カシラの思惑

 王都リンドの城壁沿いには、エルランド王国とは異なるもう一つの王国が存在する。

 すなわちオレの支配する王国……。

 獣人たちの国だ。

 と、いっても、別に領地を持っているわけでもなければ、よその国から国家として認められているわけでもねえけどな。


 ただ、気持ちとして、オレたちは自分たちのことを、王国から独立した存在として考えている。

 それだけ、人間共のオレたちに対する差別は苛烈であるということだ。


 自分たちは頑丈な城壁の中で安寧をむさぼっていながら、オレたちにはその外で暮らすように定め……。

 そのくせ、屠殺や糞尿の回収など、生きるために必要でありながら自分たちでやりたくない仕事は、オレたちへと押し付ける。

 それも、二束三文のはした金でだ。


 極めつけとして、心を鬼にして絞めた家畜の肉を食うことは決して許さず、貴様ら獣人は獣らしく、捨てるものである内臓肉でも食っていろと言う。

 このような仕打ちを受けて、好感情を抱けという方が難しいだろう。


 だから、オレも手下たちも、人間というものが大嫌いであるし、隙さえあれば……手段さえあれば、取って代わりたいと目論んでいた。

 ただ、オレが他の連中と異なるのは……。

 人間は嫌いであっても、見どころのある若者に関しては、話が別であるということだろう。


「――カシラ、

 ヤナお嬢は、どうやら野郎の風呂へ入っていったようです」


「おう、そうか」


 応接室に置いたこだわりのソファー――オレにとっては玉座のようなものだ――へ深く腰かけ、グラスの蒸留酒を舐めながらうなずく。


「その、よろしいんですかい?」


「何がだ?」


「大事なお嬢さんを、その……人間の小僧なんぞにくれちまって」


「ふん……。

 ただの小僧なら、もちろん大問題だ。

 だが、あいつはただのガキじゃねえ」


 報告してきた手下に、グラスをくゆらせながら答える。


「見込みがあるってことですか?」


「いや、そうだな……」


 ついさっき、自分でも見どころがある若者と評したのだが……。

 それを他人の前で認めるのは、何か、あの小僧へ敗北したような気分になるので、言葉を選んだ。

 そうして、出てきたのはこんな言葉だ。


「奴は、バカだ。

 それも、とんでもない大バカ野郎だ。

 だが、そのバカさ加減が、オレたち獣人へ得をもたらす可能性がある。

 だから、張るんだ」


 奴との出会いを思い出す。

 始めは、そう……。

 息のかかった肉問屋から、「内蔵肉を欲しがっている物好きがいる」と、報告があったんだ。

 興味を抱いたオレは、城壁内に飼っている手下を使い、半分さらうようにしてここまで連れてこさせた。


 オレたち獣人は、身分こそ低いものの、無力というわけじゃねえ。

 人間のお偉いさんが表沙汰にしたくない仕事を引き受けたりもするし、それによって得られる報酬は、相応のものである。

 それを使い、街に住む人間の中でも弱い立場の者たちを、手足のように使っているのだ。


 その風変わりな人間も、場合によっては、同じように手先として使おうかと思ったのだが……。

 あいつは、懐から一枚の紙を取り出しながら、堂々と言ったのであった。


 ――この時を待っていました。


 ――では、今から俺の事業計画書を御覧頂きましょう。


 こっちとしては、「は?」と答えるしかねえ。

 だが、あいつはこの部屋で紙を広げながら、次々と言葉を重ねていったのである。


 やれ、モツ肉の仕入れ値はこのくらいの量で、これくらいを想定している。

 場所としては、オレが抱えている縄張りのどこかを、このくらいのみかじめで使わせて欲しい。

 店は、すでに組み立ても撤去も簡単な物を用意してあるので、日中は邪魔にならないよう片付けておく。


 ……こんな感じのことを、スラスラとな。

 最後に、呆気に取られるオレへ向けて、こう言ったのだ。


 ――内臓食が王都で当たり前のものとなれば、獣人の立場にも何か風穴が空くかもしれません。


