獣人たちの暮らし
ありがたいことに、カシラが用意してくれていた着替えは、下着に至るまでが揃ったフルセットだった。
まあ、布地というものがそこそこ値の張る国なので、そこまで大した代物ではないし、新品というわけでもない。
だが、シャツにせよズボンにせよ、しっかりと洗濯が施されており、事実上の娘婿に対する気遣いが感じられる。
……これを渡したのが、入浴前でなかった辺りにも、別種のいらん気遣いを感じられたが。
おそらく、あちらの思惑では、朝まで汚れる前提だったということだろう。
そんなこんなで、ヤナは初対面時と同じ白いワンピース姿に……。
俺もカシラが用意してくれた衣服へと着替え、表に出た。
こうして外から見てみると、カシラが用意してくれたこの新居は、周囲の小屋と比べてもかなりしっかりした造りをしているのが見て取れた。
まず、大きさからして違う。
他の小屋が、俺の暮らしている長屋と同じワンルーム的な造りであるのに対し、こちらは居間、寝室、台所に別れた造りをしているからな。
また、単純な大工仕事で比べてみても、他の小屋が手作り感溢れる代物であるのに対し、こちらは、しっかりとした知識と技術のある人間が手がけているのだと察することができる。
同じように廃材などを駆使しているというのに、屋根は雨漏り一つなさそうであるし、壁も隙間なくきっちりと埋まっているのだ。
「カシラも、随分と奮発してくれたもんだ」
水桶を手にしながら、そんな新居を見上げる。
とはいえ、カシラはこの界隈における王のような存在だ。
その娘が男と暮らす家であるならば、それなりのものを用意しなければ、格好がつかないだろう。
また、これは俺を庇護する目的もあるんじゃないかと思う。
何故ならば……。
「やあ、おはよう」
なんてことがない俺の挨拶……。
しかし、それが巻き起こした反応は絶大なものだった。
バラックがごとき小屋の影などに隠れ、俺の様子を伺っていた獣人たち……。
彼ら彼女らが、一斉に身を引っ込めたのである。
「まあ、いきなり仲良くなるのは、無理だよな」
軽く溜め息を吐きながら、つぶやく。
覗き見ていた獣人たちの年齢は様々で、子供もいれば、その親と思わしき男女や、あるいは老人も存在していた。
ついでに、種族的特徴である獣耳に関しても様々で、犬、猫、ウサギ、タヌキに馬など何でもござれだ。
そんな風に、年齢も耳も様々な人々に共通しているのは――警戒心。
あるいは、自分たちが暮らす世界へ乱入してきた異分子に対する、敵意である。
「その、ごめんなさい。
事前に、お父さんから言い含められてるんですけど……」
俺に続いて家から出てきたヤナが、申し訳無さそうに言ってきた。
だが、俺からすればこんなもんは、許容の範囲であり、ついでに予想の範疇でもある。
「当然の反応さ。
もし、壁の向こうで獣人が家から出てきたら、周囲の住人は同じ反応をするだろうよ」
それが、人間と獣人の関係性というものだ。
むしろ、因縁をつけてきたりする輩がいない辺りから、カシラの人望というものを感じ取れた。
「それで、その……。
こっち側にいる時は、わたしから離れない方がいいと思います」
「まあ、そうだろうな」
その言葉にも、あっさりと同意する。
獣人たちが暮らすこの街で、俺を守ってくれているのは、カシラの権威という無形の盾であり、その象徴といえる存在がヤナだ。
彼女の傍を離れるということは、カシラの庇護対象から、迷い込んだバカな人間へと成り下がるに等しい。
くれぐれも、離れないことにしよう。
……と、それなら、だ。
「じゃあ、手を繋いでいくか?」
「はい、そうで……ええ!?」
水桶を持つのとは逆の手を差し出した俺に対し、ヤナが過剰な驚きを見せた。
「嫌だったかな?」
「い、いえ……そうじゃなくて」
首をかしげる俺に対し、また照れっ照れとした反応になったヤナが、頬を抑えながら答える。
「手を繋ぐなんて、何だか恋人になったみたいだなって。
ふぇへへ……」
その姿は、照れながらも本当に嬉しそうで……。
そんな反応を見れるなら、手ごとき永遠に繋いでやろうじゃないかという気分になってしまう。
ううん。魔性の女、というのとはちょっと違うが、どうにもこうにも庇護欲というものを刺激してやまない女の子だ。
「ははは。
まあ、よろしく頼むよ。
俺じゃ、この辺りのことは何も分からない」
「は、はい!」
そう言ってやると、ヤナが……そっと手を差し出してくる。
それで、指先が触れた時は、電流が走ったようにビクリと震えたのだが……。
やがて、しっかりと指を絡ませてきたのであった。
「それじゃあ、しっかりと案内しますね!
