人を相手に店がやりたいのかなんて、考えてなかった」
「付け加えるなら、あなたの構想する業種は喫茶店ということになるわけですが……。
これも、全くの素人が開業する形態としては向いていません。
飲食店というのは、限られた席数でどれだけ客を回転させ、儲けを出すかが重要ですが、喫茶店の場合は、一人の客が長時間に渡って席を占有し続ける上に、追加の注文が望めない。
商売として考えるなら、とことん不向きな業種です」
俺が解説すると、クロ少年が「あれ?」と首をかしげる。
「でも、ネロンさんは見るからに蓄えがあるし、趣味でやる店ってわけにはいかないのか?」
「いや、それでも駄目だな」
その言葉には、かぶりを振った。
「店を開き、維持するというのは、とかく金がかかる。
ネロンさんには、まだまだこの先の人生があるんだ。
いざという時の蓄えだって必要だし、限りある資産を無闇に出血し続けるべきではない。
それに、例え小さな店だったとしても、営業し続けるなら精神的にも体力的にも疲れるしな。
疲れた挙げ句、これまで積み上げてきた蓄えが減っていくばかり……。
この状況は、お前が思っている以上に人間を追い込むぞ。
とてもではないが、豊かな老後とは言えない」
いわゆる、骨折り損のくたびれ儲けというやつだ。
人生と大金かけて開いた店で、そういった状況に陥るのはシャレにならない。
なっちゃった事例をいくつも知っている俺が言うのだ。間違いない。
「何だか、ジンドーさんが言ってると、全部経験したことがあるみたいです」
「過去の事例をしっかりと学んだなら、それは経験したに等しい。
わざわざ、失敗した体験を自分でする必要はないからな」
ヤナの言葉へ、ちょっとドキリとしつつ答える。
アレだな。
転生してからの幼少時代、必要以上に目立たないよう注意していたのを思い出すわ。
写本作りは将来への資金貯めに必要だったので仕方ないが、それ以外では自重したものだ。
変なことやった結果、神童として持ち上げられたりしたら困るからな。
俺がなりたいのは、異世界の発明王とかではない。
あくまで、飲食の世界で自分がどこまでやれるのかを、試したいのだ。
「そう……。
ジンドーさんの言うことは、よく分かりました」
カチャリ、とティーカップを置いたネロン婦人が、少しだけ寂しそうにほほ笑む。
「確かに、言われれば言われるほど、自分がどれだけ無謀なことをしようとしていたかが、分かってしまうわ。
あの人が残してくれた蓄えを、そんなことのために浪費してしまうわけにもいかないものね」
婦人が、つつりとカップの縁をなぞった。
「やっぱり、人には身の丈というものがあるのね。
あたしは、たまにこうやって訪ねてくる人を、お茶やお菓子でもてなすのを楽しむことにするわ」
言葉とは裏腹に……。
何とも言えぬ無念さが、そこからは汲み取れる。
まあ、前世においても、引退した老人がいかにして余生を過ごすかというのは、問題視されていたしな。
せっかく、張りのありそうなことを見つけたのに、挑戦するのは無謀であると諭されたなら、こうもなるだろう。
だが、俺は別に、このご婦人をガッカリさせるために来たわけではない。
「そのことなのですが……。
お店など開かずとも、もっと簡単に、かつ、お金を使わずに、ネロンさんが本当に抱いている望みを叶えることは可能かと」
俺の言葉に……。
ご婦人のみならず、クロ少年とヤナまでもが、こちらへ視線を向けてきた。
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