鬼山(きざん)

鬼伯 (kihaku)

第1話 カワッテル

 もう半世紀以上もむかし、昭和30年代中頃のことだ。いま思い出しても自身で信じかねるところがある。だがあんなことが実際にあったのだ。

 その年、おれは中学にあがった。学校がおわると同級生と一緒に往還を帰るのが日常だった。が、その日はどうしてだか一人で山之辺(やまのべ)の道を帰った。往還は材木を積んだトラックが砂煙をあげて往来するのが厭だったのかも知れない。鄙(ひな)の子どもなのに、おれは独り、そういう気取ったところがあった。

 山之辺の道の途中からいとこの伊一郎君と一緒になった。示し合わせて一緒に帰るほどの仲ではなかったので、どちらかが追いついて一緒になったのだろう。伊一郎君は二つ上の学年だった。その頃、二つ上といえばほとんど口を利かなかった。それにおれはいささか伊一郎君が苦手だった。伊一郎君の家は父親が事故で早くに死に母親は病気がちで貧乏の入口みたいな情況だった。子どもごころにそういう情況は分かった。それで父によくいわれた。

「伊一郎は家が大変でも頭がよく素行もいい。おまえは好き放題な贅沢ができるのに勉強はしねえ。山ばかり歩いて素行もよろしくねえ。とても医者にはなれねえぞ」

 何遍もそんなことを突きつけられているから苦にもならなかったが、おれは思ったものだ。

 ――なぜうちは貧乏じゃないんだろ。なぜ父が早く死なないのか。母はなぜ病気がちではないのか。これでは頭がよくなりようがない。

 おれはそんな子どもだった。これで犯罪者になっていたら、子どもの頃から異常だったといわれるに違いなかった。そんなふうでノホホンのおれは優秀な伊一郎が苦手だった。とはいえ血がつながっているから、逢えば逢ったで他の人より気安く話すことができた。

 秋の彼岸がすぎていた。山之辺の道は涼やかな風が吹いて胸がこそばゆかった。涼やかは鈴やかにちかいものだった。風が山の実りの匂いをのせていて、子どもながら豊かな心持ちだったのを覚えている。遠くに目をやると、山脈(やまなみ)がときおり光って宇宙人が呼んでいるような気がした。

 ――行くで、待ってろ、そのうちきっと行くぞ。

 おれのことを、家族も友だちも「カワッテル」といっていたから、変わっていたのだろう。前述のように、ほかの人から見れば奇天烈なことをふつうに頭に描いたのだ。でもおれはカワッテルといわれるのをからかわれているとか、いじめられているとかとは受けとめなかった。むしろ大事にされている証拠だとやや誇らしい心持ちだった。それが、だからカワッテいたのだ。

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