第19話 コンコルド

 奇妙な、動画配信は自宅でそこそこ見ている小熊が今まで見た事無いほど奇怪かつ独特なバーチャルキャラによる動画配信は五分ほどで終わった。

 ただひたすら自分の好きな物について、事前にノートで書いた感想を読み上げるだけの配信。背後から息をひそめながら見ている小熊の視線を意識してない様子で、後藤はマイクに向かって「次は明後日」とだけ言って、ほとんど動かない後藤の体の動きをキャプチャしてバーチャルキャラクターに変換する配信アプリを閉じる。

 小熊は無性に後藤を背後からくすぐってやりたくなった。入院中の共同生活で、普段から声が小さく陰気な彼女は、くすぐると意外なくらい色っぽい声を出すことを知っている。後藤の皮膚感覚の刺激から必死に耐えるような悲鳴と、それでも漏れてしまう嬌声を配信に流せば、この配信チャンネルの人気も大いに上がるんじゃないかと思ったが、それは後藤が望んだものではないと思い自重した、配信サイトによってセンシティブな配信内容と認定されてしまうというリスクもある。



 後藤がデスクトップPCの横でキムワイプの箱に立てかけていたスマホには動画サイトの配信画面が表示され、需要の狭そうな独特の配信にも、動画では同接者と言われる聴取者が居るらしく、それなりの数のコメントが流れているが、後藤はコメントを見もせずに、小熊の乏しい動画についての見識で知る限り、動画配信者の慣習だと聞く課金を伝える色付きのコメントに対する感謝の言葉すら無い。

 後藤のアバターだという不気味なバーチャルキャラクターのアイコン横に表示された登録者数は、小熊の知る何人かのバイク動画配信者を上回っていた。

 バイクというのは動画コンテンツ素材としてさほど優れていないのかと小熊は少し口惜しい気持ちになったが。逆に同好の趣味を持つ人間が多いからこそ、数を集めにくいのかもしれないと思った。配信者と接続者の数が飽和していれば、自ずと競争が生まれ他の配信者に比し興味をそそり時間を割こうと思える部分が少ない動画は淘汰さる。配信以外でもバイク趣味の世界では嫌になるほど見た妬みによる足の引っ張り合いや、お山の大将を気取って手下を集めてはちょっとしたミスで失脚する、サル山のサルのようなやりとりは動画界隈でも起きているんだろう。

 後藤がやってる事はその逆。一応は映画映画レビューサイトと言う体裁を成しているが、あまり愛好家の母数が多いとはいえないモンド映画というジャンル。でもこの分野といえばこの人という唯一の存在になれば、それなりの接続者数を稼げるだろう。そうするには古今の映画に通じた人間に映画ジャンルのうちの一つとしてのモンド映画についての理知的な解説を聞かせるよりも、モンド映画を生きる糧としている人間のテンプレートをそのまま形にしたような後藤のバーチャルキャラのほうが同好者の心に深い印象を刻むだろう。


 後藤がスマホの配信画面を閉じたので、仕事は終わったと判断して小熊は話しかけた。

「こんな配信、してるんだ」

 後藤はゲーミングチェアの上に体育座りしながら頷いた。小熊はそっと配信用のWEBカメラに触れながら聞いてみた

「中村さんにやってもらったのかな?」

 後藤はマウスを手にしてディスプレイ内のカーソルを意味もなく左右に動かしながら答える。

「配信チャンネルやVRキャラを作ったり、収益化の手続きは良未がやってくれた、私はただ好きなものを好きなように話せばいいって」

 小熊が病室での時間を共にした時から、中村良未は長らくテレビ業界で仕事をし実績を残しながら、テレビ特有の演出や作り物が嫌いだった。マネージャーが作った台本通りのことしか言わない芸能人。スポンサーの意向やイメージ戦略に従った内容から逸脱した発言は許されないスポーツ選手。時にテレビ局側の判断で編集、歪曲させられることもある仕事が心底いやになったという。


 弱者を貶め強者の足を引っ張り、視聴者の愚劣な優越感を充足させる。そんなものは豚の餌を作る作業と変わらない、と。

 テレビでは到底成り立たないような後藤のモンド映画解説動画も、未だに食うためと部下を食わせるためにテレビの世界から離れられない中村が目指した一つの方向性なんだろうか。そう思った小熊が、素人目にはプロ級の機材に見えるカメラとマイクを見ていると、後藤はモニターの中にカーソルで何度も円を描きながら言った。

「配信はスマホひとつあれば出来るけど、機材は安い物を見つけてくるから自分の給料で買えって、ローン組むことになったけど、私が配信を投げ出さず続けられる唯一の方法は、コンコルドを飛ばすことだって」

 欧州が共同で開発したという超音速旅客機コンコルド。発表当初は大陸間の渡航時間を大幅に短縮させる先進的な旅客機として世界の注目を集め、日本航空も購入を内定していたというが、後にオイルショックによる燃料費高騰や騒音問題、離着陸可能な空港の制限などで収益的には破綻し、墜落死亡事故を機にコンコルドの運行は後継機が作られる事無く終了。

 今でもビジネスの世界では、とっくに回収が見込めなくなっている事業で、それまで投下したリソースを理由に中止の判断を踏み切れなくなる状態のことはコンコルド現象と呼ばれている。小熊はメルセデスベンツ出資により作られた小型車スマートで似た話を聞いたことがある。広告や報道、映像作品による露出でそれなりに知名度のあったスマートは、事業終了が決まるまで一度も黒字を計上していない。

 この日常的な義務遂行すらいやがる後藤が毎日の動画配信をするようになったのは、機材への先行投資を償却するためなんだろう。小熊もそうだった。何度かスーパーカブの維持を諦めようとした時、小熊を最も強い力で前に進めたのは、カブに乗りたいとう気持ちやカブ仲間による言葉じゃなく、それまで身銭を切って買い集めた工具と部品、何より最も高価な財産である蓄積した整備技術で、それは今も変わらない。

 人生の道筋を歩いていくのがあまりにも下手は後藤は着実に前に進んでいる。人の助けを得つつ、いままでやった事を無駄にしないため。

 入院時より少し背が伸びて見えた後藤は、小熊の目の前で浴衣の帯を解き、肌を晒した。

「紫のバイクについて教える、ついてきて」

 一糸まとわぬ姿になった後藤は、衣装ケースと思われる段ボール箱から取り出した色気も素っ気も無い下着とシャツを身に着け、ネズミ色の作業着に袖を通した。

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