第25話 油淋鶏

 後藤は小熊が注視していたスマホをひったくりながら言った。

「仕事に行く」

 小熊が追っていた紫のバイク、その謎に繋がるオカルト研究会なるものの情報を見せた後藤は、それで役目は終わりだと言わんばかりの態度で従業員通用口に向かおうとする。

 小熊は後ろから後藤の肩を掴み、見た目通り細く頼りない肩を握りつぶさないように加減しながら言った。

 そのオカルト研究会の人間と会えないかな? できれば話のわかる奴で」

 禽獣か何かに捕獲された小動物のように抵抗を諦めたらしき後藤は、小熊の爪から脱することが出来るなら何でもいいと言った態度で言った。

「一応聞いてみる。勤務が明けたらここに来て」


 後藤が退勤時間を伝えようとしたが、小熊は手を振って答えた。

「中村さんに聞いてる、三時だね」

 小熊が見る限り、この職場は人間という産業機械を効率的に動作させる場で、主に金銭的に非効率的な残業などさせないようにも見えた。それに少なくとも後藤は勤務明けの後に仕事仲間と一杯やる人間には見えない。

 でも、もしかしたらそれは今夜変わるのかもしれないと小熊は思った。それも自分のせいで。非正規雇用ながら食える仕事にありつき、モンド映画という趣味にも恵まれ、動画配信という副収入まで得ている後藤の、不安定なまま安定した生活に不必要な波風を立ててしまうのではないかと思ったが、南海の紫のバイクに対して抱く好奇心のほうが大事だと思った。

 今は小熊の判断で外を走り回って調べることを禁じているが、南海はいずれ自力で紫のバイクを探すべくカブで夜の道を走り出してしまうだろう。その機動力を南海に与えたのは小熊。

 本音としては限られた情報源の中からの解析、推測能力では自分を上回っている南海に、少しくらいいいとこを見せたいという気持ちもあった。


 とりあえず今のところ紫のバイクに関する情報を得る鍵と言う意味では、小熊に実益をもたらす存在である後藤の背に、小熊は声をかけた。

「仕事、頑張って」

 肩を落とし虚ろな目で通用口に入ろうとした後藤は、小熊の言葉で今から労働の時間が始まるという事実を改めて思い知らされたらしく、今にもすっ転ぶか力尽きて倒れそうな弱々しい足取りで建物の中に消えた。

 下り坂のため帰りは往路よりいくらか楽な道を歩き、小熊は後藤のアパートに戻った。

 私鉄の線路がすぐ近くにあるアパートの敷地内に駐めたハンターカブに跨り、エンジンをセル始動させて帰路につく。


 ようやく暗くなり始めた空の下で実際に走ってみると後藤のアパートは小熊の家から案外近く、二十分足らずで自宅に到着した。

 これならまた後藤の家に遊びに行ってもいいかもしれないと思ったが、少なくとも紫のバイクという調べ物が終わったらそんな機会も無くなるだろう。後藤とは共有するような親愛の感情や価値観も無いし、生活を見守る義理も無い。それなら何故中村は自分と後藤を会わせようとしたのか。


 小熊はあれこれと考え事をしながら夕食の準備を始めた。家を出る前に水に漬けていた押し麦入りのご飯を炊飯器で炊き、鶏もも肉に片栗粉をまぶして油で揚げる油淋鶏を作る。

 タレは少々手抜きして冷凍の刻み葱と醤油、酒、酢、チューブ入り生姜と唐辛子、ごま油。野菜が足りないと思ったのでレタスを多めに敷く。

 iPadで動画を見ながら油淋鶏と麦飯の夕食を食べた小熊は、この油淋鶏と後藤の食べていたサラダチキン、どっちが美味いのか考えた。目の前にある地鶏の油淋鶏のほうが美味いに決まってる。仕事前に労働に耐える栄養源として食うチキンより、一仕事終えた充実感と共に食べるチキンのほうが美味いに決まってる。


 そう思った小熊は油淋鶏のタレで和えたレタスを頬張りながら動画を見た。動画の中では山を駆け回って獲物の撃ったハンターが、射獲した雉の首を折って血を抜き羽根をむしり、屋外で唐揚げにしていた。

 まだ火薬の匂いが残っていそうなサファリジャケットのまま、黄金色に揚げた雉の腿にかぶりつくハンターを見た小熊は、美味い物を比較しても意味ないと思い、皿を洗ってiPadで仕事の連絡を確認し、食後の運動替りに部屋を掃除した後に水のシャワーを浴び、約束の時間まで眠ることにした。   

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