第16話 茶菓子

 小熊にアパートの中まで侵入された後藤は、散らかった床の上を這って逃げ、散らかった家で動かしたお掃除ロボットがよくそうなるようにゴミにぶつかって止まる。

 後藤は腰を抜かしそうな姿勢、事実もう腰が抜けてそうな姿で侵入者への応戦を試みているらしいが、小熊には犬が降参しているようにしか見えない。

 ドアを開けてもらった後はとりあえず客を和ませるセールストークでもしようと思い、室内に比べて片付いてる玄関の靴脱ぎスペースに立ちながら後藤に言う。

「聞きたいことがある」 

 後藤は床の上で饅頭のように蹲りながら叫んだ。

「わたしには無い! 帰れ!」


 とりあえず後藤に一か月の入院生活をさせた胸骨骨折については、ほぼ後遺症なく完治したらしい事を確かめた小熊は、樽に詰められたような恰好の後藤に言う

「お前の得意分野についての話だ。私には恩があるはずだ」

 身を伏せて自らに脅威を与える存在からひたすら目をそむけていた後藤は、顔を上げて小熊を見た。

「わかった。金は貸さないが話だけなら聞く、でもちょっと、ちょっとだけ待って」

 こっちも時間有限の身だが、仕事と学業に関しては暇が多く、少々の猶予なら与えてもいいと思った小熊が話の続きを促すと、後藤は男女貧富問わず重要な資産である貞操を守るように自分の体を抱きながら言った。

「いま恥ずかしい恰好だから、着替えさせて。お願い」

 後藤は入院時代と変わらぬ、どこかの旅館から盗んで来たような浴衣を着ていたが、床を這いまわったせいで帯が解け、あまり見たくない物が露わになっていた。


 後藤はダイニングと別室になったリビングに消えた。小熊が三十秒ほど玄関で待ち、これ以上時間を空費させるなら素っ裸のまま部屋から引きずり出そうと思っていたら、たてつけのあまりよくない引き戸を開けて後藤が出てきた。

 小熊には全然違いがわからないが、別の浴衣に着替えてきたらしい。小奇麗かといえばそうでもなく、前合わせのところが牛丼でもこぼしたかのように汚れている。おそらく洗濯用にそこらに放り出した浴衣を慌てて着たんだろう。おそらくその一枚しか替えが無い。髪は乱れたまんまだった。

 一応は身なりを整えた後藤が、そのまま宅配業者か何かの相手をするように、小熊を玄関前の靴脱ぎから室内に招き入れる様子を見せないので、小熊は勝手にバッシュを脱いで中に入る。ダイニングの床は小熊の靴裏より汚そうだが、靴下は帰ってから洗えばいい。


 本来は食事をするスペースなのに座るものが何もない床に、小熊は冷凍食品の空き箱や紙パック、いつ捨てるのかもわからぬ空き缶が詰まったゴミ袋をどけて座る。

 後藤は不衛生で雑多なキッチンスペースにちょこんと座ったまま、冷蔵庫のドアを開けて紅茶の缶を取り出し、小熊に向かって転した。それから後藤は目の前に座る小熊を邪魔そうに見ながら床の上を座ったまま移動する。

 後藤はシンク下の戸棚を開けて、中から柿ピーの小袋を二つ出し、一つを自分の膝の上に落としもう一つを小熊に投げつけた。

 周囲の散らかり具合を見るに、後藤は普段から食事をこんなふうにダイニングの床に座って済ませているのかもしれない。

 それより小熊にとって、あの一緒に入院していた頃は社会不適合者以外の何物でもなかった後藤が、一応は今のところ客間としての機能を果たしている居住スペースに来客を招き入れ、茶菓子まで出しているという事実は小熊にとって驚愕とも言える出来事だった。

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