開店二日目の昼

 翌日……。


「昼になるか、ならないかくらいってところか。

 自分でも驚くくらい、爽快な目覚めだな……」


 粗末なベッドの上で目を覚ました俺は、木窓を開けながらそうつぶやいていた。

 蘇ってくるのは、前世の記憶だ。


 俺自身、酒好きということもあり、付き合いで飲みに行くことはしょっちゅうだったのだが……。

 その翌日に感じられた体の重みや睡眠の不十分さというものが、今回は一切感じられない。

 これが、若さってやつか……!


 と、感動しているわけにも、過信しているわけにもいかない。

 とっとと身支度を整えて、開店準備に向かわないとな。


 まずは、玄関の水瓶から、木製のコップに水を一杯。

 それを手にしたまま、表へと出る。


「おはようございます」


「おお、おはよう。

 つっても、もう昼になっちまうけどな」


 隣で楽隠居している爺さんと挨拶しながら、うがいをすませた。


「お前さん、毎日起きた時はそれやってるけどよ。

 そいつは、一体どんな意味があるんだ?」


「なんてことない、まじないみたいなもんですよ。

 これをやると、虫歯になりづらくなるんだとか。

 それを置いても、寝起きでねばっこくなった口の中を洗えますしね」


「ほおう。

 まじないとして意味があるかはともかく、確かに気持ちはいいかもしれんなあ。

 よっしゃ! おれも明日からやってみる!!」


「ええ、オススメです」


 そんな会話を終えて、家の中に戻る。

 口内雑菌を追い出したところで、朝食だ。

 今日のご飯は、こちら――パン!

 俺の顔くらいはある、でっかいパンであった。

 しかも、こちら……混ざりけなく、小麦粉を用いて焼いてある。


 あれは、何で得た知識だったかな?

 何かの映画だったかもしれないし、ウェブコミックか何かだったかもしれない。

 ああ、違うな。

 ドラクエの最新ナンバリングで、「ふかふかの白パンが食べたい」とか言ってるNPCがいて、それで調べたんだ。


 とにかく、前世の記憶によると、中世時代のヨーロッパというものは貧しく、庶民が食べていたのはカッチカチの黒パンだったらしい。

 だが、この世界、この国においては異なる。

 俺のごとき独立したての若造でも、ふっつーに白パンを食していた。


 と、いうのも、豊かなんだよな。エルランド王国。

 まず、国内には、ここ王都リンドにまで続く大河――ドナーニ河が流れている。

 それだけで、地球のヨーロッパ諸国に比べてかなり優位な立地であることが分かるだろう。

 しかも、土壌が肥沃で、領土の大半を占めているのが、広大な平野部だ。


 麻雀でいくなら、倍満ってところか。

 土が強く、灌漑用水が豊富で、おまけに耕作へ適した土地が多いんだから、そりゃ、嫌でも豊かな国となる。

 地球の立地でいくと、ウクライナ辺りをさらに農業向けへ魔改造したような土地といえるだろう。


 ……あーあ、嫌なこと思い出しちゃった。

 ウクライナ危機のおかげで、俺もかつては値上げするか否かの難しい決断を迫られたんだよな。

 翻って考えると、この国だって常に侵略される危険はあるし、何かの理由で不作になる可能性もあるだろう。

 吉野家に学んで、常に備えはしておかないとな。


 ……なんてこと考えながら食事を終えて、次は歯磨きだ。

 この街で使われている歯ブラシは、小枝の端っこを煮、叩いて柔らかくしたもので、これを使い丹念に歯を磨く。


 ろくな医療技術がないこの世界で、俺が最も恐れているものが病気だが、虫歯はその代表格であるといえるだろう。

 誰だったかな?

 確か、新選組の隊長に、幕末の動乱は生き延びたけど、虫歯が原因で死んだという無念すぎる最期の人がいたと思う。

 そんなわけで、時に命へ関わる病気なのだから、そりゃ気合を入れて予防するというわけだ。


 その後は、部屋の掃除。

 といっても、軽く掃き掃除と雑巾がけをするくらい。

 何しろ狭い室内であり、前世の基準で考えたら、断捨離でもしてるのかというくらい物のない部屋なのだから、すぐ終わる。

 それでも欠かさず行っているのは、まあ……習慣づけるためだな。


 今のところ、俺の牙城と呼べる店はボロ材で構成された『モツ焼き屋のジンドー』だけだが……。

 いずれは、きちんとした店を構えるつもりでいた。

 そして、前世における飲食店の常識である清潔第一は、この世界においても当然有効だろう。

 その意識がこの身から抜けちまわないように、身の回りは綺麗にしているというわけだ。

 もちろん、共同便所の掃除をする当番でも、一切手は抜かねえぞ。


 掃除をした後は、洗濯。

 洗濯板の溝が、洗濯物を擦り付けるためのものではなく、石鹸の泡を溜めておくためのものであると知ったのは、この世界に生まれてからだ。

 それも完了し、帰りは遅いので、室内干しにしておく。

 これで、出かける準備はオーケー。


「よし、行くか!」


 調理着に着替え、上着を羽織っていざ鎌倉。

 さあ……開店準備だ。




--




「じゃあ、こちらが納品書です。

 しかし、まさかうちが内臓肉なんか扱うことになるとはなあ」


「ははは、おかげで助かってますよ」


 『モツ焼き屋のジンドー』を営業する裏通りへの入り口……。

 まだ店を組み立てていない状態で、俺は肉屋さんから配達されたモツ肉を受け取っていた。

 木箱の中に収まっているのは、牛、豚、鶏から得られたモツの数々……。

 地球みたいに部位ごとでパッケージされてるわけじゃないから、きちんと仕分けるのも俺の仕事ということになる。


 ちなみに、このお肉屋さんにもカシラの息がかかっていた。つーか、かかっていなけりゃモツなんぞ扱ってくれないだろう。

 社会的には最下層とされている獣人だが、その影響力というものは、存外に強い。

 まあ、香具師やしとかヤクザとかと同じだ。


 戸籍というものが存在しないからこそ出来ることがあるし、そういったことを成す者たちには、相応の報酬というものがあるのであった。


「実際、どうなんだい?

 お客さんの反応は?」


「存外、悪くないですよ。

 これでもし、モツを食うのが当たり前みたいになったら、カシラと縁のあるおたくには、いい商機となるかもしれませんね」


「それはそれで、大変そうだけどねえ」


 肉屋さんとそんな会話を交わし、笑顔で見送る。


「おや、ジンドー君。

 もう来てたのかい?」


 お隣の飲み屋さん――恰幅のよい女将だ――が声をかけてきたのは、その時だ。


「お酒屋さん、そっちの分も入れといてくれたよ。

 空樽も引き取ってもらっといた。

 こいつが、その伝票ね」


「ありがとうございます。

 このお礼は、いずれ必ず」


「いいんだよ、そんなの。

 ちょっとお酒を預かってるだけなんだから」


 女将さんが、そう言って笑ってくれた。

 前世においても、常に留意しなければならなかったのが廃棄ロスだが、それはこの世界においても変わらない。


 うちの店でいくと、何しろ扱っているのがモツなので、基本的に売れ残りは全て廃棄することとなる。

 だから、それに関しては諦めるしかないのだが……。

 諦めきれないのが、余った酒だ。


 さりとて、一つ辺りが20リットルは入るだろう大きさの酒樽であり、持って帰るというのは現実的ではなかった。

 かといって、裏通りの入り口なんかに置いといたら、いかにカシラの息がかかっているといっても、置き引きにあうこと請け合いである。


 そこで、思い切って相談したところ……。

 この女将さんが、快く在庫の酒樽を預かってくれたのであった。


「そうはおっしゃるが、何事にも対価というもには必要ですよ」


「小賢しいこと言うじゃないの。

 じゃあ、そうだね……。

 貸しっていうことに、しとこうかしら」


「こいつは、一番高値でふっかけられた。

 いいですとも。

 何かあった時は、必ず力になりますよ」


「あっはっは!

 楽しみにしているよ!」


 和やかに会話を終え、預かってもらっていた酒樽を受け取る。

 ちなみにだが、酒樽は結構作るのが大変なため、洗浄して使い回すのが基本となっていた。

 そのため、空の樽はきちんと返却すると、酒屋さんが割り引きしてくれる。

 かいて集めりゃ大枚というわけで、空樽まで預かってもらっているというわけだ。

 例によって、外に置いとくと、売却目当ての貧民さんがパクッていくからな。


「ようし!

 開店準備といくか!」


 お空に向かって宣言し、早速にも店開きの準備へ取りかかった。

 皿洗いなどに使う水は井戸から汲んできてあるので、まずは店の組み立てからだ。

 それが終わる頃には、リナとレアも出勤してくるだろう。

 出勤してきたら――決戦だな。


 そう……。

 実は、我が『モツ焼き屋のジンドー』は、開店二日目にして、早くも危機的状況へ追い込まれていたのである。

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