第37話 恐怖
草薙は自らの心の深部を見せるかのように、保存された画像をスマホの小さい液晶に表示させる。
スマホを手渡された小熊が並ぶ画像を幾つかタップすると、いずれも紫色のモトラと暗い背景。
バイク愛好家のブログやアカウントでよく見かけるような、愛車と自然豊かな美景とは異なる、黒と紫だけの画像。
草薙は幾つか食べた餃子を烏龍茶で流しこみながら、話し始める。
「最初は中学の時でした」
草薙の話によると、中学の課外授業で長野市松代の戦時遺構を見学しに行った時が、今まで続く彼女の趣味の始まりだったという。
大規模な地下壕が作られつつ終戦まで戦火に晒される事の無かった遺構は、突貫作業での築造ゆえ作業事故が多く起こり、現在では死亡した作業員の慰霊碑が建てられている。
戦時遺構は草薙の軍事的、建築的、あるいは郷土史的好奇心を刺激することは無かったが、地の底まで続くような暗く深い穴を見た時に、人の心の中を直接見たような感情に襲われ、もっと見てみたいと思うようになった。
草薙にとって、そこにあるものではなく、その地に恐れを抱く無数の人間の感情、その存在が今まで経験したことの無い、人間と世界の広大さを知るきっかけだった。
それから草薙は中学の同級生と地元の廃屋や肝試しに行くようになり、親に連れて行って貰ったドライブでも、事前にスマホで調べたオカルトサイトに載っていた事故や大規模災害の跡地に立ち寄っては、あの頃感じた刺激を味わっていたが、中学生ゆえ自分で見に行ける範囲は狭く、山岳に囲まれた上高地では自転車も当てにならない。
その後地元の高校に進学した頃には肝試しを楽しむ仲間も居なくなり、ネットサイトに載るようなオカルトスポットなどろくに無い上高地でつまらない思いをしながら日々通学し、オカルトはスマホ画面の中のみで楽しむようになった。
そんな彼女を変えたのは、一台の原付だった。
以前は親戚が乗っていたが、新しい原付に買い替えたため不要になったというホンダ・ダックス
地元の自転車屋で定期的にメンテナンスされていたために中古の割に状態の良かったメタリックレッドのダックス。
最初は通学もバスがあって不自由なく、自宅である山岳ホテルが地元バス会社が運営する上高地線の駅から近いこともあって、松本市街まで行くために必要な交通手段も足りていたため、それなりに維持費のかかる原付など不要だと思っていた草薙は一つの事に気づいた。
これがあれば自分でオカルトスポットに行ける。
草薙はスクータータイプの原付より面倒事が多そうで、カブほど実用性に乏しいためか家族親族が誰も欲しがらぬダックスを譲って欲しいと親戚に頼み、親戚はお年玉代わりにダックスとバイク用品一式を草薙に譲渡してくれた。
ダックスに乗り始めた草薙は、自分で走り回る範囲を少しづつ広げていった。同じ高校に通い、ダックスとエンジンが同一のホンダシャリィに乗る幼馴染が原付仲間になり、オカルトの類には興味を示さないが宮大工になることを志望し、寺社仏閣を見に行く事が好きだった幼馴染は草薙の趣味を許容してくれた。
世の中には自分が数量として知る事は出来ても実感することは出来ない多数の人間が居て、その人たちは各々怖い物を持っている。
物理的な危険要素なら機械にも感知できるが、人間にしか無い、動物にも似た物はあるがそれは生存のために必要な感覚で、人間のそれは膨大な感情と想像力、好奇心がもたらす未知への恐れ。
草薙はダックスに乗って怖い物を見るため走り始めた。
人間が持つ心の形を見に行こうとした。
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