獣人街での目覚め

 カタカタとキーボードを叩く感触は、実に馴染み深いものであり……。

 ブルーライトをふんだんに含んだモニターの光が目を焼く感覚もまた、馴染み深いものである。

 いや、馴染み深いというのは、少し違うか。

 これは……懐かしいんだ。

 ……何で懐かしいんだろう? こんなの、見慣れた日常風景なのに。


 周囲を見回せば、目に映るのは五人ほどの社員が詰められるデスク風景であった。

 ここは、俺の――城。

 とある雑居ビルに築き上げた我が社のオフィスである。


 と、いっても、ここはもうしばらくしたら引き払うことになるだろう。

 おそらく、二年か……三年といったところか。

 現在、我が社は右肩上がりの成長を続けており、今現在も、記念すべき十店舗目であるファミリー向けラーメン屋の開業に向けて、一丸となって頑張っているところだ。


 このラーメン屋が上手く当たって、二号店三号店を作ることになったら、もうこのオフィスではやっていけない。

 拡大するチェーン店舗を管理するためには、相応の人員というものが必要だからな。

 正直、今の人数でも少な過ぎるくらいなのだが、それでやっていけてるのは、各店舗の店長が非常に優秀な奴らであるからだ。


 まあ、時には恋愛沙汰のトラブルもあったりしたが……人間なのだし、そういうこともあるだろう。

 うん、俺は人材に恵まれた。


 何でか分からんが、急にそのことへ感謝の念を抱き始めた俺に向かって、宝である人材の一人が歩み寄ってくる。

 そして、数枚の書類をデスクの上に広げてきた。


「うん? 急にどうした?」


「社長……非常に言いづらいのですが……」


 腹心の部下である彼が、こうも言い淀むことは珍しい。

 一体、何事かと思った俺は、身を固くしながら書類を掴んだ。

 掴んで、読んで……絶句する。

 そこに記されていたのは、悪夢としか言いようがない文字と数字の羅列だったのだ。


「無茶な開業計画により、各店舗の開業資金は不足していました……。

 結果、高金利のリースやクレジットへ手を出したわけですが……。

 それらの返済が経営を圧迫し、店は満員御礼状態なのに、利益が全く出ていない赤字経営へと突入しています」


「嘘だろっ!?

 そんな初歩的なミス、この俺がするはず……」


 部下が告げたのは、飲食店開業時におけるあるあるなミスであった。

 身の丈に合わない事業計画で、どんぶり勘定で出店を強行した結果、働けど働けど儲けの出ない地獄みたいな店が出来上がるのだ。


 だ、だが、俺はそんなものは最初に焼き鳥屋を開いた時から警戒して……。

 警戒して……いたっけ?

 何か、記憶が曖昧だ。

 というか、意識も何もかもが曖昧で、さっきまでハッキリと視界に映っていたオフィスも歪んで見え始める。


 とにかく、確かなのは書類に記載された金利の重さだ。

 重い……重過ぎる!

 それは、物理的な圧迫感すら伴って俺の胸を支配していき……。




--




「――はっ!?

 ここは誰!? 私はどこ!?」


 そして、俺は覚醒を果たした。

 視界に映るのは、ボロ材をつぎはぎして作り上げたような部屋……。

 身を横たえているのは、板に布を張っただけという実にお粗末な造りのベッドだ。


 そして、胸に感じる体温と重み……。

 その正体は……。


「ん……う……」


 俺の胸へ、頭を乗せるようにして眠るヤナであった。

 ……圧迫感の正体は、これか。

 おかげで、ひどく懐かしく……それでいて、恐ろしい悪夢を見ることになったぜ。

 無謀な出店計画の果てに、夢で見たようなことになる飲食店というのは、山程存在するからな。

 飲食店というものが、開店から三年以内に八割方潰れると言われる由縁だ。


 開業そのものはそう難しくないことから、ろくに考えず突っ走っちゃう人間が後を絶たないんだよな。

 冷静に考えれば、人生かけて貯めてきた資産に、借り入れまで乗っけてのでかい博打であると分かりそうなものなのだが……。


 それだけ、夢というものの毒素が強いということだろうな。

 念願の出店が叶うとなれば、ちょっと無理をしてでもやってのけちまうのだ。

 そのちょっとした無理が、開業と同時に潰れる宿命を背負った呪いの店舗を生むとも知らずに……。


「ふ……あ……」


 そんなことを考えている間に、俺の起きた気配が伝わったのだろうか?

