穏やかなご婦人

 ごっつあんです!

 ジンドー・マグワイヤでごわす!

 今日は王都リンドの中でも、裕福な人々が住まう高級住宅街へ、ヤナとクロ少年を連れてやって来てるでちゃんこ!


 ……ううむ、いかん。テンションがおかしい。

 朝から重たいモツ粥を、大盛りで三杯食べたからな。

 いかに現在の俺が健康優良な十五歳男児であるといえど、所詮は部門の生まれでもなんでもない文官系法服貴族家の次男坊だ。

 そんな朝食を取れば、テンションもおかしくなろうというものである。

 前世のSNSで見かけたドカ食い気絶なんかが、いい例であるが……。

 人間というものは、存外、消化器官に支配されている生き物なのだ。


「あっちの方だぜ!」


 一方、そんな俺とは対照的に、同じだけの量を食って元気一杯なのがクロ少年であった。

 これは、獣人という種族の隠れた種族的特徴か?

 ……いや、単にこいつの個人的な資質だな。

 ただでさえ育ち盛りな上、朝から晩まで過酷な肉体労働へ従事する日々なのだ。

 そりゃ、常に腹ペコだろうし、何を出されたところで完食してみせるだろう。


 そういえば、今現在ならともかく、水泳部だった前世の中学生時代だったら、俺も苦も無く食えたかもしれない。

 ……俺、文明的に何世紀かは劣っているだろう世界へ転生しておいて、前世の同年代時代より食が細くなっているのか。

 まあ、動力といえば人力か家畜に頼るような世界とはいえ、皆が皆、肉体労働へ従事しているわけでもないしな。


「ジンドーさんの分まで食べて……」


 変な方向へ回転した頭で、妙な納得をしている俺の隣でそうつぶやいたのが、クロ少年の背中に暗い視線を向けるヤナだ。


「ちなみにだけど、その俺の分というのは、昼飯とか晩飯とかに分けて食べてもらうつもりだったってことか?」


「もちろん、朝ご飯としての分です!

 ジンドーさんは、いっぱい頑張ってるんですから!!

 その分、いっぱい食べて頂かないと!」


 尋ねた俺に対し、むんと拳を握りながら答えるヤナさんである。

 ハッハッハ! そうか! ハッハッハ!

