リナの思い出
――ジンドー・マグワイヤ。
あたしが彼と知り合ったのは、そう……五つになるくらいの頃だったと思う。
あたしの家は、ここ王都リンドで貸し本屋を営んでおり……。
王都の民が読書好きなのもあって、商売は堅調。
次女であるあたしも、何不自由なく育ってきたものだ。
能天気に育ったともいう。
だから、自分と同じ年頃の男の子が分厚く装丁された本を手にして来店し、こう言った時には心底驚いたものだ。
「すいません。
この本を売りたいのですが?」
その時、父はあたしに店の本を読み聞かせてくれていたのだが……。
すぐに抱いていたあたしを放すと、小さなお客さんの下へと歩み寄った。
そして、彼と同じくらいの目線にまでしゃがみ込むと、優しい声で告げたのである。
「坊や。
身なりを見るに、貴族家のご子息かな?
手に持っているのは、家にあったご本かい?
確かに、うちは貸し本屋だ。
本の買い取りもやっている。
けどね。それは一人前の大人となんだ。
勝手に家の物を持ってきて、お小遣い稼ぎをしようとしても、話を聞くことはできないよ」
ごくごく当然な、大人の論理。
子供が勝手に持ち出した品を買い取って、その実家――多分大した身分ではないが貴族家――と揉め事になるなんて、まっぴらご免ということであった。
だが、そこは幼くともジンドー。
当然言われるようなことなど、それこそ、当然予測していたのである。
「そう言うと思って、父からの保証状を預かってます」
「ええ!?
そんなもの、預かってるのかい?」
驚いた父に、彼が一枚の巻き物を差し出した。
「ふうむ……。
判子も押されているし、間違いなく大人の字と文章だ」
それを広げた父が、感心した様子でうなずく。
そして、一度巻き物から目を離し、真剣な様子で尋ねたのである。
「お父上の文章によると、その本は君が写本したものであり、間違いなく君の所有物だという話だけど?」
「はい。
字は祖父に習い、さらなる上達を目指して、教会の神父様に頼んで聖書を書き写させて頂きました。
結果、文字は上達し、聖書に関する正しい知識も得られたと思っています。
ならば、後はこちらに買い取って頂くことで、より幅広い人に聖書の知識を得てもらうのがいいだろうと」
胸を張って、スラスラと告げるジンドー。
この時のあたしには、彼が言っているのが、魔法の言葉みたいに思えたものだ。
だって、何を言ってるのかはよく分からないけど、温厚で聡明な父が、いちいち感心したようにうなずいてるんだから。
そんな父の姿など、そうそう見られるものではない。
まして、子供相手にそうしているところなんて、初めて見たのだ。
だが、その後はさらに驚いた。
「そして、ついでにちょっとした額の小遣いを得ると?」
父は、イタズラっぽく笑うと、幼いジンドーにそう言ったのである。
からかうような色を帯びたそれは、ある種、対等な立場の人間にしか見せない態度だ。
父は、あたしと背丈が変わらない男の子を、いっぱしの男であると認めたのであった。
「まあ、ついでというか、そっちが本命なんですけどね」
ジンドーの態度も、幼いながらに大したもの。
彼は、いけしゃあしゃあとそう答えたのである。
「大したもんだ。
うちの娘と、そう変わらない年だろうに……。
――気に入った。
と、言いたいところだが……」
父がちらりと見たのは、ジンドーが手にした分厚い本。
「買い取るかどうかは、その中身を見せてもらってからだ。
イタズラ描きばかりが描かれた本なんて、誰も借りないからね」
「もちろんです」
父が、ジンドーから本を受け取る。
そして、パラリとめくり始めたところで、あたしも後ろから覗き込んだ。
「これは……」
「すごい……」
そして、父と共に感心の溜め息を漏らしたのであった。
確かに、本の文字は大人のそれに比べれば、まだいくらか拙い。
だが、読むには十分と思える程度には上手で……。
内容にも問題がないらしいことは、素早くページをめくり続ける父の様子を見れば、明らかだったのである。
「……いや、大したものだ。
うん、これなら十分にうちで貸し出すことができるよ。
この写本、買い取らせてもらおう」
「ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をするジンドー。
あたしと同じくらいの年でここまでのことをし、さらに礼儀正しさまで加わると、もう何か別の生物みたいだった。
「それで、よければ今後も写本をしたら……」
「ああ、いいとも。
同じくらいの質なら、喜んで買い取らせてもらおう。
もっと字が上手くなったら、いずれはこちらから写本を依頼するかもね。
……と」
そこで、父があたしの方を見やる。
そして、ぽんと頭に手を乗せながら、こう言ったのだ。
「忘れてた。
ご挨拶は?」
「えっと、リナだよ」
父に促されたあたしが、ペコリと頭を下げる。
「ジンドー。
ジンドー・マグワイヤだ」
それが、あたしと彼の出会いだった。
--
裏通りの入り口に流れるのは、やけに肌寒いからっ風と、重苦しい沈黙であり……。
カシラとの一件を話した俺は、ただ黙って二人の反応を待っていた。
何だろうな、これ。
沙汰を待つ罪人みたいな気分だ。
「んーと……」
口を開いたのは、大岡越前ならぬリナであり……。
続く彼女の言葉は、心底から意外なものだったのである。
「まあ、そのうち、そういうこともあると思ってたわ」
「ねー?」
「思ってたの!?」
レアにまでそう言われ、俺の方が取り乱してしまう。
そんな俺に対し、リナが腰へ手を当てながら口を開く。
「ジンドーは、この商売をきっかけに、もっともっと大きなことをやっていきたいんでしょ?
そんなことをしてたら、誰か力のある人が必ず目を付ける。
そうしたら、自分の娘を嫁に迎えろとか、そういう話になるのは当たり前じゃない?」
「そうだよー?
というか、前からジンドー君は、結構色んな人に目を付けられてるよ?
私たちがいたからー、そういう話にならなかっただけでー」
「え? そうなの?」
初耳である。
せめてマグワイヤ家の跡継ぎであるとかならともかく、俺はスペアの次男坊だぞ。
世の法服貴族家次男坊三男坊がそうであるように、実家で肩身の狭い思いをするか、あるいは独立して何かをするしかない立場であった。
とてもではないが、モテる要素など存在しないのだが……。
「昨日、ジンドーはあたしに何て言ったっけ?」
「謙遜は美徳じゃないとかー、格好付けて言ってたよねー?」
「自分では全然実践できてないじゃん」
「え、いや? そうなの?」
「「そうなの」」
そうらしい。
二人揃ってのお言葉とあれば、もう閉口するしかない。
「だから、何というか……」
「愛人の一人や二人作ることになるくらい、随分前から織り込み済みだよねー?」
「まあ、そういうこと」
顔を赤らめながら言うリナを、からかうようにするレアだ。
いや、そんなもん織り込まれてもびっくりなのだが……。
「だから、ジンドーは、もっと堂々とやりなよ」
「でも、また似たようなことがあったら、正直に言わないとー怒っちゃうよー」
「ええ、ああ……はい」
おかしいな。
想定していた流れと、大分違う。
「それじゃあ、あたしたちのこと、ちゃんと送ってよね」
「送りがてらー。
その愛人さんのこと、教えて欲しいなー?」
「……うす」
こうして……。
よく分からないけど許しを得られた俺は、二人を家まで送り届けることになったのである。
……何か、送っているというか、俺が連行されてるような気分だった。
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