第78話 エレベーター

 駅前自販機の横に突っ立ったままコーラを飲み終えた後藤は、空き缶とサラダチキンの包装フィルムをゴミ箱に放り込むと、小熊や南海を見もせず唐突に歩き出した。

 そのまま団地のエントランスホールに入り、オートロック類は付いていないらしき集合住宅のエレベーターに向かう。

 このニュータウンのことが書かれたネット記事によると、この団地が作られた昭和期には先進的なライフスタイルの象徴と言われたニュータウンは高倍率の抽選に当たらなくては入居できないほどの人気だったが、その時期に入居した若年世帯の多くは老齢を迎え、ニュータウン最寄りの駅は予定通りの開発や誘致、新交通システムの整備が進まなかった。

 周辺の他市街と比べ必ずしも利便性の高い街ではなくなったニュータウンには子供世代は居つかず、新規の入居者も一時期ほど多くなかったことから、ニュータウンまるごと老人の街になりつつあるという。

 小熊は実際にニュータウンに来てみて、それは半分正しく半分間違っていると思った。


 駅前のあちこちで活発的な高齢者を目にするし、きっと見えないところではそれらの輪から疎外された孤独な老人も多いのかもしれないが、小熊が見た限り出歩いている入居者の今でも働き盛りでニュータウンのローンを払うに充分な収入を得ているであろうミドルエイジ世帯が多数派を占めているように見える。 

 でも、その子供達はこのニュータウンに居つくことなく、自立と同時に街を出るように思えた。

 団地の中だけで生活の全てが完結すると言われたニュータウン付属のショッピングセンターは昼間も閉じっぱなしのシャッターが並ぶだけになっていて、何よりニュータウンの分譲物件を購入するに足るような収入と安定した雇用を得られる若者が昭和期よりずっと少なくなった。

 炎天下にも関わらず団地入口脇の広場では数人の子供がスケボーで遊んでいた。でもその視線は団地の外に向けられていた。

 スケボー等のあらゆる遊興が禁止された広場の外に、好きなだけ遊べる場所があると信じている目をしていた。


 エレベーターが到着し、後藤を先頭に小熊と南海は狭い箱の中に入った。

 後藤は四階のボタンを押した後、閉のボタンを押し、反応の遅さに舌打ちしている。

 後藤は工業大学卒業後に就職した重機メーカーで、こういう機械の制御エンジニアをしていたと聞いたことがある。

 エレベーターが動き出すと、小熊たちに背を向けた後藤は頭を後ろに傾け、眼球を真横に動かして後ろを見た。

 小熊は正直なところ、薄暗いエレベーターの中でそんな物を見せられて気持ち悪いとしか思えなかったが、南海は珍しい爬虫類に出会ったような、まるで可愛らしい物でも見るような目つきで後藤を見つめている。

 後藤は口を開け、トカゲやカエルが獲物を捕食する前にそうするように舌を出し、喋り始めた。

「あんた、夜の街が好きなんだってな」

 南海も少々気圧されたらしく、たどたどしい声ながら明瞭な返答をした。

「はい、綺麗な夜の灯りを見ながら、散歩するのが大好きです」  

 後藤は伸ばした舌を、蠅か何かを呑み込むように引っ込めると、得物を味わうように口を動かしながら言った。

「夜が好きな奴は、クソばかりだ」


 後藤は南海の返事や反応には何一つ興味の無い様子で、エレベーターの少し経年劣化した蛍光灯の灯りを見上げながら話し続ける。

「見たい物を見たきゃ、昼に見ればいい。太陽の光が無料で照ってて、歩き回ってる奴らも真っ当に綺麗に生きてる奴ばかりだ」

 エレベーターの進みは遅い。後藤が仕事で触っていた重機メーカーのリフトに比べれば子供や高齢者にも対応している団地のエレベーターなどオモチャみたいな物だろう。後藤は万人向けに安全を重視した速度に調整されたエレベーターへの苛立ちをぶつけるように話し続ける。

「夜は暗くて何も見えない、金かけて灯りで照らさなきゃ何んにも見えねぇ。だからヤバい奴はみんな夜に這い出て来る。ポルノ、セックス、酒やドラッグ、みんな夜に売られ、買われる」

 それから後藤は首を回し、横目で小熊を見ながら言った。

「バイクもな。ガソリン燃やしてブっ飛ばして、あんなのドラッグと変わんねぇ」

 小熊は正直なところ御説もっともだと思わなくもなかったが、一応言うべきことは言った。

「夜は交機が出てこないからだ」

 夜にバイクで走り回りたくなる理由は明確。昼間は混んでいる道が空いていて、速度違反を取り締まる交通機動隊のパトカーや白バイが出動しないから。でもそれだけなんだろうか。小熊は夜が更けた後に訪れる独特の高揚について考えを巡らせた。


 入院生活を共にした時から、後藤はそういう奴だった。論理も稚拙で知性にも乏しいが、毒を塗った刃物のように聞いた人間の心に傷を残すような事を言う。

 後藤は小熊への興味を無くした様子で、エレベーターの階数表示を眺めながら言った。

「夜はな、汚ぇんだよ。汚ぇヒトとモノが夜なると出て来て、綺麗な昼間を生きている奴らの目に入らないとこで汚い事をする。夜が明けたら全部綺麗に消えて、お陽さまが出て来て真っ当な人間の時間が始まる」

 エレベーターが四階に到着し、どこかでベルが鳴った。

 密室のドアが開く間際に、後藤は耳障りな笑い声を立てながら言った「夜は汚ぇ。汚ぇから綺麗なんだ」

 後藤はそれだけ言うと、さっさとエレベーターを出て目的の部屋に向かう。

 小熊には後藤がまた馬鹿なこと言っているとしか思えなかったが、南海はエレベーターの壁に背をつけたまま呆然としていて、小熊が背中に手を添えるまでエレベーターから出られない様子だった。 

  

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