 野郎、ふざけたことを言いやがると思ったよ。

 たかが食い物屋をやるだけで、オレたち獣人の立ち位置にまで影響を及ぼし得ると言ってやがる。

 しかし、そう思いながらもオレは……きっと、笑みを浮かべていた。

 そして、提示された仕入れ値やみかじめじゃ安すぎるから、もっと寄越すことを条件に、仕入れと店の営業を認めてやったのだ。


 ……今になって思うと、大分乗せられちまったもんである。

 野郎は、最初に安すぎる額を提示することで、普通の肉に比べりゃ圧倒的に格安の仕入れ値と、まあ妥当なみかじめを認めさせたのだ。

 オレが、あまりの事態に冷静さを失っていなければ、そこら辺を見抜けたんだがな。

 いや、それでも、結局はこの契約内容でよしとしたかもしれねえ。


「……金の卵を生むかもしれねえ鶏なら、それなりのもんを与えて懐かせねえとな。

 なら、ヤナはまあ妥当だ。

 器量はとびっきりだが、何人かいる娘の一人に過ぎねえ。

 それに……」


 かわいい我が子のことを思って、ニヤリと笑う。


「あいつは、気がよええからな。

 荒っぽい獣人野郎よりも、あのガキみたいな奴の方が、案外、相性はいいかもしれねえぜ」


 ジンドー君よ。

 せいぜい、優しく紳士的に抱いてやれよ。

 人間のお貴族様らしく、な。




--




 人生最大の危機とは、いつだって唐突に訪れるものだ。

 例えば、風呂へ入ってるところに、裸の幼女が乱入してくるという形で。


「な……あ……」


 あごが外れんばかりの勢いで口を開きながら、風呂場の入り口を見やる。

 脱衣所を背に立っているのは――裸のヤナだ。


 雪のように白い肌は、恥ずかしさから紅潮しているようであり……。

 視線はどこか斜めを向いていて、キツネめいた頭頂部の獣耳は、せわしなくあちこちに動いていた。

 体の前面は、一枚のタオルによって隠しているが……。

 ピタリと貼り付いたそれが、彼女のほっそりとした体つきをかえって強調してしまっている。


「あ……あ……」


 今の俺は、何だ?

 敵の戦闘力にびびっている時のZ戦士か何かか?

 言語中枢があかんことになっている俺をよそに、ヤナがそっぽを向いたまま口を開く。


「その……私も入らせてもらいますね」


 言いながら、そっと湯船の中へと入り込んできた。

 ご丁寧にも、体を隠していたタオルは浴槽の縁にかけるというマナー遵守な姿勢だ。


 さて……この浴槽は、人が二人入れる分くらいの広さである。

 そこに、子供とはいえ、ヤナが追加されてきたのだから、定員であり……。

 しかも、向かい合う形で入浴してきたヤナは、やや俺に近いポジションへ陣取っているので、つま先同士が触れ合ってしまっていた。


 この……感触!

 こうなると、健全な男子であるジンドー・マグワイヤ君のジンドーが、何やら期待に膨れ上がってしまいそうになるが……。


 ――落ち着け俺よ!


 ――かかる事態に対しては、そう……仏道でもって抗するのだ!


 ――さあ唱えろ! 般若心経を!


 ――……駄目だ! 一文字たりとも呪文が分からねえ!


 くそっ! 前世でもう少し熱心な仏教徒だったら!

 いやまあ、転生なんぞしてる時点で、悟りにはほど遠いわけだが……。

 いや違う。今はそんなことを考えている場合じゃない!


「あの……」


 大混乱する俺に対し、浴槽の中で体育座りとなっているヤナが、ゆっくりと口を開く。

 うん、その姿勢はガードできているようで、何もガードできてないぞ!


 いかん……静まれ! 俺よ!

 去れ……マーラよ!


「納品されているモツ肉は、どうでしたか?」


「ん?」


 その言葉で、ある部分に達しそうだった血流がスーッと引いていく。


「どう、とは?」


「その……あれの下処理は、わたしも手伝ってますので」


 ますます恥ずかしそうにするヤナを、俺はガン見していた。

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