 ……食事量に関しては、後で話し合うことにしよう。

 食べ物を粗末にするのはよくない。

 そして、俺が太ってしまうのもよくない。

 願わくば、ヤナがデブ専で、狙って俺を太らせようとしてるんじゃありませんように……。


「それにしても……。

 この辺には初めて来ますが、何だか、違う世界へ迷い込んだような気分です」


 周囲を見回しながら、ヤナがつぶやく。

 彼女が言った通り……。

 この辺りへ立ち並ぶ建物は、王都に存在する他の区画とは性質が異なる。

 まず、単純に階数が高い。

 王都リンドの建物は、平屋が基本であり、上階があったとして、二階建てが関の山なのだが……。

 ここいらに建ち並ぶ屋敷は、三階や四階を標準装備しているのだ。


 しかも、実に頑丈そうかつ、華やかな色合いへ塗り染められたレンガ造りである。

 俺たち庶民――マグワイヤ家は庶民みたいな貴族だ――が、木造住宅へ住んでるのに比べると、佇まいからして格が違うと感じられた。


 いやまあ、木材とレンガ、どっちが優れているというものでもないんだけどな。

 事実として、この王都ではレンガ造りの方が値は張るし、その分、格式高い建築物として手をかけられるのである。

 ……で、そんな格式高い建物の並んだ通りを歩いていると、だ。


「……何だか、すごく視線を感じます。

 わたしたち、場違いなんじゃ?」


 ヤナがそう言いながら、頭頂部の耳をあちこちに動かした。

 それは、俺も感じていたところだ。

 例えば、各邸宅の窓……。

 あるいは、すれ違った馬車の車窓……。

 そういった所から、こちらに冷たい視線が刺さっているのを感じられるのである。


 しかも、それが直接に向けられているのは、この俺ではない。

 明らかに、俺が連れる獣人の子供たちへ向けられていることが、肌感覚で分かった。


「クロは……まあ、慣れているか。

 ヤナは、絶対に馬車や馬へ近づくんじゃないぞ。

 最悪、跳ね飛ばされる」


 恐れることなく突き進むクロ少年はさておき、隣のヤナにはそう忠告しておく。

 まあ、実際に「お、獣人だな! よし轢いちゃおう!」となる人間なんて、そうそうはいないだろうが……。

 それでも、普通の人間に向けるよりは一等劣った安全意識となることは、容易に想像がつく。

 まあ、前世の駅前通りで歩道を爆走していたような自転車と同じだ。

 明らかに向こうへ非があろうとも、そもそも、関わり合いにならないよう避けるのが大人の立ち回りというものであった。


「はい……!」


 ヤナが答えながら、繋いだ手をギュッと握り締めてくる。

 ふふ、可愛いやつだ。


「ジンドーの兄ちゃん!

 この屋敷だぜ!」


 なんて思いながら歩いてる内に、どうやら目的地へ着いたらしい。

 クロ少年が、ある屋敷を指差しながらこちらに声をかけてきた。


「立派なお屋敷……。

 周りの建物もそうですけど、それに負けてないです。

 クロ君。

 本当に、急に訪ねて大丈夫なの?」


「ああ!

 旦那さんにも先立たれて、今は一人っきりで暮らしてるって言ってたからな!

 屋敷の使用人にも暇を出して、今はたまに掃除を頼まれた人が来るくらいらしいぜ。

 安息日なんかは、特に暇してるらしいから、いつでも遊びに来ていいって言ってたぞ」


 ヤナの問いかけへ、元気一杯に答えるクロ少年だ。

 うん、少年よ? それはな。


「……それって、単なる社交辞令なんじゃ」


 俺の思ったことを、ボソリとヤナが代弁していた。


「ははは。

 まあ、その可能性も結構高いな。

 それで追い返されたら、大人しく帰ろう。

 別に、何か減るわけでもないしな」


 そんなヤナにそう返し、俺はクロ少年よりも前に進み出る。

 そうして掴んだのは、ドアノッカーだ。


「面識があるのはおれだし、おれが声をかけようか?」


「いや、金の絡む話をしに来たんだ。

 挨拶の時、経緯を話してくれればそれでいい」


 クロ少年にそう答え、ドアノッカー――獅子を彫ったそれだ――を打ち鳴らす。


 ――カン! カン!


 ノッカーの音は、思ったよりも強く鳴り響いた。

 鳴り響いて……返事はない。


「お留守……なんでしょうか?」


 しばし待ち、拍子抜けしたらしいヤナがこちらを見上げて言ってくる。


「いや、さっきの話だと、こんなタダッ広い屋敷に一人で暮らしてるんだろ?

 そんなすぐに応対できるはずもないさ」


「兄ちゃんの言う通り……と、来たみたいだぜ」


 クロ少年が、頭の犬耳を動かしながら同意した。

 俺には聞こえないが、彼には足音などが拾えたらしい。

 ガチャリ、とドアが開いたのはのは、その時である。


「あら……一体、何のご用かしら?」


 顔を出してきたのは、なるほど……実に上品で、美しい年の取り方をしたご婦人であった。

 年齢は、四十を回ったところか?

 年輪というものを、正しく己の内で昇華してきた人間にしか宿せない気品というものが感じられる。


「いきなりの来訪、失礼いたします。

 私はジンドー・マグワイヤ。

 さる場所で料理屋を営んでいる者でして、今日はここにいるクロ君からお悩みを抱いていると聞き、ご助力できるかもと思い参じました」


 次男坊とはいえ、一応は法服貴族家の生まれであるこの俺だ。

 貴族式の礼法に則り、頭を下げた。


「あらあら、まあまあ……。

 あたしは、ネロン・イーリアスと申します。

 クロ君、あんな世間話を覚えていてくれたのねえ」


 依頼人になるかもしれないご婦人――ネロンさんは、そう言って朗らかな笑みを浮かべたのである。

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