第18話 モンド

 後藤の寝室はダイニングキッチンとさほど変わらないくらい散らかっていて不衛生だった。

 遮光カーテンが閉め切られた窓、陰気な蛍光灯照明に敷きっぱなしの布団、枕元に散らばったジャンクフードの袋、棚ではなく部屋に積み上げられた幾つかの山になっている本やDVD、そしてデスクとチェア。

 ゲーミングチェアと言われるスポーツカーのセミバケットシートのような回転椅子はどこかのゴミ捨て場から拾っていたような代物で、白いビニールレザー張りのシートはあちこちが銀色のダクトテープで補修されていた。

 小熊は文字通り足の踏み場の無い室内に入るのを躊躇したが、知りたい事を知るためにはなりふりかまっていられない。

 床に散らばったゴミを足でどかしながら、何とか部屋の中心あたりまで到達した小熊を後藤は嫌そうな顔で見たが、デスクに置かれたデジタル時計を一瞥してため息をつき、案外スペックは高そうなデスクトップPCの電源を入れた。


 PCが起動し、小熊の知らないアプリが表示される。後藤は飲みかけでデスクに置きっぱなしのペットボトルから甘そうなミルクティを飲みながら、アプリが動き出すのを焦れるように待っている。ゲーミングチェアにだらしなく横座りする彼女をを背後から見ていた小熊は聞いた。

「仕事って何?」

 自宅PCで彼女が出来そうな副業らしき仕事なら、転売か株取引か何かだと思った小熊。後藤は面倒そうにデスクに積まれた大学ノートを一冊引っ張り出し、ページをめくりながら答えた。

「配信」

 後藤はデスクの端から伸びた製図用ライトのようなアームに取り付けられたマイクの位置を調整し、ディスプレイの上にスタンドで固定されたカメラのスイッチを入れながら言った。

「この時間に毎日やってる。五分くらいで終わるから邪魔しないで」

 暗く狭く汚い部屋。四方の壁には大きな洗濯板のような黒い防音板が貼り付けられていた。


 専用のアプリがようやく起動し、画面がやはり小熊の見慣れない物になる。配信といっても後藤は汚れた浴衣に乱れた髪、血色の悪い顔にメイクさえしてない上に、口元にはさっき食べた柿ピーの欠片がついたまま。

 後藤はこんな姿をネット経由で全世界に配信するのか、そう思った小熊は後藤の髪だけでも整えようと頭に触れたが、手で払われる。

 ディスプレイと脇に置いたスマホに表示された配信画面は、散らかったアパートの一室ではなく洋館のような室内。動いているのは後藤の旅館浴衣と色違いの黒い和服を着たアニメ風のバーチャルキャラクターだった。

 後藤はゲーミングチェアに斜めに座ったまま動かない。後藤自身の動きをキャプチャしているらしきバーチャルキャラも体を斜めにしたまま動かない。

 アニメ風キャラになれば後藤も可愛らしくなるのかと小熊は思ったが、目の前のバーチャルキャラはどう見ても後藤の陰気と不気味を増幅したようなヴィジュアルで、昭和時代のホラー漫画に出てくる呪いをかけられた子供のような姿だった。

後藤はネットで繋がった視聴者に向かって語り始める。


「今日はこれを見た」

 配信開始の掛け声も時候の挨拶も無し。後藤はいきなりフォーミュラカーのクラッシュシーンがパッケージになったDVDの画像を配信画面に表示させる。

 会話のリズムを意識したり、相手の反応を窺う様子は一切せず、後藤はその映像作品の感想が書かれているらしきノートの内容を一本調子で読み上げる。

「これ、日本のテレビ局が作って八七年に劇場公開して、車やバイクでレースしてる馬鹿な奴がポンポン死ぬ作品。つってもイタリアで作った同じような作品から映像丸々パクって高い金を取る劇場代物で、バレて揉めてテロップに加えるってことで手打ちになった。でもイタリア版のほうが、日本の奴よりずっとえぐい死体が無修正で丸写しになってるから笑いが止まらない」


 日本で公開されたという映画は小熊も礼子の家にあったVHSビデオデッキという昔の家電で見た事があった。レースには避けられない死と、スピードの神を愛し身を捧げた男たちの物語が抒情的な演出で描かれた作品だった、。しかしその中身は、レース中の事故を悪趣味な好奇心で見世物にしたイタリアの映画からの盗用映像。

 どっちが下卑て醜悪かなど後藤には何の意味も無いんだろう。ただ彼女の大好物である他人の不幸をどれだけ脳内に流し込めるか。

 小熊が同室で入院していた時の後藤ははノートPCで人が殺される映像ばかり見ていて、作り物のホラー映画には目もくれなかった。小熊が退院後一度だけの見舞いに行った時の後藤は、モンド映画と呼ばれる国内外のグロテスクな映像を集めた映画を飢えるように見ていた記憶がある。

 まるで経でも読むかのように淡々と作品説明と、テレビ番組ではとても流せないような不健全不道徳な感想を読み上げた後藤は、主に人の死にざまの描写を中心とした作品説明を終え、五分ほどの配信を切った。

 さっきまで血色が悪かった後藤の頬は上気し、虚ろだった目は入院中にも見たことのないような輝きを宿していた。

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