煙突掃除夫の少年
俺に声をかけてくれた獣人少年……。
彼の姿は、何というか、こう……。
煤まみれという表現が、相応しいものであった。
着ている衣服は、やはり、他の獣人たちと同じくツギハギだらけの代物であるのだが、とにかく、全身各所が煤で汚れているのだ。
おそらく、洗濯したところで、それが落ちるとも思えず……。
ならば、これはもう、煤にまみれているとか、煤で汚れているとかではなく、煤が染み付いてると表現した方が正確かもしれなかった。
そんな服を着ている少年もまた、肌の細胞に煤が入り込んだような風貌である。
種族的特徴である頭頂部の獣耳は、犬のそれ……。
年の頃は十歳前後……ヤナと同じくらいに思えるな。
顔立ちは、いかにもな悪ガキといった健康的で元気そうなもの。
そんな少年が、俺を指差しているのだ。
そして、俺の方もまた、この少年のような獣人に見覚えがあった。
何故か……。
獣人といえば、王都リンドを囲む城壁の外側に住まう種族であるが、かといって、王都の中に出入りできないかというと、そうではない。
許されてないのは住まうことくらいで、通行に関しては、夜間でもない限りフリーである。
それは、彼ら獣人に任されている仕事が、城壁の内側に存在するからであった。
例えば、肥汲みなどはその一例だろう。
街の人間たちがやりたがらない、臭くて汚い仕事……。
さりとて、やらなければ自分たちの生活維持へ支障をきたす仕事……。
それを、人間は獣人の生業として定め、押し付けているのである。
この少年が生業としているのも、そういった人間が忌避する仕事の一つに違いなかった。
それなる職業とは……。
「君は……煙突掃除夫か?
俺に何か用かい?」
背を屈め、目線を合わせるようにしながら少年に尋ねる。
――煙突掃除夫。
読んで字のごとく、煙突掃除で収入を得ている人々であった。
特徴的なのは、仕事環境の劣悪さ。
そして、従事しているのが獣人の少年たちであるということだろう。
そもそも、便利な機械など存在しないこの世界であり、煙突掃除というものは、煙突の中に直接潜り込んで行うものだ。
となると、体の小さい人間ほど向いているのは、自明の理……。
というわけで、獣人の少年たちは、暖炉などを備えた裕福な人間の所へ出向き、きつくて汚くて危険な清掃業へと身を捧げているのである。
そういえば、前世でも煙突掃除夫を題材としたアニメがあったな。
あれと新な機動戦記は、美少年同士の純愛を趣向する当時のお姉さんたちにとって、バイブルとなっていたものだ。
で、そんな煙突掃除夫の少年が、俺に何の用だというのか?
「何だよ!?
お前ら人間は、用がなかったら、おれたち獣人が声をかけてくることも許さないってのかよ!?」
「でも、君は用があるんだろう?」
おそらく脊髄以外の何物も経由せず食ってかかる少年へ、俺は冷静に返す。
「そ、そうだよ、クロ君!
それに、この人……ジンドーさんに失礼なことをしたら、お父さんが黙ってないんだから!」
援護射撃をしてくれたのがヤナで、彼女は俺の前に立つと、通せんぼをするように腕を広げてみせた。
ううん。何かこうなってると、俺が守られてるみたいだな。
いや、この獣人街で守られている立場なのを否定はしないが、いくら何でも、こんな子供相手にどうこうされることはないぞ。
さておき、俺は別にこのクロ少年と喧嘩をしてみたいわけではないし、ヤナに口喧嘩をしてもらいたいわけでもない。
「別に、失礼なことなんかされちゃいないさ。
それで、君は何があって俺に声をかけてきたんだ?」
努めて冷静に、再び同じことを聞いた。
「何だ、兄ちゃん……。
人間なのに、結構話が分かるんだな?」
そんな俺の態度に、毒気を抜かれたのだろうか?
クロ少年が、拍子抜けしたように俺を見つめる。
「俺は、ここにいるヤナといい仲だし、獣人が捌いているモツ肉も商売で使わせてもらっている。
街の人間に、今まで色々と嫌なことをされてきたんだと思うが……。
一つ、俺のことはそういった人間から除外して話してみないか?」
「そうだ!
その商売ってのが、重要なんだよ!」
俺の言葉へ、クロ少年が劇的な反応をみせた。
ま、そうだろうな。
これまで散々、獣人たちから距離を取られているのだ。
そんなジンドー・マグワイヤに用があるとすれば、それは、商売が関わっていると考えるのが自然だろう。
とはいえ、金の匂いというものが一切存在しない少年であり、儲け話の類とは到底思えないが。
そんな俺の疑問を解消するべく、クロ少年が口を開く。
それは、俺にとっては一番の得意分野と言える内容であったのだ。
「実は……あんたに、ある人の開業を手助けしてやって欲しいんだ。
その……料理屋を開くための手助けを」
「ほう……」
その言葉に……。
自分の眉が、ピクリと動いたのを感じる。
「その、ジンドーさん……。
あんまり、真に受ける必要は……」
「いや、興味深い」
ヤナの言葉にも、即答した。
「クロっていったな?
その話、是非、聞かせてもらおうか」
そこで、ちらりと手にした桶を見やる。
それで思いついた俺は、少しばかり意地の悪い笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「井戸からの水汲み、手伝ってくれるならな」
多分、話を聞いてもらえるかどうかは、賭けだったんだろうな。
クロ少年の顔が、パアッと明るくなった。
「もちろん!
そのくらい、朝飯前さ!
その桶に汲んでやればいいんだな!?」
「ああ。
といっても、うちの水瓶は今、空だからな。
満杯にするまで付き合ってもらうぞ」
「そんなの、煙突掃除に比べれば簡単さ!」
言うが早いか、クロ少年は俺の代わりにつるべを手にすると、井戸の水を汲み上げ始める。
つるべを使って水を汲み上げるというのは、前世じゃちょっと想像のつかなかった重労働であるのだが、彼は子供ながらに、それをあっさりとやってしまっていた。
ハッハッハ! ……やべ、喧嘩になったら負けてたかもしんない。
「むぅー……」
一方、そんな俺たちのやり取りをよそに、膨れっ面となっていたのがヤナである。
まあ、その気持ちは分からんでもない。
せっかく、二人きりでのんびり過ごせそうな雰囲気だったからな。
彼女の視点では、乱入者の登場により台無しとなった形なのだろう。
「悪いな。
俺なんかを頼ってくれたのが、少しばかり嬉しかったのさ。
埋め合わせは、そのうち何かするよ」
だから、その頭にぽんと手を置いてそう告げた。
「ん……」
頭頂部に存在するキツネ耳の間を縫い、銀髪を撫でてやると、彼女は少しだけくすぐったそうに目をつぶったが……。
「約束、ですよ?」
上目遣いとなりながら、ささやいてきたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます