前世とこれから

 さて、この世界と地球との違いといえば、色々とあるが……。

 夜の暗さというものは、案外、それを代表するものであるかもしれない。


 この世界の夜は――暗い。

 いや、何を当たり前のこといってるんだと思えてしまうが、それだけ、地球の……より正確にいえば、東京の夜は明るかったのだ。

 何しろ、どれだけ遅い時間になろうとも、光源一つもなしに出歩けてしまっていたからな。


 当時は、それを当たり前のこととして受け取り、暮らしていたが……。

 こうして中世――忖度しても近代――程度の文明レベルしかない世界に生まれ直してみると、あれがどれだけ自然の摂理に逆らったことだったかが分かる。

 カンテラなどの光源がなければ、ほんの一メートル先を見渡すことさえかなわず……。

 それらを手にしていたところで、目に見える範囲はそのくらいであった。


 人類は、電気という偉大な発明を手にすることで夜闇を克服し、更なる繁栄を手にし、ついでに飲食業界は夜営業という稼ぎ時を手に入れたということだ。

 そりゃ、エジソンが発明王と呼ばれるわけである。


 と、いうわけで、地球のそれに比べて遥かに暗い夜の中を歩き……。

 俺が帰り着いたのは、今年になってから暮らし始めた長屋であった。


 ここ王都リンドは、時代劇に出てくる江戸の街並みとよく似た構造をしており、商店が連なる通りの裏側などに、町人が住むための長屋が築かれている。

 住まうのは、基本的に俺のような単身世帯。

 構造は、四畳くらいの板敷きに、最低限の煮炊きをするための竈が一つ。

 当然ながら、トイレは表にあるものを共用で使用しており、風呂なんていう気の利いたものもない。

 今日の労働でかいた汗は、明日、公衆浴場へ行って流さないとな。


「ふぅー……」


 何しろ、壁の薄い長屋だ。

 すでに眠っているお隣さんたちを起こさないよう、静かに玄関を閉め、一息ついた。

 吐き出した息は、やや酒臭い。

 地球っつーか日本では許されない15歳での飲酒だが、ここじゃあ合法だ。


 に、しても、だ。


「美味い酒だった、な……」


 しみじみと、そうつぶやく。

 いや、マジな話、この世界でビールを美味いと感じたのは、これが初めてのことだったのである。

 ワインやウィスキーなら、まだマシな味なんだけどな。この世界のビールは、本当に全然駄目。


 初めて、ビールを味見してみた時……。

 地球におけるビールの美味さは、高度な工業技術によって支えられていたのだと、つくづく思わされたものだ。あと冷蔵技術。


 だが、今日のビールは美味かった。

 理由は、二つある。

 一つは当然、いずれとびっきりの美人になるだろう娘さんを、愛人として迎えられたことだ。

 俺も男だ。将来、いい女を抱ける未来が高確率で訪れることを、喜ばない理由がない。


 そして、理由の二つ目は……。

 これも当然、開店初日が大盛況で終わったことであった。


 何しろ、文化的に内蔵食へは、それなりの忌避感を抱いている王国民たちだ。

 だから、油断大敵であり、これがオープン景気である可能性は常に留意しなければならない。

 とはいえ……とはいえ、である。

 とりあえず、最初の関門を越えることには成功したのだから、これは喜ぶべきだろう。

 それに、あの店が成功し続けるにせよ、どこかでロスカットすることになるにせよ、重要な情報は得られた。


「お冷やにおしぼり……。

 可愛い制服を着せた女の子による丁寧な接客……。

 地球式のホスピタリティは、異世界においても効果抜群なり」


 そう、このことだけは、疑いようもない。

 何しろ、得体が知れないボロボロのモツ焼き屋へ、見事に客を引き入れたんだからな。

 今後、他の業態で再出発することになったとしても、これは必ず有効打となることが、確認できたのだ。


「やってやるぜ……」


 安物のベッドに寝そべって、天井に手を伸ばす。


「俺は、ここ王都の飲食業界で、王となる」


