第4話 ちゃんと面倒をみるから

「何かだまされていない、それ?」


 その日の夕食時、みどりの母からの開口一番はそれだった。


 北岡からは「いったん商談中ということにしておく」と言われ、家に帰されたのが数時間前のこと。実はあのクルマは委託販売のものだったらしく、北岡も一度売主に連絡を取りたいと言っていた。


 仕事のことを聞かれたのは、オートローンの審査を考えてのことだったらしい。北岡いわく「若いとはいえ公務員だったら、審査はおそらく通るだろう」とのことだったが、ずっと実家暮らしをしてきた翠にしてみれば、今まで貯めてきた貯金を吐き出せば、200万円は何とか一括で支払えなくも無い金額だった。


 クルマの運転免許証については、追加費用はかかるが教習所での講習を受ければ、AT限定の解除をしてもらえるとも教わった。こちらについては、もともと自動車の運転免許証を持っているため、それほど時間はかからないとも言われた。


 あとは一旦落ち着いて考え、覚悟を決めてから出直してこいと言われたのだが――。


「だって、30年近くも前のクルマに200万円の支払いだなんて」


「でも、すっごく綺麗なクルマだったんだよ。それに、見た目もめっちゃ可愛いし」


「それだけのお金があったら、母さんだったら新車を買うけれども」


「もう新車じゃ手に入らないクルマなんだから、仕方がないじゃん」


 母と話をしていても、いつまでたっても平行線のままだった。そもそも母はクルマにあまり興味が無く、日頃から「荷物がたくさん積めて維持費が安い車が良い」とよくこぼしていた。


 それまで黙々と食事をしていた父が、ぼそりと言った。


「翠。お前、クルマを買うってことの意味はちゃんと分かっているのか」


「えっ」


「クルマの置き場所のことは、まだスペースがあるから良いとして、毎年税金も払わなきゃならないし、車検にだって金が掛かる。クルマの保険だって、お前の年齢からすれば結構な額になるんじゃないか……家に生活費おかねを入れながら、それだけの額をまかなう覚悟は出来ているのか」


 父の言葉に、一瞬言葉が詰まる翠。確かに、高卒で市役所に入った翠の給料は、決して高くはない。


「でも……私、自分で乗るならあのクルマが良いの。お父さんだってクルマ好きで、自分の好きなクルマに乗ってるじゃん」


 軽く口を尖らせる翠に、母は若干呆れたような目で娘と父を交互に見る。


雅弘まさひろといいアンタといい、そんなつまらないところ、似なくたって良いのに……うるさくて見た目が派手で、私が乗りづらい車が増えるだけなんじゃないの?」


「カプチーノはお父さんのインプレッサみたいに、うるさくて派手なんかじゃないよ。そりゃまあ、ギアはオートマチックじゃないし、ちょっと乗り込みづらいクルマだけれども」


 翠のその言葉を聞いて、父の眉が一瞬ぴくり、と動く。


「俺のクルマは、ちゃんと車検に適合しているぞ……それにしてもお前、よりにもよってカプチを選ぶか。そのクルマ、状態は良いのか」


「ちょっと、お父さん?」


 嫌な予感がしたのか、露骨に顔をしかめる母。クルマ好きと分かっていて結婚した相手ではあったが、凝り性であるが故に案外馬鹿にならない谷川家の車の維持費は、母のちょっとした頭痛の種でもあった。


 父の反応が変わったのを確信した翠は、内心でガッツポーズを取る。


「うん。私には良く分からないけれども、全然修理とか改造とかはしていなくって、古い割にはあんまり走っていない、屋内で置いてあったクルマなんだって」


「そうか」


「ねぇ、ちゃんと自分で面倒を見るから、買っても良いでしょ?」


 そう言って顔の前で両手を合わせる翠に、夕食を終えて箸を置いた父はややあってからぼそりと答えた。


「まあ、翠ももう大人だからな……仮にだったとしても、それはそれでちょっとした社会勉強にはなるだろう。風呂に行ってくる」


 そう言い残して、食卓から席を立つ父。その後ろ姿をこらえきれない笑顔で見送る翠に、母はわざとらしいぐらいに大きなため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る