 ヤナが、ゆっくりと目を開く。

 ……ちなみに、今の彼女が着ているのは、ネグリジェじみた純白の寝巻きであり、薄い布地越しに、下の素肌が透けて見えていた。

 どうやら、それもカシラから与えられたものらしい。

 あのおっさん、どんだけ既成事実作りを急いでいるんだ。


「あ……」


 目を覚ましたヤナと、目が合い……。


「やあ、おはよう」


 俺が告げたのは、ごくごくありふれた起床の挨拶だった。

 だが、彼女の反応は俊敏だ。


「お、おはようございましゅっ!」


 ババッとその場で跳ね起き、正座のような姿勢でベッドの上に座り込んだのである。

 こうされると、猫か何かみたいだな。


「す、すいません。

 枕代わりにしちゃって……」


「はは。

 まあ、そう広くもないベッドに二人寝だからな。

 これは、仕方がないさ」


 実際、半端ない悪夢を見せられて寝起きは最悪なのだが、そんなことを言っても仕方がない。

 努めて穏やかな声で、彼女にそう告げた。


 そう、カシラが用意してくれたこの新居……ベッドは一つしか存在しない。

 風呂こそないものの、居間や台所といった主要な設備は、きっちり揃えているにも関わらずだ。

 ……ひょっとして、早く孫の顔が見たくて焦ってんのかな。

 この世界における平均寿命、統計したわけじゃないけどそこまで長くはないし。


「でも、その……」


「うん?」


 何か言いたげにするヤナへ対し、俺も体を起こしながら首をかしげた。

 そんな俺へ、彼女ははにかみながらこう告げたのである。


「その、すごく……安心して眠れました。

 最初は、一緒に寝るなんて、恥ずかしくて眠れないんじゃないかと思ったんですけど……」


 照れっ照れとなりながら言う姿は――カワイイ!

 木窓の隙間から差し込んだ朝日によって、薄い寝巻きは局部以外の肌が透けて見えているのだが……。

 カシラの思惑を他所に、俺は煽情さよりも、妖精じみた幻想さをそこに感じたのだった。


「ははっ……」


「えっへへ……」


 何を言ったものか分からず、二人して明後日の方角を見ながら笑い合う。

 そこで、俺の脳裏にいつものモーニングルーティンが閃いたのである。


「と、とりあえず……顔を洗いたいかな。

 昨日見た感じだと、水瓶に水は溜まってないから、まずは井戸まで汲みに行かなきゃか」


「そ、そうですね!

 実はこの家、昨日のお昼頃に完成したばかりで……。

 一応、一通りのものは揃えてくれたんですけど、水のことは忘れてしまってました」


 彼女が言った通り……。

 室内にはベッドの他、これも粗末だがタンスが備わっていて、そこに彼女の服も――そう数は多くないだろうが――入っているようだ。

 また、台所には少ないながらも食器や食材、薪が備わっていて、ひとまず、つつましく暮らすだけの備えはある。

 これで、水を汲み忘れていたのは、画竜点睛を欠いたというところだろう。


「それでは、着替えますか?

 ジンドーさんのお着替えも、お父さんが用意してくれています」


「お、そいつはありがた――」


 答えようとした矢先――。

 ヤナが着ていた寝間着を脱ぎ始めて、俺は慌ててそっぽを向くことになった。

 ……画竜点睛を欠いていたのは、俺もまた同じか。

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