第86話 責任の所在

 草薙は自身の活動について話し始めた。

 話の内容は黒川駅の町中華で小熊に話してくれた事の繰り返しで、草薙がオカルトというものを知り、ダックスに乗ることでそれを見に行き、直に触れられるようになった話。

 南海は持っていたキルティングの袋からボールペンとノートを取り出し、カーディガンの胸ポケットからスマホを出して床に置いた。

 ボイスレコーダーアプリの画面が表示されたが、録音時間の表示はゼロのまま動かない。

 南海は録音開始のアイコンをタップしていなかった。

 小熊が手を伸ばし録音をスタートさせようか、それとも自分のiPhoneで録音しておこうかと思ったが、南海のノートに書かれた文字を見て手を止めた。

 南海は草薙の話の中で、象徴的なワードを選んでノートに書き込んでいた。人が見たら何を書いているのかすらわからない単語の羅列。 

 どうやら南海はスマホアプリの類よりよっぽど信用できる自分自身の記憶力で、草薙の話を資料として纏めようとしている。


 小熊は今までの人生で、生まれながらに高い記憶力を有している人間に出会った機会はそう多くないが、そういう人間のうちの何人かは、目や耳で知覚して脳に保存した情報を、その記憶ファイルにつけたワードを入力するだけで自在に取り出す事が出来る。

 きっと南海は、今ノートに書きこんでいる草薙の話、その中で南海が耳を惹いた特徴的なワードをファイル名にして記憶している。後日そのファイル名で脳を検索するだけで、話の内容だけでなくその時の草薙の表情、目つきや呼吸までが脳内にファイル展開される。

 南海がボイスレコーダーアプリを使わないのは、使う必要が無く、それより遥かに高性能な記憶デバイスを既に持っているから。

 草薙に見えるようにスマホを置いたのは、単に草薙にこの会話は記録されているという事を伝え、発言の真実性を保証させる物なんだろう。

 草薙の言った事は真実で、それを残さず記録することが出来れば、ボイスレコーダーを作動させる必要すらない。南海のような人間には逆に無駄な先入観を与える録音記録など邪魔なものでしか無いんだろう。

 でも、それだけが理由ではないと小熊は思った。


 もしも南海が草薙の言葉を録音し、それを元に論文を書いたなら、それは草薙の言葉を書きとっただけの物になる。

 万が一草薙の活動が問題視されるような事があったなら、草薙の言葉を論文に残した南海はただの記録者として責任を回避できる。

 そんな狡い立ち位置のまま泥棒できる情報など限られているという事は、今まで紫のバイクについての情報を探し回った南海なら、知識ではなく勘で気づいているだろう。

 もしも紫のバイクについて書かれた論文が、草薙を情報提供者の一人として、それらの情報を収集した南海の言葉で書かれたならば、問題発生時の責任は南海にも降りかかり、草薙とは事実上一連托生の身になる。

 オカルトスポット探索という、トラブルの可能性を内包した趣味。想像力を逞しくすれば起きうる事態は幾らでも想像できる。


 かつて非人道的な行為が行われた地が、今はもう自治体と大手不動産企業が一体となって行った大規模開発で地形と痕跡、地名まで変えられた例は幾つもあり、そこで過去に起きた出来事の決定的な証拠となりうる痕跡や石碑を個人マニアが見つけしまった例など、国内外に幾つもある。

 他に大規模施設誘致の都合上、その地域ではもう絶滅してしまったとされている希少生物の映像など、見てはいけない、見られては非常に都合が悪い場所など幾らでも存在する。小熊の住む東京都下ににさえ、公的情報ではICPOとの通信施設とされつつ、実際は公安上重要な無線情報を傍受する施設だと言われた場所や、全国の警察で使用される銃弾の製造所があったりする。

 草薙がバイクを紫に塗り、自らの身元をあえて照会しやすくすることで責任を果たそうとしているように、南海もまた論文執筆者という、紫のバイクの乗る一団のメンバーではないが直接的な関係者になることで、自らが論文にして残す情報の責任を取ろうとしている。

 

 草薙の話がごく最近行った場所になり、教職経験者らしく不必要に冗長にならない話は締めくくりを迎えた。南海はノートを閉じて言う。

「貴重なお話ありがとうございました。この情報を決して無理解な人間が自由に見られるようにはしない事をお約束させて頂きます」

 草薙は南海のスマホを一瞥しながら言った。

「私の活動を知ってくれる、その情報を正しく扱ってくれ人が居る、それだけで私は嬉しいんです」

 横で話を聞いているような聞いていないような様子で寝転がっていた後藤が小さく舌打ちをした。

 後藤は草薙の活動が衆目に晒され、今まで慎ましく楽しんでいた事が全て奪われる様を楽しみにしている。

 草薙は後藤の舌打ちで、そうならないという安心を得たょうな表情で立ち上がった。

「では、夕食にしましょう」

 夏の長い陽は傾き、窓の外に並ぶ団地の背後に消えようとしていた。

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