第14話 ミートパイ

 夕食後にコーヒー二杯を飲み、寝る前にエナジードリンクを飲んだにしては眠りは深く、朝は快適に目覚められた。

 夏休みで明日何もないという事実が小熊を安眠させてくれたのかもしれない。朝寝坊してもいい日に限って朝早く目覚めてしまったのは、きっとそういう怠惰な生活に小熊の体が慣れていないから。

 高校二年でカブを買って以来、小熊にとって学校の長期休みは働く時期だった。


 昼過ぎは適度に水道水が温くていいが、朝は少々冷たい水のシャワーを浴びてデニムパンツとTシャツを身に着けた小熊は、茹でたうどんに醤油とネギをレモン汁をかけただけの冷やしうどんで朝食を済ませる。

 盛りそばや安いうどんははペットボトルのめんつゆで食べるが、少し張り込んで買った高めの冷凍うどんにはレモン醤油が合う。

 食後の鉄観音茶を飲んだ小熊は、ダイニングの隣にある四畳半に入り、バイク便の仕事で着るライディングジャケットを身に着けた。

 今日も暑くなりそうだが、胸と背中にプロテクターパッドが入り、ポケットが幾つもついた業務用ライディングジャケットは部分的にメッシュになっていて、内側の防寒ライナーを剥げばデニムジャケットやスイングトップに比べると気休め程度に涼しい。

  

 スマホや財布、iPadを入れた帆布の巾着袋をたすきがけに背負い、ヘルメットを被った小熊はバスケットスニーカーを履いて外に出た。

 玄関とコンテナガレージの施錠を確かめた小熊は、自宅敷地の縁側前からハンターカブを押し出してセルでエンジンを始動させ、真夏には革グローブより快適な滑り止め軍手を着けてハンターカブに跨り、走り出した。

 陽の光は強く、小熊はミラースモークのシールドを下ろした。


 大学を素通りして幹線道路に入った小熊は、西に向かって走った。講義は夏の休講で、下手にキャンパスに寄って変な人間に遭うことになっても面倒。

 夏休み中も空いているというカフェダイナー学食のウェンディには会いたくもあったが、小熊は数日前に南大沢駅前のペイストリーカフェのオープンスペースで、南海と一緒にオーストラリア風のミートパイを食べているところを見られてしまい、ちょっと会いにくい。

 きっとウェンディは自分の働いている学食で出しているエンパナーダというメキシコ風ミートパイを食うに値しないと思われたと勘違いし、アイスブルーの瞳で睨んできたに違いない。

 小熊としては南海と食べるボリュームのあるオーストラリア風のミートパイも、ウェンディの可愛らしいエンパナーダも等しく好きだけど、あの人でも殺せそうなアイスブルーの瞳で見つめられると、何も隠し立て出来なくなり言わないほうがいいことまで言ってしまいそうだと思った。


 ウェンディ―が入れてくれる冷たいミロに少し後ろ髪を引かれながらハンターカブを走らせた小熊は、仕事の荷受け先である日野市の業務用自動車製造会社の本社工場に到着した。

 バイク便ライダーの仕事着を見ただけでゲートを開けてくれた門衛の人の案内で工場前にカブを乗り付けた小熊は、工場の主任から荷物である電子機器と記憶メディアを受けとり、iPadの伝票にサインを貰う。

 追加で届けなくてはならない部品が発生したというので、生産ラインから部品が到着するまでの待ち時間に、小熊は紫のバイクの噂話について何か知っているか尋ねてみた。

 工場主任になる前は長く営業ドライバーをしていた男性は、聞いたことないと言った。

 そう簡単に情報が手に入れられるわけないと思った小熊は、iPadに追加受注用の伝票を表示させ、主任のサインを貰って本社工場を出る。


 積み荷である電子部品を傷つけないように緩慢な速度でハンターカブを走らせたおかげで、色々と考え事をさせられた。

 本職のドライバーも知らないという紫のバイク、営業回りしていた東京多摩地区の郷土史とオカルトスポットには個人的興味でそれなりに詳しいという主任も知らないといい、以前はネットサイトに似た役割を負っていたというオカルト雑誌が勝手に作った空想の話なんじゃないかとも言っていた。

 思いがけぬ追加発注で余分な報酬は手に入れたが、探し物の第一歩は不発。それでも小熊は昨日墓地の近くで紫色pcxに遭遇した時に気づいた、ある手がかりがあった。

 届け物を終えた小熊は涼を求めて手近なコーヒーチェーンに入り、スマホを取り出した。

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