第3話 覚悟のハナシ

「とりあえず、そこに座って」


 それほど広くもない事務所の一角、小さなカウンターのスツールを勧められたみどりは、男から言われるがままに腰を掛ける。


 店内の造りは古かったが、比較的綺麗に整頓されていた。翠にしてみれば、他のクルマ屋がどのようなものなのかは見当も付かなかったのだが。


 店の奥で何やらごそごそしていた男が、湯気が立つ紙コップを二つ持ってやってきた。


「うちにはブラックしかないけれど」


 そう言って男が差し出したのは、ホットコーヒーだった。


「ど、どうも」


 軽く頭を下げて、翠はその紙コップに口をつける。意外にも雑味の無い、上質な味わいだった。


「それとこれ、渡しておくわ」


 次に男がカウンターの上に差し出したのは、一枚の名刺だった。そこには「北岡自動車 店長 北岡きたおか修一しゅういち」と書かれていた。


「で、さっきの話の続きなんだが」


 カウンターの奥側に立った北岡が、カウンターに肘をついて自身の紙コップに口をつけつつ言う。


「お嬢ちゃん。何だってアンタ、あのクルマをそんなに気に入ったんだ?」


「……えっと」


「見ての通り、あれは古い2シーターのオープンカーで」


「えっ。あれ、オープンカーだったんですか?」


 翠が知るオープンカーとは、屋根の部分がほろになっているものだった。さっきシートに座らせて貰った時に見た限りでは、あのクルマの屋根は金属製のものに見受けられた。


 翠の言葉に、北岡は軽く被りを振る。


「知らなかったのか……まあ、いい。ともかく、あのクルマは見ての通り二人乗りで、荷物もほとんど載らなくて、おまけに古いから、今となっては修理用の部品を手に入れるのもなかなかに難しい。そんなクルマに200万円を出す覚悟、アンタにはあるのか?」


 改めてそう聞かされると、確かに少し身構えたくもなる翠だったが――。


「あの、そのことなんですけれども……あのクルマって30年ほど前のクルマですよね。何でそんなに高いんですか?」


 素朴な翠の疑問に嫌味の色がないと判断した北岡は、軽いため息交じりに答えた。


「それだけの価値が、今のあのクルマにあるからさ。ワンオーナーでメーカー純正オプション以外はフルノーマル、走行距離3万キロちょい。修復歴もない、屋内保管されていた極上品だ。面倒くさくなるから中古車検索サイトとかには敢えて登録していないんだが、もしも登録したら全国のマニアから問い合わせが殺到するだろう」


「30年前のクルマで、200万円もするのに?」


「そうだ。200万円もあれば、そこそこのグレードの軽自動車を新車で買っても、まだお釣りがくるんじゃないか」


 だから、そっちにしておく方が良いだろうに――北岡の目がそう言っているように、翠には思えた。


 もう一口コーヒーをすすってから、翠は言葉を選びつつ答えた。


「私、最近はこれといった趣味も、これが楽しいってこともなかったんです」


「……それで?」


「でも、あのクルマを見ていると、何だか胸のドキドキが止まらないんです……あのクルマが側に居てくれたら、私の人生ももっと楽しくなりそうな気がして」


「ふうん……君、免許を取って何年目?」


「4年と、少しです」


「日頃クルマを運転することは?」


「今までは、ありませんでした」


 少しの間、無言で翠を見つめていた北岡だったが、やがて唇の端を上げて愉快そうに笑った。


「ククク……自分の人生がもっと楽しくなりそう、か」


「そんなに可笑しいですか」


 少し頬を膨らませた翠に、北岡は器用に片方の眉だけを上げて見せた。


「いや。アンタ、案外クルマ選びのセンスは良いモノをもっているかもな」

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