 そのまま、ぐっと拳を握り込んだ。


 俺の名は、ジンドー・マグワイヤ。

 法服貴族家――まあ、領地を持たず給料で暮らしてる貴族だ――の次男坊である。

 だが、それは今生における素性……。


 俺には、もう一つ人生の記憶があった。

 日本において、飲食店チェーンのオーナーとしてぶいぶいやっていた記憶である。

 うちの会社、調子が良かったぜ。

 まずは、都内のビジネス街で、焼き鳥屋を五店舗開業……。

 その後は、新形態として、高級住宅街で中高齢者向けのフィットネスカフェを始めたんだが、こいつもウケて四店舗ほどを開いた。

 で、記念すべき十店舗目として、都内近郊にファミリー向けのラーメン屋を開こうとしたその日……。


 ……で、記憶が途切れている。

 多分、俺、死んだんだよな? なんで死んだんだろう? 滑って転んで頭でも打ったのか?


 そんなこんなで、今は惑星名――地平線も水平線もあるし多分、自転してる惑星――も分からないこの世界で、金髪の美少年ジンドー・マグワイヤ15歳をやっているわけだ。

 つまり、体は子供、頭脳は大人というわけだな。


 前世の記憶を思い出したのは、三つになった時のことである。

 俺は、こう思ったね。


 ――一から再出発だな。


 ……と。

 店舗経営っていうのは、積み木を積み重ねていくような作業だ。

 いってしまえば、当時の俺は、積み上げたものを洗いざらい掃き捨てられたような状態だったわけだが……。

 自分でも、驚くくらいに前向きな考えを抱けたものであった。

 多分、建築的な思考が育っていたんだろうし、泣こうがわめこうがどうしようもない状況だったからでもあると思う。


 そして、そこからは即、行動だ。

 まず最初に手を付けたのは、言うまでもない……。

 資金作りである。

 そのために行ったのが、字の練習だ。


 資金作りのために、字の練習?

 一見すれば、両者は全く繋がっていないように思えるだろう。

 だが、実際は違う。

 俺は字の練習をすると共に、写本を作っては本屋に売って、金を稼いできたのだ。


 何しろ、この世界に印刷技術などという気の利いたものは存在しないからな。

 それでいて、ここリンドは王都ということもあり、識字率がそれなりに高く……。

 貸し本屋――ひいてはそこに卸す写本の需要は、否が応でも高く、それなりの値段で買い取ってもらえるのである。


 しかも、最初は教会で親切な神父さんに見せてもらった聖書を写本していたのだが……。

 成長するに従って筋力も付いてより字は上手くなり、次第に、卸している貸し本屋から色々な本の写本を依頼されるようになった。

 この世界について知識を深めたかった俺にとっては、まさに、好都合であったと言えよう。


 ちなみにだが、字の師匠は隠居して暇していた祖父であり、貸し本屋はリナの実家だ。

 で、レアはリナのお隣で商売している服屋の娘なわけで、彼女らとの付き合いはその頃からということになる。


 そうやって、現在に至るまで開業資金を貯め続け……。

 入念なリサーチの結果、いけると判断して実家からこの長屋へ独立し、『モツ焼き屋のジンドー』を開いたというわけだ。


 まあ、そうなるまでには、獣人たちへ近づいてカシラに取り入ったり、大工の跡取りと仲良くなって、組み立て式の店を作ってもらったりといった過程もあるのだが……。

 そこら辺は、ちっとばかり省略するとしよう。


 何しろ、もうこんな時間だ。

 酒も入っていて、眠い。


「写本を作り続ければ、つつましく生活することはできるだろうけどな……。

 やっぱり、俺は飲食でやっていきたい。

 前世でやり残したことを、この人生でやり遂げる……」


 一体、誰に向けて語っているのやら……。

 思った以上に酔いの回っていた俺は、そんなことをつぶやきながら、眠りへと落ちていったのである。



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