第47話 秘録

 八王子郊外にある市役所施設まで薄っぺらい設計図を届け終えた小熊は。ピストン輸送の二往復目に行くべくハンターカブに跨った。

 国立府中の本社に届け物が終わった旨の連絡を入れたが、直後に荷請け先である建築会社からLINEが入る。

 二便目の強度計算書の作成が遅れているので、出来れば少し時間を空けて来てほしいという依頼。

 こういう頼み事を請けてその通りにすると、書類提出の遅れをバイク便の輸送トラブルのせいにさせられる事があるが、口頭ではなくLINEといえど連絡で証拠を残しているならば、ありもしない責任を押し付けられる事もあるまいと思い、承諾と荷請け時間変更の連絡をした。

 内緒話をする気など無いので、連絡の内容を本社とも共有する。

 

 小熊が高校時代から従事しているバイク便の仕事には、こういう不意の待ち時間が発生してしまう事はよくある。

 遅延は依頼者の責任だし、焦れる思いをしながら待つものでもないので、小熊はハンターカブを走らせながら一休みできる店を探した

 八王子郊外のロードサイドでは手頃な店が見つからなかったので、目についたシティホテルに入り、フロントを素通りして喫茶室を探す。

 横目でメニューを見たが、とりあえず常識外れな価格でない事を確かめた小熊は、奥のソファ席に落ち着いた。

 有閑な主婦や夏休み中の学生で一杯のチェーン系喫茶店ほど騒がしくないシティホテル喫茶室の客は、いずれも仕事中、あるいは仕事をサボっているスーツや作業ジャンパー姿の男性で、バイト大学生ながらバイク便のライディングジャケット姿の小熊は違和感なく溶け込めた。

 冷房がほどよく利いた店内でアイスコーヒーを注文した小熊は、ついさっきまで機械的に仕事を片付けながら頭の中で考えていた懸念について解決しておく事にした。

 

 後藤の仲介で草薙から聞いた紫のバイクの話を、吉村南海に伝えるべきか。

 小熊は草薙には義理も以降の人間関係も存在しない。一方南海は小熊の大事な友達で、紫のバイクの存在を明らかにする論文を執筆する事で、将来の進路に志望する大学内での立場を明確にするという実益がある。

 それでも、真実を明かしていいのか小熊はまだ決めかねていた。

 オカルトスポットの探索という、まだ皆に認めらる趣味として確立しているとはいえず、不法侵入などのネガティブなイメージを抱く人間も多い行為。

 それでも草薙は、上高地の故郷でダックスという原付バイクに出会い、小熊ととてもよく似ている経緯でダックスと共に青春を過ごし、一台のバイクで一つの趣味を楽しむ術を得た。

 彼女とその仲間の存在を明らかにしてしまう事は、カブと同じエンジンのバイクを愛する人間を不幸にしてしまうのではないか。それもやはり同じ構造を有するエンジンのバイクであるスーパーカブC一二五に乗る南海の利益のために。

 南海には知らせず、彼女が自分の力で独自の推論に辿り着くのを待つべきか、それは小熊にとって卑怯な責任回避。


 紫のバイクについて知ることを望む人間に、その謎の回答になりうる情報を意図的に隠す事はせず、知ってる限りの事実を知らせるべき。そう思った小熊の中には、もう一つの決め事があった。

 情報は正しく管理されるべき。

 紫のバイクについて面白半分に探り、自分の楽しみのために他人が犠牲を負う事に対し何とも思わない人間に知られるのは論外。でも、知るべき人間は知っておく必要がある。

 紫のバイクでオカルト趣味を楽しむ人たちが、何かの犯罪に着手しているという濡れ衣を着せられるかもしれない。都合のいいスケープゴートにされた時、彼女たちは抗う術を持たない。

 ならば草薙たちが不当な扱いを受けそうになった時、その歯止めになる情報をどこかに保存しておくべきなのかもしれない。

 そういう目的なら、南海が論文の提出先として考えている本郷の国立大学は最善の場所だった。秘録として厳重に保管され、大学がその必要を認めた人間以外には決して閲覧を許さないだろう。

 見るべき人が見ればそうすべきという結論を下すであろう情報を論文として提出すれば、南海の大学内での立場も盤石のものとなる。

 

 小熊はアイスコーヒーを一口飲み、スマホを手にした。

 ここまでの考えはすべて推論で希望的観測。南海の将来にかかわる事ならば、裏付けくらい取らなくてはならない。

 あまり連絡したくない連絡先をスマホの画面に表示させた小熊は、散々迷った末にタップした。

 スマホが呼び出し音を何度か発した後、電話が繋がる。

「小熊さん! お久しぶりね!」

 高校時代の小熊がカブの補修部品を探しに行った解体屋で知り合い、後にくだらない恋愛話の解決に手を貸し、小熊が現在住む木造平屋の賃貸を仲介してくれた人間。

 彼女が乗っているいけ好かないレクサスSUVの近鉄電車のような色から、小熊がマルーンの女と呼んでいる大学准教授の声が聞こえてきた。

 出来れば、二度と聞きたくない声だった。

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