第81話 甘いお菓子 

 草薙はオープンスタイルのキッチンから、デザートの乗った小皿を持ってきた。

「お茶は少し時間がかかるので、先にデザートをどうぞ」

 皿に乗っていたのは、パイのような菓子だった。

 草薙はさっさとキッチンに戻り、普通の紅茶や緑茶よりだいぶ手間がかかるらしきお茶を淹れる作業を始めたので、許可を得る礼儀は省略してパイを食べることにした。

 フォークの類がついていないのでどうやって食べるのかわからなかったが、後藤が無遠慮にパイを手づかみして丸かじりしたので、その方法に倣う。

 生地を何十にも重ねて焼き上げたパイの中身は、複数のナッツ類を砕いた物だった。ハチミツの強烈な甘みがする。

 手がハチミツで汚れるだろうと思いきや、表面のパイはサラサラした感触で、手づかみで食べるために作られたデザートだった。


 食べ物の構造としては病院の同室でアメリカ菓子が好きだった桜井が好んで食べていたトレイルミックスと呼ばれるナッツ類をシロップで固めた物に近いが、このデザートは菓子材料店に行けばそれなりの値段がついているであろうナッツを惜しげも無く使っている。たっぷり染みこんだハチミツも、油分の多いナッツをの滋味を味わうならば、刺身の醤油のように最良の味付けである事がわかった。

 先ほどは小熊が飲むには少々熱かったコーヒーがいい温度になったので、ナッツのデザートを食べる合間に口に運んだ。

 コーヒーは濃く、そして甘かった。

 作法ではコーヒーの粉と同量の砂糖が入っているというトルココーヒー。デザートの甘味とコーヒーの甘味が強烈に舌に襲いかかってくるが、なぜか胸焼けすることなく取り入れることが出来た。


 小熊は大学に入ってから在籍しているバイク便会社で社長秘書をしている重見さんから最近聞いた事を思い出した。

 熱帯の国で不足するのは水分と塩分、そして糖分らしい。大学時代は東南アジアによく行っていた重見さんの話によると、暑い国のお茶は店のお茶もペットボトル茶も総じて甘く、日本では飲み慣れぬ甘いお茶を避けてノーシュガーのお茶やミネラルウォーターばかり飲んで水分補給していると、滞在三日目くらいで目に見えて体力が落ちるらしい。

 小熊が「それは外国の話ですね」と言うと、重見さんは夏の夕立ちが降り始めた窓の外を見ながら言った。

「日本もとっくにそうよ」

 ゲリラ豪雨なる新奇な名前をつけられつつも、熱帯のスコールは確かに日本に存在するものになっている。

 家系や専攻で縁深かったわけじゃなく、単に就職にあぶれた末に小説の影響で行くことにした「自分探し」の旅で、インドネシアやタイ、インドを歩き回ったが結局何も見つけられず、トラベラーズチェックが尽きて日本に戻った結果、葦裳社長に拾われたという重見さんが言うからには間違いないんだろう。

 

 横に座っていた南海は、色とりどりのナッツが詰め込まれたパイを興味深げに見つめ、カーディガンの胸ポケットから取り出したスマホで録ってたりしていたが、やがて恐る恐る口にした。続いて飲んだコーヒーで甘みのダブルパンチを味わったらしき南海は、小熊と一緒の時にもなかなか見かけないような幸福そうな表情を浮かべていた。

 普段は甘い物をあまり口にせず、コーヒーにも砂糖を入れない南海が、今まで知らなかった美味に目覚めたような顔をしていた。

 無作法にデザートにかぶりついた後藤といえば、共に飲むものが無いからかナッツのパイをチビチビと食べながら、作業環境の良さそうなキッチンでお茶を淹れている草薙を眺めていた。

 小熊には後藤が草薙でなく、その横にある何かに視線を集中しているように見えた。

 

 手鍋とコンロに加え、電動ミキサーまで使って後藤のお茶を淹れ終わった草薙が、少し饐えた香りのする乳白色のお茶を二杯持って、車座になった小熊たちのところまで歩いてきた。

 後藤は礼一つ言わずバター茶なるお茶を受け取りながら、草薙に言った。

「お前がこの家で料理って奴をしている最中に、ガス爆発で焼け死ぬのが楽しみだ」

 草薙は後藤の視線を追うようにキッチンを振り返った。ガスコンロの上に小熊の目にはかなり造りがしっかりしていそうなラックがあり、すき焼き用らしき鋳物の鍋が立てかけられていた。

 その見た目には丈夫そうなラックがもしも破損し、重くて堅そうな鋳物の鍋が落下したら、その動線の先にはコンロのガス栓があり、金属同士の衝突は都市ガスを容易に引火させる火花を発生させる。

 草薙は後藤に向けて親愛を感じさせる微笑みを浮かべ、ラックから鋳物の鍋を外してシンクの下のスペースに仕舞い直した。 

 南海は手に持ったカップを震わせ、信じられない物を見たような目で後藤のことを見つめていた。

 草薙と南海の反応の違いは、普通の人間には見えない物が見える。そういう人間を初めて見てしまった人と、当たり前のように身近に居る人との違いかもしれない。

 後藤とは二人より幾らか以前から知り合っている小熊はといえば、今すぐ後藤を箱に詰めて自宅に連れていき、家のキッチンとバイクの整備を行うコンテナ内の作業場を見せて、自分を殺すトラップの有無を確かめて欲しくなった。 

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