井戸だけじゃなく、この街のことまで!」
「ああ、お願いする」
答えて、手を引かれながらも、俺が考えていたのは別のことだ。
すなわち……。
――なんか。
――エッチだ。
……このことである。
手を繋いだだけなんだが……
--
「驚いたな。
俺の想像だと、もっと、何というか、こう……」
「貧しい暮らしをしていると思いましたか?」
「まあ、そんなところだ」
手を繋ぎ、下から覗き込んできたヤナに、そう答える。
彼女に手を引かれ、案内された獣人たちの集落……。
そこでの暮らしは、壁の向こうで俺が想像したものとは、大いに異なるものだったのだ。
まず、畑がある。
最初に驚いたのは、このことだ。
もちろん、規模としては小さい。
所詮は、灌漑用水を用いず井戸から汲んだ水で育ててるような畑だしな。
だが、そこでは瑞々しい春野菜がしっかりと育っており……。
手入れしている人間の精神が、土を通じて野菜に反映していると思わされたものであった。
これから先の季節は、アワ、キビ、高キビなどの雑穀を育てたりもするらしい。
また、見かける獣人たち……は、エンカウントすると隠れてしまうため、その前段階での印象ということになるが、ともかく、活気というものが感じられる。
壁の向こうにも人間の貧民街は存在し、俺はちらりと外側から伺うだけであったが、それはもう酷いものだ。
暮らしていると思わしき人物たちは、いずれも覇気などに欠け、ただ、ゴミ漁りなどで食いつなぎ、適当な廃材を段ボールハウスのようにして中で寝ているだけであった。
対して、こちらはどうか。
確かに、立ち並ぶ小屋を構成するのは、どこかから拾ってきた廃材だ。
また、俺やヤナが例外的に小綺麗な格好をしているだけで、住民たちの衣服は、ツギハギだらけでボロボロの代物である。
でも……ちゃんとしている!
例えるなら、これは、ゴジラマイナスワンの作中で見かけた戦後日本。
きちんと前を向き、力強く生きている姿勢を、目に映る端々から感じ取れてしまうのであった。
しかも、獣人たちは血色が良い。
きちんと栄養を得て生きているのが、おそらくこの世界で唯一栄養学の知識を持つ俺には見て取れる。
これは、大いに認識を改めなければならないだろう。
俺は今まで、ここを壁の向こうにもある貧民街であると認識していた。
違う。
ここは……獣人街だ。
分厚い城壁の外へ締め出された獣人たちが、きちんと根を張り暮らしている集落なのである。
「お父さんが言うには、壁の向こうで使っている人たちなんかより、わたしたちはよっぽどしっかりと生きているそうです」
壁の向こうで使っている人たち……さっき思い浮かべ貧民たちだな。
まったくもって、同感だ。
「ああ、暮らしというものが、きちんと成り立っている。
豊か、と言ってしまったら、語弊がありそうだけどさ。
少なくとも、心の豊かさは感じられるよ」
そんな会話を交わしながら、井戸へと到着する。
ちなみにだが、この国における井戸とは、地下水ではなく上水道を用いたそれだ。
江戸と同じだな。
「何往復かいりそうだな」
そう言いながら、つるべに手を伸ばそうとしたその時であった。
「――いた!
人間の兄ちゃんだ!」
一人の獣人少年がやって来て、俺のことを指差したのである。
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